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宇宙人の専門家は宇宙人を研究しない


ヘイトスピーチが国会で・・・自然保護や宇宙人とは関係なさそうだが、人間の否定的な面では一緒なんだよ。

環境問題だとか自然保護とかは人間は「悪い・問題」は他に押し付けて良いとこどりばかりしているから地球は滅ぶんだよ!。と、ヘイトスピーチだと嫌われよう。
人間ってな、まず悪いとか問題だとか言われたくない。
一方、「悪い・問題がある」と言いたいわけだ。
実際、悪い・問題がある、ことを事実として向ければ、腹立たしいわけで、その受け止め方(人によっては)によってはヘイトスピーチになりうる。
さらには、「悪い・問題だ」と向けられるのには人間はたいがい耳を傾けたくない。
つまり、外野が騒ぎ立てたところで、当人の耳には聞き入れるものではないわけだ。
このへんが大学や、大学関係の人間理解が当て糞が無いわけで、「悪い・問題だ」ということの事実関係があるとしても無視あるいはヘイトスピーチにしてしまうか、聞く姿勢を持たない・・・大学やエライセンセイであっても。
あるいは「悪い・問題がある」と思い込んで、事実関係を参照することなく向けてしまう。
そういうところの対処や理解ということを人間はできないわけだ。
しかも大学や大学関係でもそうやっているわけだ。
ということであるから、何かの運動をするとか思想を持つとかしても、自然保護を代表として体たらくで効力もなく、ジェンダーとかのようにヘイトスピーチだと事実関係の指摘を粉砕しようとしたりするわけだ。
そういう人間の知的生物としての問題を改善していかなければ、自然保護とかの問題や、ヘイトスピーチなどの問題改善方法もな~んも意味の無いことでしかない。
ついでだが、そういう人間の現実で、宇宙人と出会いましょう・・・宇宙人に「人間は知的水準が低い」と馬鹿にされるだけだって。
ついでのついで、宇宙人は知的水準が人間より高いことによってこの地球に来訪できるわけだ。
ということなら、人間の「問題・悪い」ことを矯正するための指導をしてくることは想像に難くないだろうが、聞く耳持たずか、ヘイトスピーチだっと粉砕するのかい?→人間。
コズミックフロントごとに突っ込んでいたらブロックされた~・・・まぁ否定的なことばっか愚痴っているから、ツイッターのそこかしこでブロックされてるけれども。

宇宙人に会いた~い、ならば「宇宙人に遭う」とはどういうことなんだよ?。
問題なのは、宇宙人の専門家(胡散臭いことこの上ないが)が具体的に「宇宙人に遭う」ことを説明するべきなのだが。
一方、軍事のトレンド(?)に宇宙人から地球を護るとか、レーザー使って地球を護るとか。
では軍事関係者は宇宙人をどのように想定しているんだろう?。

宇宙人は地球に来ない、で愚痴ったけれども。ワイアール星人(ウルトラセブン)のような宇宙人が地球に来たら、人間はどのように対応するんだろう?。
ブラコ星人・・・はバイオテクノロジーが進んでいるはずだから無いと思うが。
ワイアール成人という例示は、人間社会では「みため問題」は時により凄惨だが、宇宙人の容姿で対応を決めるとなれば大笑いだ、というところからだが。
ということで「宇宙人の容姿」のあまりにも異様なことを、つまり人間側の「想定外」を妄想してみよう。
ということで、「毒々しい色合いのホヤ」のような宇宙人が地球人に会いに来た。
というのはどうだろう?。
は~い、ハグしましょう、体液ジュワリ・・・ホヤのまんまであるかい!。
当然のことだが、こうなると「音声言語」でコミュニケーション、というわけにはいくまい。
が、人間は殺戮・破壊・騙しあいを地球外へ放送しているのだから、宇宙人との「言語」の壁は無い、と考えるのが妥当。
「容姿」によってコミュニケーションが阻害される・・そりゃ人間の専売特許だろ?。
宇宙人がどのような「容姿」をしていようと、ウン光年を超えてくるということは、それだけ高度な文明や技術を持っているのだから、こちらの言うことが通じないということは考えられ無い。
ただ、「人間は理解することが出来ない」・・・「自分を」ということもあれば「他人を」ということもあるが。
そういうところで地球に来た「宇宙人」を理解するということはできっこないことのように思えるのだが。

さて「ホヤ宇宙人」なら見ためからして人間には理解困難か。
というのは「みため問題」ごとで置いといて。
テキトーな例としてホヤをだしたのだが、「情報処理」ということか「脳」の問題。
我々人間つーか地球の生物のかなりが脳という一極集中のような(が、必ずしも脳が全ての情報処理をしているわけではないが)情報処理系を持っている
ホヤというかヒトデ(メギドの火? つのだ-じろう)の神経系は我々とは異質の処理系だが、そういうところで知的進化をしてきた「宇宙人」は想定できないだろうか?。
当然、我々の情報処理とは違うことが想定される。
が、人間は、(あえて差別的に)精神分裂症とかキチガイとか、理解不能(理解していることに準じない、理解を破壊される)なモノには混乱してしまうもの。
そういう「宇宙人」に遭うことは想定しないのか?。
「情報処理」は、生存している環境に依存していることは誰しも否定するものではないはずで、地球外、つまり地球の環境で育まれていない宇宙人の「情報処理」・・・島国根性日本民族の情報処理も諸外国に比べれば・・・。
ホヤのような神経系で知的生物、というのは我々人間には・・・ツーか生物関係の専門家も否定的だと思うが、どのような「宇宙人」と遭遇するかは我々人間には想定できない。
が、もし宇宙人が来訪してくるとすれば、その最低の文明・技術水準は、宇宙人は地球に来ない、出想定している。
我々が宇宙人に会いに行くことはある程度未来に実現できる科学として想定できる。
つまり、形外惑星を有人探査して行って系外惑星の宇宙人に会うということだ。
おいらは今後最低でも700年かかると思っている。
・・・ただし反論に「ロケットエンジン技術」だけ出してもお話しになんない。
「倫理」の問題なんだよ・・・「倫理」の問題無視して火星へ向けて有人宇宙船即刻打ち上げ!・・・わけに行くかい!、もろもろの「倫理」をクリアしないと火星有人宇宙船は打ち上げられない・・・・当然、それだけの「経費」を費やす価値があるかという「倫理」もある。
つまり、宇宙人が地球に来るということは、700年以上文明・技術が進歩している宇宙人が来るということだ。
ま、そうなるとおいらのノータリンオツムでは考えが及ばないが。

で、来るとしてだ。
毒々しい色合いのホヤ宇宙人よ来い!・・・まぁ、宇宙人総じて地球には来ないだろうが。
にしても宇宙や宇宙人の専門家は、「来る」とか「想像上の」とかはいうが、問題なのは、人間とどのような関係性を持つか?、ということに尽きるはずだが。
ワープは量子論とアインシュタインの論争で出来ないと思っているが、現状の宇宙技術では、通常の宇宙空間を加速と減速によってしか宇宙を旅行することは出来ない。
となれば、宇宙人が地球に来るということであれば、人間出す電波を受信して解析するには数十年の期間があるということだ。
光速の数%から惑星軌道に入るまでは、ソートーの減速期間を要するのだから。
もちろん高度な文明・技術をもっていることで系外旅行用宇宙船でくるわけだから、我々の言語や文明を我々が宇宙に発している電波を解析して理解して対応を考えるのは造作もないことと想定できる。
となれば、来訪してくる「宇宙人」に対しての対応言語的コミュニケーションが問題ではなく、我々側の対応が問題ということになる。
これは、宇宙人は地球に来ない、で愚痴っているが、来訪してくる宇宙人が地球人の様に侵略的・悪意があるとは想定できないので、我々地球人がいかに友好的に接することが出来るか?、にかかっている。
が、地球人の現状は、戦争・殺戮・搾取・・・、こんなん宇宙人が友好的な種だと思うはずも無い。
ということで、「宇宙人」は地球に来るはずなどない。
まずもって、人間の現状理解が必要で、その上で、「宇宙人」に友好的に思ってもらえる努力が必要だということだ。
毒々しいホヤ宇宙人よ来~い。
おいら化物顔は社会から貶められる「みため問題」からは、宇宙人と友好的にするというのは否定的だよなぁ。

「減速」ということで、さらに「宇宙人」について人間側の理解の疑問がわく。
現在の技術的知見で光速の30%前後(だったっけ?)まで加速できるということだが、同時に、それはつまり減速の期間も数年~数十年必要としているはずだが。
このことによって、我々人間が地球で繰り広げている非道・凄惨地球外への放送を受信して、解析・研究するに充分な期間があるというもの。
翻って、我々人間は、こうした未知のモノがいたとして、すぐに接触を求めようとするのか?。
まずはリモートセンシングとか、そこから得られる知見をもとに解析・研究して、ある程度想定できたところで接触の可否を検討するとか手順を踏むのが順当あるいは常識的であろう。
となれば、われわれ人間が何をしているか、どのような情報が電波にして宇宙に放送しているかを客観的に分析する必要があるということだ。
来訪するであろう宇宙人が、まずは人間が発している電波を受信して、そこから何を得てどのように判断するかを我々人間側が予測する、ということだ。
宇宙人研究とかは、素人の方が大多数かも知れないが、科学者も一応いるわけだが、科学者としての科学的考察、つまり人間側の科学力と対応からの、来訪してくる宇宙人の予測というものが、どの程度論述されているんだよ?。
ただ、人間が何をしているか、どのような情報が電波となって宇宙に放送されているか、といったところで、自国の批判は科学者というのは公僕というところで客観的には出来ない。
中国の科学者が、中国政策を批判するなどと出来ない、が、これはどこの国の科学者でも同じ立場であろう。
ということで、人間(科学者)は人間が何をしているか。
どのような情報が電波となって宇宙に放送されているか、を客観的に評価できないし、宇宙人の想定もできなければ、来訪してくる宇宙人とのコミュニケーションにも支障が出ることが想定される・・・だって人間は人間に対しての客観的理解ができねーんだもん。
宇宙人関係の専門家の人達・・・おいらが宇宙人から啓示を受けてたら(それはない)どーするんだろ?。
「想定外」は攻撃対象だったけれども、人間誰しも「想定外」を明示されたり攻撃されたくないもの。
そうやって、「想定外」に窮地にされるわけだが。
しっかし、「宇宙人」は必ず「想定外」なはずだが、それを「想定する」ってな笑っちゃうな~←想定する立場とすれば、我々人間は我々人間より知的水準が低い時に「想定」することは意味があるが、知的水準が必ず上であるはずの宇宙人を「想定する」ってもなぁ・・。

ついでだが、個人的には(戦争・殺戮も含めて)大人がしていることを子供がして「悪い」とおこるきはないな。「悪いこと」はまず大人がするなよ。
少年兵たって、学徒動員した日本が言うなよ、ってこともある。

宇宙人の宗教・・・人間の宗教から宇宙人を考えてみる。
黒船・・・ザビエル・・・仏教・・・まぁ、日本は来訪あるごとに宗教も持ち込まれた国だから。
日本神でいうと、天皇神・・・マ*コ&チ*コ・ひょっとこ・・・きょうも火吹き竹にお世話になったが、日本民族は何かにつけて神様に祭り上げるが。
もともとの宗教は、たいがい個人から発祥した人造の神とかだが、求心力利用で国とかになってしまって宗教戦争花盛り。
宗教は、それぞれに理解のあるところだが、おいらとしては戦争している方からの理解と言うことか。
今は九州の大地震、前に東北津波で思い知ったこと・・・にならないのが人間だが、この地球は人間のものではない、と言うことが人間には受け入れられない。
一方宗教は、「ここは(神によって与えられた)自分達の土地だ」、つまり、自分達がここにいる正当性と他に対しての牽制とかで(?)宗教に執着したいわけだ。
さらには、「神」がいることによって、他に対して主導権(選択・進路・歩調)・・・すなわち愚か者の執着心があると思い込んでいたいし、他に対して主導権を誇示していくわけだ。
これは「方法」でしかない。
つまり方法論。
となれば、「誰でも出来る」ということで、現在の宗教戦争ということになっているわけだ。
もちろん、新興宗教も真似したいところだが、歴史が浅い・・・それだけの教えの量と実績が無いことで、新参者の出る幕ではないわけだが。
宗教はしょせん人造の神なので、人間がいなくなれば当然霧散していくのは歴史の見てのとうり。
神殿とか残っていても、神の教えは今の人間には聞こえない。
今有る宗教の未来も同様のこと。
宗教がいかに地球の所有を宣言したところで、九州地震や東北津波の一目瞭然ごとき人間を払拭する出来事はこれからも起こるし、今までよりも甚大な地球現象も起こりうる。
「たとえば」、我々人間はダニ(微生物や細菌)に覆われていたりするわけだが、それらの声など聞こえないし知ったことでも無い。
その上日々体洗って湯船につかり、そうしたモノ共を死滅排除しているが、宿主である我々には非認識ごとでしかない、地球も人間に対しては同じこと。
が、人間は「(自身を正当化・優位にしたい)意味」を求めなければならなくなった生き物だ。
このため、いかなることに対しても「(自身を正当化・優位にしたい)意味」を求めようとする。
が、「(自身を正当化・優位にしたい)意味」であることによって、その「(自身を正当化・優位にしたい)意味」と事実関係に整合性があるわけではない。
当然、そのような「(自身を正当化・優位にしたい)意味」など、地球にとっては無意味でしかない。

それでも人間は、地球あるいはこの地は自分のものだと確証を持ちたいし堅持したいわけだ。
で、そうした宗教の事例から、これから我々人類は宇宙に出て行こうとしているわけだが、月や火星も「宗教」で所有堅持するのか?。
月や火星で宗教が主導権を持つのか?。

となれば、宇宙人が、宇宙人が信じている神を人間に信じさせる・・・逆に人間が宇宙に出て行って、他の惑星の知的生命体に人造の神を信じさせる?、ということも「想定」しなければならないが、宗教はこれから聖書や経典に書かれていないことを、どのように「捏造」していくのだろう?。。
「捏造」すれば、たどりついた惑星をその宗教の所有物にできる?。

ま、宇宙人の専門家は宇宙人を研究しない、からね。
宇宙人のことは分からないことだけど。
宇宙人が来ると、大学や大学関係が対応する・・・というのもナンセンスなことだが。
一番のナンセンスは宗教大学。
我々より遥かに進んだ文明を持って宇宙を越えてきた宇宙人に、古代文明の教えを諭してやってくださいな。
インデイオがキリスト教徒に諭されてれば良かったじゃん。
宗教大学でなくとも、たいがい大学や大学関係は「公僕」と言うことになる。
つまり「地球人」代表ではなく、そのそれぞれの属する国の「(自身を正当化・優位にしたい)意味」に沿って相対することになる。
当然のことだが、我々より遥かに進んだ文明を持って宇宙を越えてきた宇宙人、には人間の「(自身を正当化・優位にしたい)意味」は無意味であって、「事実関係の意味」のみが検討事項ということになるはず。
この齟齬によって、我々人間は、宇宙人とコミュニケーションをとることはできない。
その前に、宇宙人は「(自身を正当化・優位にしたい)意味」ばかりを求めようとする人間に嫌気がさして、関わりを持ちたくないことで避けて通るだろう。
どんな問題・間違いがあろうと「(自身を正当化・優位にしたい)意味」しか求めないこんなろくでもないもっとも下劣な知的生物である人間は、宇宙には歓迎されるはずもない。

つまり、都合よく宇宙人が宇宙航海技術を供与してくれることは無いことによって、人間は自力で宇宙航海技術を求めなければならない。
が、人間種寿命では宇宙航海技術を得るには期間がてんで足りない。
人間には「経済」でなければ宇宙開発はできないが、「経済」では宇宙開発は行き詰まる。
百聞は一見にしかず。
今後大規模な宇宙プロジェクトの予算額を見ていけば良い。
さらに「経済」の悪い兆候はバブル以降拡大するばかりだが、経済学者も経済界も悪いところには目をつむってしまっていることで悪い兆候は肥大していくばかり。
「経済」の悪い兆候がはじけたら、当然人間の繁栄も終わる。
宇宙開発どころの話しではなくなる。
さらには「経済」が環境負荷を押さえ込んでいることで、「経済」が破綻すれば環境負荷が極大になることでなおさら人類の存亡は危ぶまれる。
経済が逼迫すれば・・・日本なら炭鉱廃坑、世界でも「経済」が破綻した地域社会に目をやれば・・・それがいずれ地球規模でおきるわけだ。日本の炭鉱廃坑はまだ行き場もあるが、地球規模でおきれば行き場も無く飢え死ぬとか。
「物事を考える」時には「物事を考えない」ことの方が沢山有る。
で「想定外」でこける。

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仮想現実・拡張現実・複合現実を否定的に考える


AR・VR・MRとか言ってるけれども、おいらはこうした現実では無いモノを見ようとすることはAH(artificial hallucination(英語分からんから合ってるどうか不明)・・・「人造幻覚」)と呼ぶようにする。

「幻覚」というと、「無いモノを見る」というニュアンスだが、AR・VR・MRは「無いモノを有るモノとして見る」ということだ。
これは、一般的には「無いことに気付くということが「幻覚」であるが、「有るものと思う」ことを目指しているのだから、「そこに有ると思う幻覚」を参照して考える方が現実的だろう。
「有るものとして考える」、言い換えれば「有ることを否定しない(否定できない)」ということになろう。
となれば、おいらが想起できるのは、覚醒剤中毒者が枕元に(いもしない)虫がいるのが見えているので指で摘もうとしていることだ。
「摘めないにも関わらず」、見えていることで、そこにいることが否定できない状態が覚醒剤中毒だが、そういう見えていることで否定できない状況を目指していくのがAR・VR・MRということだろう。
もちろん、その有用性はおいら自身「幻覚」(後述)としてもっていることで否定はしないが、利益、つまり起業が消費者の消費行動を求めることを追求していくことで、その状況が問題を孕んでいるということだ。

さて、一般の人が、AHををどのように理解しているか?。
が、「有ることを否定しない(否定できない)」というのは日常のことで、しかも古来からしてきたことだということに気付けないことが問題なのだが。
良く言えば、希望とか心の支えとも言えるし、享楽に偏れば人の道を踏み外すとも言える。
そのへん少しづつ愚痴ろう。
なにせ、技術とか欲求を実現することを望んでも、仮想現実・拡張現実・複合現実つまりAH「人造幻覚」を見るということが理解できている者はいないのだから。

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宇宙でイジメて有人宇宙機爆発

宇宙に夢を膨らませているが、現実問題地上状況、その状況を造りだしている集団特性のままで人間が宇宙で長期に集団で暮らすことに危機感は無いのかよ?。

そういうところで、宇宙で長期に集団生活することの問題になるであろうことを愚痴る。

で、イジメ集団、つまり、イジメ集団を構成するイジメ加害者・イジメ被害者・煽る&囃し立てる陰口を言う・傍観者・無関心は、宇宙飛行士には向かない。
きっぱり。
これはあとで愚痴愚痴愚痴垂れるが。

まずは、このイジメの理解が、おいらの知っている限りでも専門家とか糞の役にも立たずに半世紀といったところで、「イジメ加害者」でもあるおいら化物顔(つまりイジメ被害者でもある)が愚痴垂れてみる。

気が付いたんだけど。
タバコを吸っている人に「タバコは悪い」と言ってタバコを悪いと思う?、タバコを止める?。
「イジメは悪い」と言って子供がイジメを悪いと思う?、イジメをやめる?。
同じ理屈じゃん。
したがって、「イジメは悪い」と振り回している大人は子供にイジメは悪いと理解させることはできないしイジメを止めさせることもできない。
「イジメは悪い」という人は、イジメを理解していないし、理解していないことで解決策も持ち得ない。
「イジメは悪い」というのは、門外漢の立場で、自分がその問題に関わっていることとすることで優位性や立場の確認をしているような・・・。
日本評論社 こころの科学 181号からイジメの連載が始められたが、読んでみて「こりゃ駄目だ」。
引用して突っ込むとしても、突っ込みどころが多すぎるので、持論愚痴っている方が楽・・・つまり、こういうことをこの著者にすれば、矛先を向けられるか無視、つまり子供の集団に当てはめても矛先を向けられるか無視されるかのイジメ対象ということだ。
ということで、確認のためにこの人の子供時代のクラスメイトと話をしてみたいもんだ。
恐らく不評の人だろう。
たとえば、この人のような人と極限の環境下の閉塞空間(つまり宇宙船内)に共に長期滞在する・・・おいらとしては堪ったもんではない・・・まぁおいらも似たようなもんだが。
文面がキツイ、しかも自己中・・・まぁ、持論を展開する者は概ね必ず自己中のものだが。
で、力関係的に自己中で弱いと矛先を向けられることになるので、イジメ被害者になるということだ。
これが実在の例示として、イジメ被害者側にも問題があるということだ。

「集団」である限りは、「個性」が優先されても困りもの。
「集団」を維持する適正な人間性は求められる、もちろん「許容される範囲」でということでの「個性」は認められるだろうが。

で、「イジメが悪い」と指摘されるところの、その指摘されるようなことをしていない者(あるいは忘却とは忘れ去ることなりをした者)が「・・・悪い」というのは簡単なこと・問題の解消を必要としている状況が有ることから言えることだが、「している」者は必要性(あるいは普通にとかできるからとか)からしていることで、「悪い」とは思いたくない。これはタバコ・・・つうか大人が常日頃の行動(心境?)でしていること。
このことは、子供のイジメというのも必要なことだが、大人が大人のイジメを理解する必要も有るということだ。
「大人が大人のイジメを理解する」というこことは、「子供のイジメ」理解の助けにもなるし、なぜ無くならないのか?、と言う理解にもなる。
が、大人も「悪い」とは思いたくないことなので、子供も「悪い」と思うことはない。

こころの科学ネタ・・・つうことでもないが、なんで一般論とか「イジメ理解」が現実とは乖離しているねん?、とツイッターTLで愚痴ったまとめ。

特に「イジメの専門家」というのがまるで駄目夫。
さんざん愚痴っているけれども、「イジメ被害者視点」ではな~んの解決策も出てこん。
「自分がイジメ加害していました」論よ出てこんか~い・・・は大人が偽善者ばかりで無駄なこと、だから理解も解決策も無くおいらの知っている限りでも半世紀過ぎた。
「イジメ」という時に、いかに大学とか大学関係が怠慢かの事例が有るので提示しておく。

現在ツイッターTL眺めていると「老害教授」というのが深刻な問題らしいが。
まぁ、おいら劣等生高卒ノータリンが「老害教授」に関わることはないだろうが、「老害教授」というと「老人」ということで、おいらが化物顔をしていることで同年代には嫌われ者だけれども、老人の方々とは対人関係を持っていたことで老人理解はあるので参照すると。
「現役でいたい老人」とすれば、過去の貢献から立場(権力?)に執着したい一方で、処遇に対する不満が鬱積しているわけだ。
そういうことを「老人」の方々に日頃聞かされたわけだが、「老害教授」もそういうところでは変わりないと「想定」する。
となれば、過去の貢献から立場(権力?)に執着したいことで、その周辺にいる人は愚痴愚痴とした言いがかり的な要望横暴に振り回されているということが「老害教授」という不満としてTLに吐露されているということだろう。
とすれば、「その周辺にいる人」で「老害教授」に被害を被っている人の視点では、「老害教授はイジメ加害者」の理解で異論はないはずだが。
一方で、当の「老害教授」は処遇や自身の置かれている立場に不満があり、その状況を強いられていることに「被害者意識」を持っていることも「想定」できるわけで、このおかれている状況から「老害教授」が「自分はイジメられている」と思い込んでいることも「想定」できよう。
と「想定」すれば、「老害教授」は「自分はイジメ被害者だ」と思い込んでいても良いことで、ならば、「いじめ被害者だから悪くない。自分は責められる立場ではない」で良かろう→和久田学・・・こころの科学185号 連載現場を変えるいじめの科学(5)p112いじめ被害者への支援 から引用改変。
とすれば、「老害教授」の「イジメ加害」被害を被っている「その周辺にいる人」からは怒号ものだが、さりとて言っていくところも無しを嘲り笑ってやるが。
当然のことだが、「老害教授」に「イジメ加害者」の立場を認めろ!、と言うのは詮無いこと。
これが「イジメ」の理屈なんだよ、一面的ではあるけれども。
いずれにしても、「イジメ被害者」ばかりの視点では「イジメ理解&解決策」にはならない。
「イジメ加害者自身の正当な言い分」を出せ!、ができないことに「老害教授」に大学や大学関係者が苦しんでいれば良かろう事。
「イジメの研究者」は「イジメ加害者」からの言い分を「正当なもの」として研究しなければ「イジメ理解」はないことで「イジメ解決」はない。
が、大人になれば「イジメ加害者」は「老害教授」同様「イジメ加害の意識」は無いのだから、「イジメ理解&解決」はないわけだ。

で、「子供と大人は違う!」は「イジメ理解はしない」という大人のやり口だが。
「子供と大人は違う!」というのは、「子供のイジメを理解して、大人のイジメを理解して、その上で大人と子供のイジメでは違いがあります」ということで胡散臭いインチキ論の丸出し。
大学とか大学関係の研究が劣等生高卒ノータリンにはどういうものか知らないが、「物事を理解する」という時には、今まで知り得ていることとその対象とするものの類似点を探し出して付き合わせるところからするんだろ?。
逆に、理解したくない、つまり「否定」する時には「違う」ことを突きつけるのが方法論であって、「子供と大人のイジメは違う」初っぱなから言うあるいは執着し続けるのならば、子供のイジメを理解したくないばかりか「子供のイジメが有る」ことすら否定することではないのかい?。
で、「子供のイジメ」という時に、「誰がその子供をイジメた」んだよ?、「イジメ被害者」の子供がいれば、「イジメ加害者」は確定しているんだろ?。
「老害教授」が問題なのは、その周辺の人が「イジメ被害」にあっているから深刻な問題ではないのかよ?。
この「老害教授」を引用するのは、「より近しい人は容易で有るが、より遠い(違う立場)の人は理解が難しい」ということだ。
これは理解の常識だろ?。
(教授であるなら)同じ職場の同僚はそれなりに分かり合おうとかすればよいが、(教授職からすれば)子供は「児童心理学」とか相当の専門的知識のいる遠い存在で、理解するには相応の知識がいる・・・たいがい理解できなくて対応に苦慮しているのが実情だろうに。
んでもって、(教授職とか)大人にすれば、子供時代は有ったわけで、なれば、その時の「イジメ」が有るとすれば、「イジメ加害者」も確定するわけで、とすれば、なんでその「イジメ加害者」の理解とか研究とかないんだよ?。
一つには、大人の卑怯さで、「イジメから子供を護ろう」と掲げつつも、「イジメられる」対象者というのは「イジメられる理由がある」ことを知っていることで、口には出して言わないが、「イジメ被害者」が悪いしそのことで「イジメ加害者」を容認しているというもの。
これは、おいら化物顔がイジメ被害にあっていた経験上、「化物顔」ということだけでなく、人間性の問題で「イジメ被害」にあっていたことで、その修正ができたことで55才だけど20代とかの女性と歓談している事実による。
回りにいた「イジメ被害者」もそれなりに問題あったし。
で、「心理学」が今もって人間理解が未開なのか?、それとも心理学者が怠惰なのかだが。
「悪い意味付け」は認めないというのが人間というものだろうに。
「それはイジメです」と周囲を困らせている「老害教授」に言ってみろよ!。
「イジメ」が否定的言葉、つまり意味であることは分かっている・・・が幼稚園から小学校低学年まで「意味」といことを理解しているわけではなかろうが。
人間、その行為をする時には正当な意味付け・理由付けをしたいもの。
で大人になれば、否定的なことは忘れたいもの・正当な意味付けをしたいもの。
だから大人になれば自分の子供の頃にはイジメはなかったとか木村太郎のような嘘つき野郎が平然と「イジメをなくそう」と言う。
ということは、「イジメ加害者」を詳らかにしろよ!、ということだよ。
大学や大学関係の「イジメ研究」はどんだけの「実在しているイジメ加害者」を対象として研究してきたんだよ?。
・・・つうか、今実際に「イジメ被害」を受けている者は、「イジメ加害者」のことを知りたいだろうに。
何故自分は「イジメ加害者」にイジメられるのか?、という問いに答えられるだけの研究をしてきたのかよ?→大学とか大学関係・・・数字とか他の研究論文とか振り回していたって「イジメ被害者」には答えにならない!。
うんだから、大学教授は目の前の「老害教授」を理解しろよ、対処して見せろよ!・・・は、はなっから無理だろうが。
自分が子供の時に「イジメ」たことを例示しろよ。
子供の時に「イジメ」をしていたクラスメイトを研究しろよ!。
これが一番の大笑いだが、先生になろうと大学で勉強するとかだが、ならば、自分が高校・中学・小学で「イジメ」ていたことの理解はどーすんだよ?。
「イジメ」ておいて、先生になって教え子に「イジメは悪い」と諭すのかよ?。
んでもって、「イジメ」を観ていたとして、その「イジメ加害」のクラスメイトを見過ごしておきながら、自身の受け持ったクラスの「イジメ」に困惑して困り果てるのかよ?。
学校の先生しようってんのなら、目の前で起きていた「イジメ」を理解しとけや!。
「イジメ加害者」のクラスメイトを面接なり研究しとけや!。
それが自身がクラス担任した時の「イジメ」の対処の足がかりになろうに。
「自分が子供の頃にはイジメはなかった」と言って困り果てろ!。

「イジメ」には当然「イジメ被害者」側の問題もあるのだが、大人は子供の「イジメ」は理解しないのだから「イジメ被害者は悪くない」とお茶を濁して無駄な論議を繰り返し事。
で「子供のイジメをなくそう」・・・なくなるか!、つうの。
これも税金つぎ込んでしているとしたら、それこそ税金の無駄遣いだよなぁ。
教育委員会とか文部省とか。
「結果が出せない」のは理解や方法が不適切か間違っているかだ。
「結果を出せない」なら理解や方法を見直せよ!・・・が通じない「イジメをなくそう」は駄目思想だな。
そういや、結果(解決策とか理解(数字とか他の論文振り回すってのはまるで理解でない))も出せないのに「イジメ研究」している研究費出し続けている大学も斜陽だな。
結果が出せないなら切り捨てるくらいの覚悟でやれよ!。

ツイッターTLで「イジメ被害者が悪いというのは・・・」とかあるが、世の中・対人関係はキビシイんだよ。「イジメ被害」をなくしてやったとしても、「イジメ被害者」に問題が有ったんじゃぁ社会を渡り歩くにも苦労するだろうに。
現実問題、おいらも「健常者キチガイ」つまりどーしーよもない「イジメ加害者」にはヒデーメにあわされたが、一方で、繰り返し「イジメ被害」を受けるのは周囲にとって欠点を問題にされているということでもある。
「障害者」という時には一般人には「障害者はいなくなれば良いと思う」ことは「平凡」なことでしかないが。
だけれども、「対人関係上の欠点」を持つ人を誰しも相手したくない。
このことは、「イジメ被害者」が対人関係で要求するのでも変わらない。
「イジメ被害」という時には、「対人関係上の欠点」があるなら指摘・改善できんと、生きていくのにず~と苦労せにゃあかん。
「改善」を求められば「改善」せにゃぁ・・・というのは一方的で、自閉症スペクトラムが入ってくると、まともに話にならん。
とかく人間は難儀・・・。
大学とか大学の関係の人間理解、特に「コミュニケーション」はあて糞が無いし。


件の障害者殺傷事件ということで「障害者」・・・にはウーンだが「R2ーD2の中の人のケニー・ベイカー氏」がお亡くなりになったということだが。
そのことについてツイッターTLで突っ込んだ→なにかにつけて「健常者のしかも出来の良い人」しか人前に出さないからね。
「障害者はいなくなれば良いと思う」は一般の人にとっては「平凡」なこと。
たいがい、公共放送の無駄遣い番組と24時間嘘番組でしか「障害者」の一般さらししかないからね。
まずもって、一般人は「障害者」を視野に入れない・関わりたくない。
で「障害者」というものをまず知らない。
で、(知ることのない)「障害者はいなくなれば良いと思う」は一般の人にとっては「平凡」なこと、なわけだから、一般人の知的水準は疑わしいもの。
「障害者」は視野に入れない、のが一般のことだから、自分(や自分の家族)が「障害者」になれば、社会から自分(や自分の家族)は抹消されるだけ。
そういや、日本にも「小人」はそれなりにいるはずなのに、な~んの話題にもならないな~。

「BSC愚痴」に書いていることだけれどもまぁここにも愚痴っておく。「障害者」という時には「見ため」と「レッテル貼り」で一応一目瞭然(「レッテル貼り」だからなぁ・・・)だけれども。
「炎上」とか「攻撃の盛り上がり」をするのは、認知の歪み・共感の障害・自制の無さ(つまり攻撃性)とか「人間性の障害」によってだけど、この「人間性の障害」を持つ人はこの事を「障害」つまり「自分が障害者」であることは認めないからなぁ。
認めないし、まして認知とか認識もしない。
で、「うるせえ障碍者になったときは死にゃ良いんだよ今日の食い物と寝る場所を寄越せ」、こういう人と「脳と脳を繋ぐ」ことでコミュニケーションしてれば良いじゃん。
で、自制の無さというところで、BMIで重機繋いで大暴れしていれば良いじゃん。
「夢の技術」というのは、どこかで「人間」の存在を無視しているもの・・・これを「想定外」という。
「障害者」を攻撃する人、というのは目先に目立つけれども、人間全般にわたって、認知の歪み・共感の障害・自制の無さ(つまり攻撃性)ということを研究&改善せにゃ、「夢の技術」と「人間」の未来」は暗いわな。
「脳と脳を繋ぐ」という時に、「うるせえ障碍者になったときは死にゃ良いんだよ今日の食い物と寝る場所を寄越せ」というような人と「自分の脳を繋ぐ」のがよろしかろうということで・・・実際、世の中が困窮するようなことになれば、こういう思想が蔓延しているわけだし・・・。
重複しているところも有るみたいだが追加。

物事には専門家がいて、その問題の解決にはその専門家に相談、というのが王道(?)だが、「イジメ問題」では「イジメの専門家」がまるで信用ならん。
考えてみれば当然のことだが、「イジメ加害者」の方が大多数、石を投げれば「イジメ加害者」に当たる、のが社会というもの。
だとすれば、「イジメ加害者であったイジメの専門家がいて当然だろうに、それがどこにいるんだい?。

取り立てての「イジメ事件」としても「犯罪者」ということで、社会一般が「イジメ加害者」という論点で言っているのは無かろう。
が、「イジメ」が悪い、というのはどの方向を向いて言っているのだろうと疑問に思う。
考えてみれば当然だが「タバコを吸うのが悪い」たって、その他何でもだが、自分がしている行為を「悪い」と意味付けされたくない。
否定するか屁理屈付けて肯定しようとするもの。
つまり子供が「イジメ」をしているとして、「それはイジメですよ」とか「イジメだから止めなさい」というのは「タバコを吸うのは悪い」と同じ意味でしかない。
タバコを吸っている大人にどんどん言ってやろうぜ!「タバコを吸うのは悪い!」ってね。
それを、「大人だから子供に言わなければならない」とか「悪いものは悪いと言わなければならない」たって理屈に合わねーだろーが!。
根本的に人間理解が欠如していることで、「イジメ」理解も屁ったくれも無いことで「イジメ」解決も無い。
ツイッタータイムラインで見かけたのに、クラス会して久しぶりに会ったが、イジメの専門家になってるというのに、「お前にイジメられたから引き篭もりになったんだよ」と言ったらいなくなったとかあったが、実際、「石を投げればイジメ加害者に当たる」ごとだから、「イジメ加害者」が専門家になっていることも有ろう。
とすれば、「イジメの専門家」しているのにクライエントの親が、自分が「イジメ」た相手だった、と言うのも現実に有りそうだが、その時には「イジメの専門家」はどういう顔をするのだろうか?。
当然、クライエント側にすればふざけるな!、ごとだが。

おいらんとこもクラス会があった。
おいらは行かなかったが、おいらが「イジメ」たクラスメイトの紹介文がどうにも気に入らない。
今時の働いている立場を全クラスメイトに伝えるというのはいかがなものか?。
ほんまでっかTVによれば、クラス会主催したい側ってのは「自慢したい」からだそうだが、開催葉書の代表者の文面のへりくだりが「わしはこれくらい偉くなったんだぜ~」というのが見え見えで、おいら化物顔は「人間以下でしたが人並みくらいには生きています」と返信。
クラス会後の印刷物に、クラス会時の話題とか、返信の記載を寄せ書きにしていたのにはおいらのは無かったけどな
クラス会は自慢したい者主催、つまり「イジメ加害者」サイドということにもなろうから、「イジメ被害者」に詰め寄られたら赤っ恥ということも有ろう。
にしても、大人からこういう「イジメ」話が公に問題・論議されないのはどういうことだ?。
つまり大人にとって、子供時代のイジメは深刻な問題にしたくない。
なら今の子供の「イジメ」も深刻に考える筋合いはねーじゃぁーねーか!、ふざけろよう→大人。

まぁ、おいらも「イジメ被害者」と言っても、おいらにも人間としての問題点が有ったわけで。その点改善したことで、56才で30才前後の独身女性とか話し相手になってもらっているわけだけど、その経験・実践からすれば「イジメ被害者」に非があるとしてはならないというのは否定的だが。
「イジメ問題」というと、大人は門外漢で自分を肯定するための道具としていたいようだが。
「イジメ問題」を自分を肯定するための道具にしているから「イジメ問題」は解決策も無い。
まぁ、人間というものが「イジメ」という存在なので、もともと人間に解決できるものでもないが。

思い出すに、統廃合で小学校がバス通学となった時に、クラスメイトがなんだったか忘れたがおいらの顎を殴りつけて、「顎がぁ、顎がぁ」と痛がっていたのをおもいだすが。
そいつは中学でも先生のネクタイ掴んで食ってかかる、まるで漫画のような奴だったが。
で、そいつの地域の近くなのかどうか知らないが、もう一人クラスメイトがいて、聞くに精神病院勤務だとか不確かだが。
では、そういうところで働き出して、(あえて差別的表現をするが)このような人達を看ていて、先生のネクタイ掴みかかっていたクラスメイトをどうするべきだったのか?。

高校の時にはおいらの首にベルトをかけて振り回した居眠り常習犯がいたが、なんでも広島市の繁華街で女性を取り巻きにしていたと、自ら女性関係が悪いと自慢していた先生が目撃したとか。
こいつを見ていると、大学のエライセンとかが言う「生活の更正」ということがどんな方法をとってもまるでできそうにない。
失礼ながら、現在「イジメ被害」で悩んでおられる親御さんがた~くさんおられるが、木村太郎の氏の弁のごと自分の子供時代「イジメ」は無かった」のでしょうかな?。
「イジメ加害」をしてはいなかったのでしょうかな?。
そのへんでうそぶいていたら身勝手で解決策なんて有りませんよ。

実際に、1(2?)年+6年+3年+3年(+2ないし4年・・・大学院は何年?)の間に「イジメは無かった」という幸せな人は存在しているのも事実であろうが、それだけの長い間に「イジメ」を目にすることはなかった、と言うのは信じることは出来ない。
「イジメは無かった」という理由のいくつかは記述できるが、それは置いといて、「関心が無かった」ということは言い切れる。
つまり「イジメ被害にあっていますから関心を向けてください」と回りにいうことが意味が無いということだ。
未来の事実として、今「イジメ」が有る回りのクラスメイトが大人になれば「自分が子供の時にはイジメはなかった」と言うのは間違いない。
「イジメ被害者」には気の毒だが、「イジメ被害」を受けている深刻さほどに回りには深刻さは無い。
これが「イジメ」の現実というもの。
一方で経験談だが。
前の会社で上司面の「健常者キチガイ」が、若い者引き連れてタバコ吸いながら無駄話でおいらに仕事を押しつけていたが。
そいつは「そうできるもの」と思い込んでいたいわけで「イジメ」をしているなんざぁ思うっちゃいねぇ。
これも「イジメ」の実態の一つ。
したいから・そうできるから・そいつにはそうしてやらなければならないから、している、というだけのこと。
これも「イジメは無かった」の実態の一つだが。
って、「イジメ問題の専門書(あるいは専門家)」にはこういう事実を言っている者はいるのかよ?、言っていないならペテン師だ!。
でそいつが46才で5子めをもうけたって、常識的でないと思うのだが、それは置いといて(非婚を決め込んでいるおいらも人のことは言えないが)なんでもその子は体が弱いということだ。
が、「体が弱い」というのは「イジメの対象」にされるというのが世の条理。
来年とか学校通い始めるはずだから、クラスメイトになる子供達にた~っぷり「イジメ」てもらおうじゃぁね~か~。
で「イジメ」られたとこいつは学校にどなり込むんだろうか?。
ふざけるな!。

一方で、「タバコは悪い」つまり、「悪い」という意味付けは誰しも認めたくはない。
当然、「イジメ加害者」の子供であれ、ましてその親御さんであれ。
そうなれば、逆に「イジメ被害者」の非を探すもの・指摘するもの。
まして、上述の3例とか、「異状がある」とか「障害があるからでは」という指摘は、障害のある子を持った親御さんがその障害が有る現実を向けられた時のようなもの、けっして受け入れられるものはない!。
そういう事例が身近であるが、障害者ということで伏せる。

「学校」に通わなければならないということが問題である一方で、人間が社会性動物であり社会の関わりを学び身に付けなければならないことで、学校に通いクラスメイトとすごさなければならない、ということで解決策も無く。
大人や大人社会は言わないけれども、「イジメ加害者」はそのまま大人になって大人社会を構成し、「イジメ被害者」は「イジメられる問題点」を解決しないままで大人社会に入っていけば学校にいる時と同じように「イジメ」られる者がいるというのも当然なことで。
「イジメの専門家」とか「イジメ被害者」は悪くないとぬかしているけれども、問題が無くても「イジメ」る頭のおかしい者は事実いるとしても、「イジメ被害者」側に問題があるとすれば、その解決・修正・矯正しておかなければ、学校で「イジメ」られた様に社会に出ても「イジメ」られるつーの。

また、ツイッタータイムラインで「イジメ被害者は悪くない」と言っているけれども。
ミソは、「自分が子供の頃にはイジメはなかった」・・・子供の頃にイジメ加害していた者共も納得賛同していればいいじゃん。

ものごとは、情勢によっていかようにでも評価を変えるものなんだよ。イジメだって、どっちの立場でも評価はその時々で変えるもの。

おまけ、おいら化物顔はイジメの対象であったし、世に出て通学路を散歩するのを楽しみにしていたら、広島県広島市牛田新町小学校に不審者として警察に通報事。世情無視してな~に言ってんだか。

何度繰り返そうが無駄事だが、大学や大学関係の人間理解があて糞が無いことが一番の問題。
「自分が子供の頃にはイジメはなかった」じゃねぇ!。子供の頃から老後まで追跡調査しろ!。

大学教授とかはそれなりの歳だから、小学校のクラス会すれば、「被害者・加害者」雁首揃えるわけだからどのように生きてきたか聞き取り調査しろよ!。

だいたい、学校の先生やっていれば、「イジメ被害者」に「味方ばかりしていられない」っての本音だろう。
ま、立場上「本音が言えない」のが先生だが。

「技術」や「夢」の先行だけでは人間は幸せになれない

またいずれ長々と愚痴る。

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