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「宮崎駿3DCG激怒」と「この世界の片隅に」と「イジメ」について

手足使わないで蠢くって、ナウシカで使えね?。
聖都シュワの城(?)のヒドラの博士だっけ?。
「脳味噌を食べると痛みが和らぐんだよ」・・・ゾンビ映画で頭と背骨だけになったようなゾンビが背骨動かしながら言っていたなぁ。
「生命」で一番の「冒涜」は死んでも「繰り返し生き返る」ことだとおいらは思うのだが。
「人魚の森」はかるんじる方向性ではないし。
ドラゴンボールとか、何度殺そうが死のうが生き返ればいいじゃん。
面白ければ。

「この世界の片隅に」たって。
読めたもんじゃないが、自作晦渋小説「焦土に漂いて」で30年くらい前に戦争の悲惨さについて書いたところがある。
「帰ってこないの?、命って・・・」
「戦争が神様を必要としたのなら、命が奪われることに、なにもできないよね」
今現実に起きている戦争、シリアとか目を逸らす・眼中に入れたくない・理解しない、ために見に行くのならどーぞ映画館に行ってやってください。
「享楽」というか、「エンターティメント」の弊害は「現実に向き合うこと(時間・情報・理解)」を奪うことが致命傷なんだが誰も言わない。
多くの人が見てくれて金を出してくれて金儲けできればそれで地球もお仕舞いで良いじゃん。
映像表現の面白さたって、全裸の川谷拓三さんを山城新伍さんともう一人だったか足蹴りにしまくれば見てて面白いじゃん。
子供の時にだって、イジメっ子が徒党をくんで弱い者をからかってイジメているのを見れば面白かったじゃん。
まぁ、今時の御時世が「暴力」を面白がることは無くなった。
たとえば、「無視」というのが今時の陰湿な「イジメ」ということだが、あるいは過去には陰湿・暴力や残酷な「イジメ表現」もされていたが、今時の「エンターテイメント」はアッカル~イとか楽しいとかハッピーエンドとかを視聴者が視聴したいという好みに先鋭貸してしまったことでほとんど見ることも無い。
「イジメ報道」ということもあるが、このことは下述する。
「戦闘」ものは今も好まれることで創られているが、過去のように「陰惨」な表現というモノは好まれない。
このようなことで、戦後と今時では表現も違うし、子供の方とて今時面白いものは学校・・・子供同士の外にあるので、面白くもない子供相手にしているより、「大人が与えてくれる」面白いもの話題にしていたい。
話題にはいれなければ「無視」という「イジメ」。
ツイッター・・・SNS全般、「面白い」ことを求めて、あるいは「面白くない」ことは排除して加入しているんだろ。
そういうところで、「現実」に向き合う機会というものを「エンターテイメント」は奪っている。
そのことは、子供においても「面白いこと」を選択していたものだということ。
子供同士だって、「面白い」奴はそばにいて欲しいが、「面白くない」者は相手にしたくない。
「子供同士仲良くしましょう」・・・大人同士でやってみせろや!、子供の手本に!。
「面白い」ことを求めたいのに、「面白くない」のは「面白くない」奴が悪いんだろーが?。
仲間であるのに「面白い」ことになれや。
「面白くない」のは「面白くない」奴が悪いんだろーが!。

「宮崎駿3DCG激怒」の言うところも分かるが、場面・状況によって物事の意味というのは人間都合良く変えていくもの。
「イジメられる者は悪くない」たって、「イジメ」る側にすれば理由があるから攻撃(無視)する。
まぁ、おいら化物顔の天敵「健常者キチガイ」は認知の歪みがあることでとか「イジメ」加害者側に一方的な問題もある場合があるが。
こと集団になると、多数決言ってもしゃーないが、その集団のかなりの人間がその人に否定的になる理由があるから、ということになる。

まぁ、偏見的に言えば、大人社会はたいがい「イジメ加害者」サイドということだ。
それが、「イジメ報道」という時には、正義正当あるいは「イジメ被害者」に同情ってんだから大笑い。
結局、話題性の「イジメ」は大人にとって自己の肯定とか正当性とかに利用している「エンターテイメント」事なのだから、繰り返し「イジメ」がおきればいいじゃん。
「エンターテイメント」で生命の「倫理」とか「冒涜」とか言ったところで、造って金儲けできなければそれで終わりじゃん、ごと。
観る者がどのようなモノを求めているか?、そのことを無視して生命の「倫理」とか「冒涜」とか優先で言っても意味無い。
当然、子供の「イジメ」たって、その「話題」を受けとる大人は好きなように「エンターテイメント」にするだけだし、子供は子供同士で好き勝手にして好きな者を求めて好きでもない者は相手にしなければ・それができなければ「 イジメ」てやれば良い。
「嫌いな者といろ!」大人同士がね。

「この世界の片隅に」・・・アニメか。
観て現実は核戦争突入で良いじゃん。
この地球は繰り返し戦争に塗れているのに、現実は知ったこっちゃない虚構に埋没していたいが「平和」、で良いじゃん。
トランプで戦争世界に拡大で良いじゃん。
そん時誰かが悪い!でなく、現実を考えもしなかった者が悪いんだよ。

で、こういう「エンターティメント」が「イジメ」に関係あることは、それこそ「エンターティメント関係者」は言われたくないこと。
昔で言えば、ヒーローつうかごっこ遊びの主役の取り合い。
さらにはヒーローなりきりで弱い者とか嫌われ者を悪に決めつけて攻撃・・・充分すぎるほど「イジメ」じゃん。
今時で言えば、古い話だが8時だよ全員集合の会場には入れなかった者のコンセント引き抜き停電。
求めている者が得られないことで破壊的・暴力的な行動に走る・・・これも矛先によっては「イジメ」になる。
でVRというかARというか、埋没していたい虚構に対して現実が受け入れないことでの凶行とか。
「イジメ」の引きこもりたって、現実の大人社会はそれこそ「イジメ」の加害輩がわんさかいるし、「友達」というものが理想と言えば言いすぎだろうが、求めたい友達間でないのが現実の友達関係。
いずれにしても、「エンターティメント」は虚構であり、現実に対して虚構を求めるのは相いれない。

日本評論社 こころの科学 P101~現場を変えるいじめの科学(10)教師が傍観者から脱するためにーいじめ対策の前提 和久田学 子供の発達科学研究所 大阪大学大学院連合小児発達学研究科
の連載読んでいるが、おいら化物顔は「イジメ被害」も受けたし「イジメ加害」もしたことから思うに、書いてある内容に納得できない。
教師側についてはすでに他で愚痴っているが。
結局のところ、「自分が子供頃にはイジメは無かった」とか、大人が自分達がしてきた「イジメ加害」を参照しないことが最大の問題という一言に尽きる。
「イジメの専門家」という時に、「子供の味方」として壇上に上がるのではなく、「大人の代弁者」として壇上に上がっているような気がしてならない。
「自分が子供頃にはイジメは無かった」
つまり、大人が子供の時にしてきた「イジメ」をつつみくらまそうというのなら、おいらの知っている限りでも半世紀の間「イジメ」問題が解決することもなかったのは当然のことになる。
だいたいもって、子供の時に「イジメ加害」をしていたものが先生になって生徒の「イジメ問題」に苦慮しているのであれば笑い話にもならん。
そのへんの指摘をまずもってするべきだろ?→和久田学
でもって、「ごっこ世代」はすでに孫がいる歳だが、現状ファミコン世代とか、ゲームに関わる「イジメを実戦」してきた大人の子供の「イジメ問題」だろうに。
そうしたことは、「前例」として「参照できる親の知見」だろうに。
もちろん、「アニメ」とか「ドラマ」や「スター」とか話題に入れないとか異端的思想とかの「イジメ問題」も今の大人はすでに体験済みだ。
そういうところで「イジメの知見の参照」ということをしないから、「子供のイジメ理解」暗中模索で理解が進まない。
だけれども「自分が子供頃にはイジメは無かった」と大きい顔で言うのが大人であり大人社会の常識・良識というもの。
で、ここに書いて有る「モデル」のところで「モデルが無い」と読み間違えの早とちりでカチンときて上記書き足したのだが、読み返すと「モデルが有る」だった。
で、「次回」ということになっているが、結局のところ「カチンときた」に変わりない。
繰り返し事だが、「子供を育てている親が子供時にしていたイジメ」が格好の「モデル」になるだろうに。
そのことは包みくらまして「子供のイジメ」を論述するとか、今回と次回の記事で「現状の先生のあり方」を咎めるだけで「イジメのモデル」にしようってんなら、今までの「進展しないイジメ問題の理解」の轍を踏むだけじゃねーか!。
うんでもって「イジメ被害者は悪くない」というのは「自分が子供の頃にはイジメは無かった」と言うときには意味があるように取りたいところだが。
今「イジメ被害」を受けている者に救いになるのかい?。
さらに、子供の時に「イジメ」ていた者に対して「イジメ被害者」は悪くないといえるのかよ?。
「それならなんでイジメていたんだよ!」と言い返されるのが落ちで、その上に納得できる答えも用意できるはずもなかろうに。
それらのことから、「イジメ被害者は悪くない」というのは「自分が子供の頃にはイジメは無かった」と言う者の手慰みでしかないんだよ。
さらに、上述したように、「イジメ被害者」と「イジメ加害者」は「力関係」の問題で状況によりどちらにでも逆転する。
そのことからも「イジメ被害者は悪くない」と一方的に決めつけるのは間違いでしかない!。
繰り返し事だが、「大人は自分が子供の頃にしていたイジメをモデル(事例)として詳らかに提示しろ!」これに尽きるし、大人は「自分が子供の頃にはイジメは無かった」と断じてしておきたいことで、大人が子供の「イジメ」を理解することは無い!。

今の時代、「まともなことを言う」ことの方が間違っている・・・・案外「まともなことを言ってなかったトランプ」は正しいことを言っていたのかもしれない。
「正しいことを言っている」ヒットラーを信じて戦争突入・・・またそういう人が出てきて戦争しないかなぁ~・・・おい。
まぁ、現状「正しい」ことにたてつくことを言ったて、誰も理解はしないっと。

某大物お笑い芸人の嫌な人の対処方・・・役に立たねーなぁ。
逆に言うと、おいらを子供の時にイジメていた奴が「イジメ防止とか言っているのは聞きたくもないし、いまさら年取って老いぼれて常識論でも言っているようならそれこそ、その厚顔無知ひっぺ剥がしてやる!。
「自分が不快な相手だと思われている」・・・ココロノビョーキならともかく、自信過剰な者が多いからなぁ・・・。
出会われて相手がどう思っているかなんざ知ったこっちゃないさ。
つまり「対処方」以前に無意味。
そういや「あかめだか」だな。
嫌な相手に望んで身を寄せるとか。
愚痴ってもしゃーないが、おいら化物顔は「健常者キチガイ」とかその他相性が悪い人にはそれこそ相性がコテンパンに悪い。
一方で、相性が良ければ、若い女性と馴れ親しく話していると「恋人同士」に見えるらしい。
けっきょく「相性」しだいなんだよなぁ。
大概の人はスチーブンジョブス(はっきり覚えてない)とはまるで相性悪いはずなんだよ。
ウオズニアックだっけかよーしらんが、たまたま相性が良かったというだけのこと。
そのへんわっかるかな?、わっかんね~だろうなぁ。

化物顔がお買い物~。
自転車の駐輪違反常連スーパー、小学5年前後の女子がその違法駐輪自転車のとこで髪を結わえてた。
一目、こいつ、「不出来な人間」だなぁ。
案の定、おいら化物顔を見つけると、スーパーの壁側へ逃げて不審者を見る目をする。
「イジメ」たって、おいらの経験的には誰かを「不審者」「敵」と決めつけて攻撃・排除したがる輩がいる。
まぁ。おいらの化物顔がまったくダメな人間も数人いたが。
「イジメ」論議たって、こういう「不出来な人間」というのは、誰かを「不審者」「敵」と決めつけて攻撃・排除したいということが「正義」「正当」にすることが当然できて当たり前なことで、自分が「イジメ」あるいは不当・間違ったことをしているなどとは思いもしない。
当然、「不出来な人間」が大人になっても、子供の時に「イジメ」をしていたと思いもしないし、大人になっても誰かを「不審者」「敵」と決めつけて攻撃・排除したいということが「正義」「正当」にしてすることが当然できて当たり前なこととしてするわけだ。
それで、子供、に限らず大人社会も含めて、「イジメ」をなくしましょう・・・誰かを「不審者」「敵」と決めつけて攻撃・排除しようとする実行者がいる上に、誰かを「不審者」「敵」と決めつけて攻撃・排除したいということが「正義」「正当」にすることが当然できて当たり前なことを問われることがないのだから「イジメ」がなくなるわけないじゃん。
「イジメ加害者の言い分の無いイジメ論は評価しない」がおいら化物顔の持論だが、「イジメの方法論を実行している者」の社会的認知もなければその指摘も特定もしないのだから、「イジメ」の理解も無ければ解決もできるわけないじゃん。
「イジメ」というのは力関係の問題なので、逆に、こういう「不出来な人間」が返り討ちにあって反撃を食らうと、「回りにイジメられた~」と騒ぐことになる。
「不出来な人間」であることで、それこそ迷惑大騒ぎな目も当てられぬ状況になる。
こういうのは遺伝といっちゃぁー偏見だが、似たもの親子ということで学校に怒鳴り込むとかモンスターペアレンツだったりすることもありえよう。
福島避難生徒イジメ・・・ああやっぱり「不出来な人間」が「イジメ」たか、ごと。
もちろん、こういうのは「イジメ」の一要素でしかない。
で、役にも立たない繰り返し糞理屈を言うのは「イジメ被害者は悪くない」、で半世紀の繰り返し。
永遠に「イジメ被害者は悪くない」を繰り返してろ!。
蛇足だけれども、どこぞの国で富裕者が貧乏人は見たくないと富裕者だけの街を造って回りに対して壁を築いたとか。
まぁ、「不出来な人間」の成せること。
「経済は切り捨てる」
まぁ、富裕層たって破産も有れば認知症も有るわけだから、そうなると「富裕層の立場から切り捨てられる」ことになるだろうが。
「社会」は貧・富、健常者・障害者そうした様々な人を綯い交ぜにして成しているものであって、「選択」あるいは「選別」することを前提にしない。
なぜなら、誰でも障害者や貧乏人に成りうる運命を背負っているのだから。
このことは、現状、特に民間宇宙開発の構成人間が「金持ち」ということで、「宇宙への永住」と言うことの目標ということであれば、「イジメ」と「障害者」の問題で「宇宙への永住は暗礁に乗り上げる」ことは確定しているということだ。
このことは、「金持ち」ばかりの問題ではなく、上述の「不出来な人間」はどこにでもいて、誰かを「不審者」「敵」と決めつけて攻撃・排除しようとする実行者がいる上に、誰かを「不審者」「敵」と決めつけて攻撃・排除したいということが「正義」「正当」にすることが当然できて当たり前なこととして、そのことをスペースコロニーでするのは確実なことだと断言できる。
JAXAとか「閉塞環境での集団生活」だっけか実験しているが、そういう「地上の現実の集団の問題」は当面想定した「閉塞環境での集団生活」はすることはないことで、「宇宙への永住」の知見は当面得られることはない。
上に、そのような想定は、「自分が子供の頃にはイジメは無かった」というのは大人社会の常識・良識であることで、「閉塞環境での集団生活」によって「宇宙への永住」の「イジメ」とかの否定的な事実関係の知見を得ることが無いことによって、「宇宙への永住」が実現できるとしても、実現した頃に深刻な問題が噴出することになるのは自明。

で、「宮崎駿3DCG激怒」だが、人によっては、上記の「不出来な小5女子」のように、おいら化物顔、だけでなく「嫌なこと」「癇に障ること」は拒絶・排除したいものだということだ。
「宮崎駿3DCG激怒」と言うときに、そのことは一般社会だけでなく子供同志でもありふれていることだし、今大人だって子供の時にしてきたことだろうに。
そういうところで、大人になれば「子供同士仲よくしましょう」。
「大人が大人同士仲よくして見せろ!」
子供は「嫌なこと」「癇に障ること」は仲よく話しあってそういうことを気にしないようにしましょう。
大人が大人同士でしてみせろや!、なぁ宮崎駿!。
できるか!。
そういうことで、「子供のイジメ」を無くしましょう。
どこのイジメを専門とするエライセンセイが言っているんだよ?、社会の大人たちがいっているんだよ?。

「イジメ被害者は悪くない」
これでふと思うに、じゃぁ「子供の頃にイジメを受けた」者が「イジメ加害者」に対して、「じゃぁなんでイジメたんだよ?」と問い詰められたら言い返せるのかい?。
結局、「自分が子供の頃にはイジメは無かった」と言うのが大人社会の常識・良識であるところの手慰みなんだよ。
イジメ被害者サイド以外で、「自分が子供の時に"イジメが有った"」とした時には、「イジメ被害者は悪くない」と言った時に、「じゃぁなんでイジメたんだよ?」と問われれれば躊躇するしかないだろう。
現実に、おいらも化物顔というばかりでなく人間性も悪かったことで、「おまえが悪い」と言い返されることにもなろうが。
が、「イジメ被害者」はそのような返答は受容しまい。
したがって、「同情」の一点張りでは「イジメ論議」も「イジメの解決」に美ならん。

ツイッターTLに、先生がイジメを隠蔽するとか有ったが、「自分が子供の頃にはイジメは無かった」は大人社会の常識・良識つうのはイジメを隠蔽するということだろうに。
でもって、隠蔽したときには厳罰化とかほざいているが、こういう攻撃的な輩はイジメをしていたのではないか?。
あるいは、そういう言動からイジメの標的にされていたのではないのか?。
こういう輩の小学校の時のクラスメイトを面接してみてみたいものだ。

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