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BSC愚痴続き

BSC愚痴が、ページ容量オーバーしましたので、続きはこちらに移行させました。

ここでローリー主任を双極性障害として、恣意的で狭義なことに描写しているのだが。
「キチガイ」というと、「躁病」「(あえて差別を前面にする)精神分裂病」「癲癇」というのは「キチガイ」とはまったく別のりかいのはずだが、これは健常者の方が「キチガイ」か?。
もちろん、というのも理解の無さだが、独裁者とか主導者の残虐行為から「キチガイ」「異常」ということもあるだろうが。

さて、こうしたことは、学問上大量の論文や文献、研究もなされているところだろうが。
BMIというか、SF的には「大量の情報を取得して」理解するとか対応するとかの表現だが、現実では現実的ではない。
これは、すでに「検索」で証明されていること。
どんなに大量の情報を得るとしても、適切な解は一つあれば良いのだし、ところが「検索」で適切な解が得られるとも限らない。

んでもって、すでに愚痴っているが、目の前に「キチガイ」「異常者」を前にして、「理解」ということが意味が無い。
現実、「精神障害者」あるいは「知的障害者」その他脳機能異常者の理解とか現実世の中では訴えられているが、その専門性、難解さ、大量の情報、対応の難しさ、TPO・・・、そうしたことを俯瞰してこのような人に対応するなど、その専門家さえ苦慮していると言うもの。
このことは、その障害を持つとかその家族というところで大変な負担になる、おいらの甥っ子も脳機能理解できないところのの障害だそうだし。
それはつまり、周囲にいる他者にとっても大変な負担というか対応不能と言うか。
くどいが、おいら化物顔の天敵「健常者キチガイ」も対応不能大変な負担・・・まぁ、おいらだけでなく、周囲に軋轢をばら撒く輩だからしっかたないが。

そうした時に、BMI・・・まぁ「脳」と「脳」を繋ぐ、方のことになるが、これで「SNS」とか「検索」とか「互助会」的に、ユーザーがこうした人を前にして、(提供されるサービスとして)対応を求めるというのは現実的だろうか?。
この「障害者」がわからすれば、「理解」や「認知」を求めたいニーズがある。
一方、「健常者キチガイ」のように、自身の尊大とか誇大妄想的な過信・他の不当・見下し理解を周囲が同様に共通理解を求めたいニーズ、などは拒絶したいところだが、「健常者キチガイ」にすれば過大なストレスでしかないだろう。
若い時には「話題の提供者」としてけっこう人気を持つが、年取ってくると人のことはどーでもよくなることで、若い時のまま同じことをしていればめんどくさくて相手にされなくなっていくものだが。
これは、ネット(実名の方?)社会でも言えるだろう。
他方、幾つかの精神疾患か脳機能障害か知らんが、適切な対人関係を必要としているものもあるとか。

だけれども、ネットの現状を鑑みれば、おいらのような「めんどくさい者」はブロックしたいというもの。

繰り返すが、「脳」と「脳」をインタネットで繋ぐとして、リアルで「キチガイ」「異常者」と出会ってしまった時、その「知識」つまり論文や専門書は詳細に莫大でありさらに専門家さえ苦慮している状況から、「検索」が意味も用も成さない。
だけれども、「前にいる」と言う状況はどうするのか?。
あるいは、ネット接続で絡まれた、時にはどうするのか?。
結局のところ、「健常者」サイドにすれば、「ブロック」が最良か常套手段と言ったところだ。
現状のインターネットサービスにしても、「繋がり」をサービスとして謳う一方で、表立っては強調されないが「適切・的確なブロック」を提供するということもインターネットサービスの必須条件である。
この「適切・的確なブロック」ができなければ、消費者のインターネット利用が破綻してしまうのが自明。
これはつまり、「キチガイ」「異常者」から「健常者」サイドを護るためには必要なことの一方で、「キチガイ」「異常者」を護るために必要なことでもある。
こういう「弱者」を風評や炎上のターゲットにしようというのはありふれたネット社会の実情。
一方、「キチガイ」「異常者」・おいら化物顔の天敵「健常者キチガイ」は絡むことで増長するというか増悪していく場合がある。
もちろん「キチガイ」や「異常者」に対峙することで「健常者」側がパニクることだってある。
そのためにも、「適切・的確なブロック」が必須であるのも事実。
が、現状インターネットを利用する「消費者」は、ご都合主義に自分の都合の良いものを求めたいし、その条件を破壊してくると思うような者は「適切・的確なブロック」をしたい、ということだ。
それこそ表立っては宣伝されないが、「検索」するというのは、不当だと思うことには不当を提示するもの、好感を持っているものには好感を提示するもの、を検索結果として求めたいものだ。
となれば、「キチガイ」「異常者」がその理解を求めようとインターネットで周知しようと広報活動をするとしても、その「知識」つまり論文や専門書は詳細に莫大でありさらに専門家さえ苦慮しているようなことは理解するには負担でありそういうめんどくさいことには関わりたくないことから、無駄な労力だと言える。
しかも、社会は否定的なことには攻撃の矛先を向けたいと言う社会心理すらある。
この社会心理は、風評・炎上といった攻撃が日常茶飯事ごとの一方で、社会認知から抹消されていることも日常のことであるが。
一方で、ジェネレーションギャップというか、「老人」問題はこの、「脳」と「脳」を繋ぐ、とした場合、現状若者との隔たりが問題になっているが、さらに前に愚痴ったように、「検索」の対象外ということで隔たりが大きくなるのではないのか?。
このことは、若い人にとっても、自身が年を取れば、その時の若い人から相手にされなくなるということのはずだが。
「拡張現実」からすれば、「老齢な容姿」よりは「若年の見栄え」に「現実の人」はこだわりたいところから、この辺がトラブルの種にもなりえようが。

現実問題、若年は老齢を避けたい、と言うのが正直なところ。さらには、好む人を求め、好まざる人は避けたい。
それが、「脳」と「脳」を繋ぐ、ことでの反映されたサービスを提供するということになるはず。
このことは、「脳」と「脳」を繋ぐ、ことげネット接続として提供されて多くの利用者となれば、どこに誰がいるかを「検索」できるようになるということであり、その「検索」は「検索」するというのは、不当だと思うことには不当を提示するもの、好感を持っているものには好感を提示するもの、であることから、求めたくない人をピックアップして出会わないようにすることが可能になる、ということのはずである。
となれば、「キチガイ」・「異常者」はもちろん、苦手な人や好まざる者、さらには若人であれば老齢な人にも出会いたくない、つまり日常でブロックしているように出会わない選択をとることが可能になるはずだ。
このことは当然、「キチガイ」・「異常者」さらには「老齢の者」が「交流の機会」を失っていくということになるはずだ。
これは、必ずしもデメリットではないのだが。
だが一方で、キチガイ」・「異常者」さらには「老齢の者」が「交流の機会」を求めたい、時にはデメリットである。
当然、長生きすれば、「交流」を求めたいとしても、爪弾きにされては面白くない。
「キチガイ」・「異常者」・・・まぁ産まれながらという場合もあるが、健常者が中途からなる場合も有れば、生まれた子供が「キチガイ」・「異常者」であったなら、我が子が「交流」から爪弾きの憂き目を味合わされたのでは堪ったものではない。
「脳」と「脳」を繋ぐ、とした場合、これはネットワークと言うことになるわけだから、「脳」の問題があると同時に、現実社会との関わりでも問題になるはずだが。

「脳」と「脳」を繋ぐ専門家、というより大学自体が現実社会の問題を軽視あるいは認識していない、特にイジメは顕著で、このため、「脳」と「脳」を繋ぐ、ことの問題は軽視されることで、深刻な問題が噴出していくことが想定できる。

ツイッターのTLで見かけたが、まぁ、おいらの人生で二人目というか、とにかく「楽しい」ことを選択していたい系な人間。
逆に言えば、「煩わしい」ことを遠ざけていたい。
人生というものは、煩わしいことは避けては通れない。
悪く言うと、「必殺シリーズ」の「麻(大麻?)」の回の無責任で短絡な若者といったところか。
こういう輩が「仮想現実」や「拡張現実」にはまっていくとか。
上に愚痴ったが、こういう輩は「煩わしい人」というか、困難を抱えている、つまり「楽しい」ことではないことは遠ざけたいだろう。
となると「地域での社会支援」とかなおざりの一因にもなりえるはずだが。

んでもって、「経済」からすれば、今の若者から豊かさを搾取する手法としてエンターテイメント花盛りだが。
このことで、一部の若者が「簡単」「お気楽」と脳教育されることで、就労ドロップアウトになるのは小気味良いことだが。
福島メルトダウン地域者再就職でも、就労対給料で折り合いが付かなかったが、「働く」ということに対して、賃金が必ずしも思い通りに得られないのが現在の実情であるとともに、その強いられる、つまり就労者が払わねばならない労力ということでの折り合いも付かなくなっている。
「面白い」「簡単」が今のエンターテイメントのキーワードといったところで、現状仕事は厳しく複雑難解・・・そりゃ、エンターテイメント育ちには合わんさ。
もちろん、全ての若者が、ということではないが。
「経済」は「切り捨て」ることだから、「経済」は富の搾取の対象としても、就労の対象では無いことで「切り捨て」れば良いとするところだが、問題は「切り捨て」るからには補給しなければならないが、必ずしも補給で人材が満たされる分けではなくなってしまったと言うことだ。
「経済」が「若者からの富の搾取にエンターテイメントを使う」ことが世界の隅々に行き渡らせることにしてしまうことで、就労に合わない「切り捨て」る対象になりえる就労者は世界中にいるということになる。
もちろん、その選択の手法があるとしても、「就労に合わない者」を働かせないままには出来ない上に、どこかの「経済」に紛れ込んでいることで、その紛れ込まれさせてしまった「経済(つまり企業・会社)」が足を引っ張られるところはあるということだ。

企業主導で、「仮想現実」「拡張現実」「脳」と「脳」を繋ぐ、当が商品かさていくのだろうが、当然「若者からの富の搾取」を主眼において商品開発されることになる。
このことは、現状「煩わしいことを遠ざけたい若者」ということで問題が顕在化していないが、こうした技術への親和性が高い若者が多ければ多くなるほど「就労」や「コミュニケション」「社会との関係性」で問題が拡大していくことにもなりえると言うことだ。
まぁ、多くの「煩わしいことを遠ざけたい若者」がこうしたサービスを利用してもらえれば、サービス提供会社だけは富を築けることになるだろう。
繰り返すが「経済」は「切り捨て」るこもの。
こうしたサービスを提供する企業側にすれば、問題の噴出は「切捨て」ていれば良いだけで、「就労」や「コミュニケション」「社会との関係性」などの問題は無視して他に押し付ければ良いと言ったところ。

現状、問題が噴出している(例えば大学のネット接続環境が学業とは関係の無いことへ利用されるとか)のにも関わらず、その研究機関である大学も問題意識も無く、社会としても対応策も持ち合わせていない上に、「経済」を追求、つまり「若者からの富の搾取」も野放しの状況。
これが「仮想現実」「拡張現実」「脳」と「脳」を繋ぐ、ことで「若者からの富の搾取」に利用されるとすれば、さらに問題の深刻化が予測できるところだが、それでも「経済」として野放しにされていくのであろう。
深刻な問題を抱え行く未来に乾杯!。

掌の感触によって情欲を膨らませているとはいえ、評価を得られない不満の向けどころの無さから、今もって頑なに評価を得ることに執着しているミリーだが。
 ローリー主任が認めてくれたことで、ミリーの不満が少し捌ける。
 さらにはローリー主任が彼をデューク以上に評価したことで、ミリーの不満が一気に萎む。
 求めたい評価ではないにせよ、デュークより評価が上回っていることをミリーはなにより求めている。
 それでもいいように動きを封じられている不満と、手にしている心地良い柔らかな膨らみの感触から情欲を肥大させ、ミリーは掌でルナの胸を強く揉む。

まだマインドコントロールごとだが。
こうして考えると、人は「自ら思うところをマインドコントロールしている」といったところか。
人の思うところをマインドコントロールする、という文脈はいたるところにありふれているが、「自ら思うところをマインドコントロールしている」という文脈がありふれているようには思えない。
心理学的には、「拘り」「囚われ」「執着」とか言われているが、マインドコントロールという時には、さらにそれらがどのような働きによって「拘り」「囚われ」「執着」が湧き上がってくるのか?、という心の理解が必要になるといったところだろう。
ここでは、求めたい評価へ「拘り」「囚われ」「執着」しているということになるが、ではそれはどうしてか?、という理解なくしてミリーのマインドコントロールという分けにもいくまい。
これは、「動機」とか「意識」より下の心の有り様と言うことだ。
「無意識」と言うことではない。もって生まれた「素養」「性質」ということだ。
「心理学」とかは「心(無意識も含めて)」の理解とかだろうが、「素養」「性質」は「心が沸く(?)」ところの有り様ということだ。
三つ子の癇癪?。
まぁ、大学の「こころ」の理解も今もって五里霧中だし。

んでもって、女性から批判どころだが、人間の本性を抑制あるいは制御することがその人間にとって良いことなのか?。
あるいは、そうされていることが人間らしい生活をおくれるというのか?。
当然、おいらロリコンとか、犯罪指向が顕著であれば、人間の本性として抑制・制御を強要するとかだろうけれども。
だけれども、ロリコンとか、拡大解釈では民族性というところで、その全体を思考統制するとかというのもナチス的だが。
一方、そうであるなら、犯罪性の線引きもあやふやということになる。
一方で、犯罪・・・これは表立ってということだが・・・は蔓延していることで、、被害者を護るとか犯罪者を未然に防ぐとかする方策を求めたいのが実情であるが。
一方、例示しているように、「行為」をもって「犯罪」にするということが、必ずしも確証性があるわけではない。
時と状況、関係性によるわけだ。
これは、強姦犯の1/3とかは、関係性が理解できない、つまり犯罪であることもできなかったりする。
痴漢も女性側の一方的な思い込みや、それこそ犯罪利用で冤罪ということもありうる。
一方、人間おかれている状況によっては、「拘り」「囚われ」「執着」を肥大させてしまう。
ロリコンで言えば(これは、自分と言うことでの理解と、社会的な肥大した妄信にもよるが)、少女が身近にありふれていることや、好んで求める情報によっても犯罪を誘発されうるし、おいらが警察に通報されたように、社会の方が差別や偏見を肥大させて強硬な行為に及ぶことさえある。
広島市牛田新町小学校が通報して対応したノータリン警察のことで書いたが、犯罪者側が逆切れするとか社会側不安を排除出来ないことで騒乱になるとか、激情や憤怒によって状況が悪化する危険があるのは人間の常。
つまり、「マインドコントロール」としても、限られた対象に施せば問題が解決するわけではない。
おいらのように化物顔は一般人には嫌悪の対象でしかないが、化物顔を社会から追放(隔離・引篭もらせる)するとしても、家庭内事故とか、顔に怪我を負う事例が後を絶たないことで、嫌悪を向けて追いやりたい側の人間の子供がそうなったらどうするのか?。
これは、精神病とか様々なことで言えることだが。
「マインドコントロール」以前に、人間が社会的認識(問題を起こす方、その問題に直面する周囲の人双方が)を得るだけの知性だとか知能を持ち合わせていない方が問題と言うことだ。

「そんなことだから、動物の生態についてはプロフェッショナルなフレリアさんに、動物の動きを模倣したモーションデザインを託すことにしたんだ」
「フレリアさんが備えている能力は我々が推して知る資質を遙かに上回っていてね、僅かの生態の動きの違いを観察して詳細に明示してくれたことで、フッターの開発に目処がたてられたんだ」
「アフリカに生息する草食動物の類は知っているかな?。その幼少期の動きは来場者の皆さんもドキュメンタリーで見覚えがあると思うんだけど、跳ね飛びながらの瞬時の移動法はぜひ模倣したかった、としてもフッターとは構造的にまったくの別物なのだから、機能的に模倣するというのも我々には無理なことでしかなかった。けれど見てもらったように、そうした動き方のできる動物と比較しても、遜色のないフッターの動きとして先ほど見てもらったんだ」
「フッターの開発では、獣医や動物研究者らと動物の動きが模倣ができるように目標を掲げて取り組んできたけれど、データーを取って動物の力学的構造解析をおこなって、フッターの機械構造への変換を試みてみたが、僅かのベクトルの方向性や支点の位置関係の違いなどはどうにもならないだけならまだしも、その上にバランサーや耐久性などの問題の解決の目処もなくお手上げといったところに、」 
「フレリアさんはより単純なモデルにして提示してくれて、大助かりの成果で今日のお披露目となったんだよ。けれどね、メディカルの要望を入れて人を支援する動きとなるとこれがちぐはぐで、・・・」 

大学へも行ってないのに研究者言動なんて説得力も無いが。
んでもって、単に近年のカタカナ語を貼り付けてみたってところ。
モーションデザインのところは、BSCの機能の内の「自動化照会装置」で愚痴っているが。
繰り返しだが「装置」が良く分からん。
GPSは最初筐体に入ったけっこう大きな機械だったはずだが、今は切手大くらいの大きさの部品。
BSCヘッドギア端末では、「自動化照会装置」はそれくらいの大きさを想定している・・・まぁ、オンライン機能にすれば良いが、端末側に機能保持というか、脳へアクセスしなければならないことで、部品的に端末側に実装されているべきこと。
通常、創作では人の才というのはすぐコピペできるようなことを謳っているけれども、現実問題「脳」の機能が変わっているとか体がその才を発揮できるように訓練されていることで構造が変化していたりするので現実的で無い。
すでに戦闘機操縦で愚痴っているけれども、訓練と教習なくして戦闘機で戦闘はありえない。
だが、ちょっとしたコツが分かれば、自体の打開策にはなる場合もある。
心臓マッサージとか。
あるいは、その人の知識が他に流用できるとか。
以前愚痴ったはずだが、状況という時に、その状況を理解するのはどーするんだ?、という時にも「匂い」だとか専門家の理解が打開策になるとか、他者の具えた能力をBMIとして機能させることができれば、といったところ。

BMI・・・BSCとは関係なく、ロボットごとだが。
機械的なことでロボットが動物を模倣というのはかなり困難ごとのはず。
あちらさんは、自然の摂理とかで体の構造ばかりか脳の機能を進化させてきたのであって、それをまったくことなったメカニズムで機能させるというのも理解しがたいが。
ということで、動物の能力を人間にコピペというのはそうそう出来ることではない。
だが、一つもんだいになるのはBMIでロボット操縦という時に、ヒューマノイドなら順応できようが、他の生き物模倣となれば、かなりの自動化が必要になろう。
さらには、動きが独特となることで、操縦することでの視認つまり表示方法にも工夫がいるはず。
崖を蹴降りるヤギだったか羊だったか、そのまま見たとおりを不慣れな者が操縦すると言うわけにもいくまい。
これも熟練者からの「自動化照会装置」がコピペできればだが。
「自動化照会装置」というのは、「脳機能」での「自動化」ということ。
考えなければできなかったこととかが、繰り返すことで考えなくてもできるとかといったところ。
なんでもBMIが「自動化」(かどうかしっかり文献参照していないが)とかで、脳波が正確に計測できなくなるとかで苦戦しているらしいが。

チグハグというのは、介護を日本古武道でとかあったが、介護(や運動機能の支援)ということがまったくの近年ごとで、しかも「自分独りで動くことではない」ことから、今後人がするにしても、ロボットがするにしても、ソートーの研究の時間と労力を要することになるだろうけど。
こころへんがBMIでも問題になるだろうけど。
協動だっけ?、一体のロボットが物事に取り組むのに幾つかの動きを協調させてというのは有るけれど、人間や他のロボットと強調してというのは、まだまだ難しいだろう。

贋駄夢とかそういう場面を描写しているけれども、何をどこまで自動化するか?、ということも考えなければならない。
「感覚追従インテリジェント機器選択機能能動装置」とか妄想しているが・これもBSCヘッドギア端末に組み込む装置だが。
すでにどこかで愚痴っているが、現実は、戦闘機にアビオニクスとか、BMIではなくてすでに実現されていることで、BMIでいることなのかなー?、と考えてもいるが。

ここで少ししか触れてないが、一般論的な創作モノ(?)は「情報量が多い」という設定のものがありふれているはずだが、こうした設定はリアリティが無い。
現状、インターネットには情報が溢れているわけで、「検索」かければ大量の情報がズラーとでてくるわけだけど、で?。

つまり、ここでは二つの問題がある。
一つは、「大量の情報」を「脳に送り込む」という設定。
もう一つは、「検索」。
あと一つ、「有効に使う」ということもあるが。

「情報」の量は、一般的には「物知り」「博識」として重宝されるのだが、専門ということでは一般受けはしない。
でもって、我々は「ものを覚える」というのは、日々の暮らしの中での知識や情報を少しづつ蓄えていくことで、一度に沢山覚えるというのは現実的で無いし、脳の機能として一度に「大量の情報」を覚えるというのはどうなのか?。
これは「夢」の脳研究の方から考えることらしいが、専門家で無いからわからんし。
希少な人では日常の全てのことを覚えている人もいるけれども、そういうことは非日常のこと。
まずもって、普通に生活していくのに「博識」である必要性は無い。
んでもって、その事の有る度に、「大量の情報を脳に送り込む」ということが現実的なことなのだろうか?。
で、事がすんでその情報は保持するの?、忘却するの?。
当然だが、日常の「想定外」の事態というときには、その専門性(の情報を持つ人)を持つ人が対応することになる。
そうなると「検索」・・・「参照」・・・思い出すことが必要になる。
年寄りが「あれはなんだったかな~」ということだが、覚えていたとしても、その時に出てこないと話にならない。
さらには適切な「参照」であるのか?。
これは、医者とかだが、日々の診察、だけでなく研鑽というか情報収集もいるわけだが、その情報というのは今までの研鑽で培った知識や理解力が必須ということになる。
単純に病気と薬物と効能を情報として持っているだけでは役に立たない、当然。
一方、「検索」「参照」できる情報を持ち合わせていなければ役に立たないのも事実だが。
ということで、インターネット上では溢れている情報を「検索」してくるわけだが。
これが、どれだけ「その事有ること」や「想定外」に対して有効であるのか?、を問えば、「インターネット検索」の価値も分かるると言うもの。
たいがい、取るに足らないことを「検索」しているのが「日常の検索」。
でもって、「検索」という時には、「内容」ということが問題ではない。
いかに「内容を削除」しているかが問題。
が、「情報」というのは、「情報の複合体」であって、ある「情報」はその他の幾つか・あるいは多くの「情報」によって「情報」になっている。
「犯罪」であれば、「刑法」や「民法」や「判例」等々。
が、われわれ非専門の凡人は、そういう専門の「情報」は「削除」して求めようとするのが常。
言い換える、情報化社会ではあるが、一般人は「情報」に敗北していると言える。
「かいつまんで」が今の「検索」の主流だが、そこには内容も内容を支える「情報」も無いわけだから、「知っている」ことにはするけれども、「理解」やまして「使える情報」にはならない。
これ、自分が専門のことに、素人が簡単そうに言うと腹が立つとか呆れごとだけど、人の専門に言うのには我こそは正しいだし。

さらに「大量の情報」を得るとしても、「適切に使う」にはまた一悶着ある。
コピペすれば問題解決は大学論文か?。
数学なんて、おいらの脳味噌は受け付けなかったが、公式覚えていれば数学はできるというものでもない。
これには解法や検算や証明などなどを繰り返していくことで、応用が出来るようになる。
つまり、今この事態に「持っている情報」では役に立たないが、「知っている情報から違う方法]」を導き出せれば、解が得られる、ということだ。

例示のフレリアのセンスというか、「人間が歩く」行為でも、専門的には「情報量」は莫大なものになる。
そこから二足歩行ロボットとかつくっていくわけだけど、普通「誰でもが歩く」ことだとしても、その理解はとんとできていなくて、しかもその応用であるロボット開発も試行錯誤の連続といったところ。
少し前までは「大量の情報」すらなかった。
が、その「大量の情報」が得られている現在、これを「脳」に入力するというのも、「動物行動」「関節や筋肉や脳の生物学」「力学などの物理法則や数学」などなどを参照して理解しなければならないことから、現実的ではないだろう。
さらにVRが利用できるとしても、なにをどのように表示して理解するのか、様々に考える必要性がある。
一般的な事柄では、たいがい、方法は単一でコピペごとのような社会になっているから、「大量の情報をコピペ」で済ませられる事態も多いということになるが、例えば、今時の子供がダイヤル電話を使えないとか、「情報が無い」と対応できない、というのもいざという時困りごと。
「情報」も有用では有るが、「工夫」や「試行錯誤」も必要。
「試行錯誤」というのも「情報」が無ければできないことであり、一方で、日々日頃の訓練がなければ突然できることではない。
現状、スマホ依存でいることで、「試行錯誤」の日々日頃の訓練が欠落していることは、「想定外」の時にどうなることやら。
これが、BMIや「脳」と「脳」を繋ぐ、とした時に、音・画像・動画・文章、でたちどころに「大量の情報」を得ることにはなるだろうけれども、上に愚痴ったように、で?、ということになる。

さらにVRもできるはずだけれども。
これは、フライトゲームしてたから旅客機操縦させろ乗っ取りではないけれども、現実と仮想現実の扱いを「現実」でどうするのか?、ということが問題になる。
このVRで問題なのは、「経済」を」目的に、つまり一般への浸透という時には「享楽」に使われることが問題になる。
この「享楽」という時には「分かりやすい」「面白い」がキーワードになるのだから、「分かりにくい」「面白くない」つまり一番の「リアル」なところが削除されているわけで、そうすると「現実」とVRには隔たりがあるということになる。
当然だが、現状専門職としては、「現実に訓練する」前の段階として導入しているのであって、VRだけで訓練終わりということにはしない。
ということで、VRの問題はそれこそ現実との隔たり・溝をお大きくしていくこともありえるということか。
いずれにしても、今後こうした技術が発達していくことによって、送り手・受け手それぞれに「情報の扱い」が難しくなっていくと予測できるのだが。

閑話休題。
BMIとか「脳」と「脳」を繋ぐ、とか、の前に、「意識」とか「意思」についての理解が必要なはずなのだが。
大学で言うと「哲学」ということになるんだろうけど、素人から言うと「意識」も「意思」もな~んでか?、程度ごと。
だけど、大学が「コミュニケーション」というところで知れていることで、「哲学」も?。
おいらの偏見で言うと、大学は「主導権を求め拡充する」ためにいくところ、まぁ昨今の情勢からその機能も脆弱化しているが。

一応、昔哲学かなんか知らんが「意識」か「意思」か知らんが2冊組みの「主導権」に執着しようとしているようなのを呼んでいるが、「どーでもいいですよ」というのがおいらのオツムの程度。
ということで、「意思」とか「意識」を「哲学」とかで語るとしても、語るところの「主導権」に執着するところで、もっとも自己顕示欲とかそういう一番強いところでの切り取りで語りたいとか。
だけど、人間は社会性動物であることでコミュニケーションがいるわけだけど、これから考えると、「意思」も「意識」もたいして意味が無い。
大学で言えば、大学院生が雑務を長時間労働で打ちひしがれているところから大学学長になったとすると、これは「意思」や「意識」は同じことなのか?。
だがコミュニケーションの違いは自明だ。
当然、独裁に虐げられていた者が独裁者になるとか。
イジメ学級にいた者が大人になって子供の頃にはイジメは無かったという輩はいくらでもいる。
だけれども、有ったことを無しとすることや、そのあった意味さえも変質させてしまうことが、確固たる「意思」や「意識」なのか?。
そういう変質が自明であるとしても、「意識」や「意思」は確としてあるのか?。

ツイッターでも、おいらの愚痴に苛まれる人もいるだろうし、気に入らないことは片っ端からブロックということもあるが、そのそれぞれであっても確固たる「意思」や「意識」があるとするのか?。
社会には様々な事があり、その様々によって、コミュニケーションの対応とか質とかも変わる。
そのことで「意識」や「意思」も変容させていくし変容していくものだし。
そいうところで「意思」「や「意思」ということに囚われていても社会との隔たりに悩むだけ。
おいらの愚痴に苛まれる人もいるだろうし、気に入らないことは片っ端からブロックするとしても、事実無実真偽を考えたくないというのでは社会性は無いことでコミュニケーションも意味も無い。
SEALDsとか原発反対運動などの、なんとか運動たいがい全てにわたって言えることだが。
というところから、BMIというより「脳」と「脳」を繋ぐことが問題・・・というよりコミュニケーションに疎い大学研究がこうした研究をよりよく進展させていけるのかは懐疑的でならない。

AR・VR・リアル・妄想・コスプレ、方法は多様であるが、「人間がそうあると思うこと」を目的(欲する)ことには変わりない。
「人が思う」にしても、リアルの兼ね合い・参照ということが問題になる、ということが考えられていないことが問題だと思うのだが。
リアルを参照すれば、「裁判官」ということは、社会的地位や自他ということは偏見を持たない限りはゆるがせにすることはできない。
が、「裁判官が犯罪者」となれば、状況は一変する。
当然「犯罪者」が「裁判官」をする、ということには「他」は容認できない。
その「他」が容認できないことを「自」が堅持する、ということも「自」自身で執着どころか容認し続けることも易ではない。
そういうことからすれば、AR・VR・リアル・妄想・コスプレなどなどにしても、「他」に知らせていくことのものであれば、「人間がそうあると思うこと」を目的(欲する)ことは、「自」がそのことを満たせるのか満たせないのかと、「他」との関係性によって、「人間がそうあると思うこと」を目的(欲する)ことが満たせるか満たせないかになってしまうこともありうる。
「人間がそうあると思うこと」は、「他」が「人間がそうあると思うこと」に「自」として否定的であるならばその「人間がそうあると思うこと」を認めたくない。
が「自」にとって「人間がそうあると思うこと」ならば「他」からの否定は認めないまたは拒絶するもの。
昔の「ごっこ遊び」からすれば、AR・VR・リアル・妄想・コスプレ等々を「自」「他」との関係性でするとなれば「人間がそうあると思うこと」が限定された存在ものであれば取り合いとなることも想定できるだろうし、否定が攻撃になれば炎上も想定できること。
ガチャ問題(だっけ?)の再燃とか。

さっきツイッターで状況も調べずに愚痴ったら「意味不明」という単語を向けられた。
まぁ、無知な愚痴にはおいらに非があるわな。
ただ「意味が分からん」というのは「自分の求めていることではないから無意味なことにする」無理解ノータリン論でしかないが。
世の中、多数の人は自分の考えとは違うのはアッタリメーのこと、が理解できのじゃ、お話しにならん。

すでに愚痴っていることだが、「人間がそうあると思うこと」AR・VR・リアル・妄想・コスプレなどなどが以前のジェット旅客機ゲーマー操縦ではないが、現実と相対しての常識理解を損なわせることは想定しておくべきことのはずだが。
一方で、「経済」からすれば、「自」が求めたい「人間がそうあると思うこと」を「安易に思い込ませることができる」ことが経済効果が高くなる。
したがって、こうしたサービスを提供する企業は「安易に思い込ませることができる」ことを誇大広告していくものであろう。
ただ、「人間がそうあると思うこと」は、「常識」が働けば、「そうある」つまり成っているとか成れるとかの判断もできるはずで、AR・VR・リアル・妄想・コスプレなどなどにしても、リアルな理解として判断して挫折したり悲嘆にくれることもあろう。
が、「妄想」系の輩を排除できない、というかこういう輩が好んでAR・VR・リアル・妄想・コスプレなどなどをしたいということで、つまりこういう輩を排除できないことによって、問題が噴出して荒れ狂うことは必ず「想定」しておかなければならない。

話題性がなくなったが、アメリカでリアルな3D空間のソーシャルサービスはどうなっているのだろう?。
性行為が氾濫云々で問題とか問題でないとか。
このことは、VR・ARでも言えることで、(3D空間のソーシャルサービスで実証されているように、かつ一部のではあるが)消費者側では希求していることであっても、実現することが問題であると同時に実現されないことが欲求不満にもなりうる。
一方、リアルということは、道徳なり社会規範なり物理法則とこれに伴う肉体の損傷とかを回避しなければならないことで行為行動が束縛されていることで、出来ることは制約されている。
したがって、この制約から逃れることを求めて、ARなりVRなりを求めたいということもあるのだが、ドラゴンボールを観たアメリカ少年が二階から飛び降りたとか、そのようなリアルの状況も想定されうるべき。
だいたいもって、リアルであることの欲求不満・リアルを超えた欲求からARやVRを求めようという輩は、そのリアルでは出来ないことを求めて没頭したりするもの。
という者はそう多くないとしても、現実にロリコンとか虚構を現実に出来ると思いたい犯罪者はいるわけで、リアルにいる我々は虚構から犯罪行動にうつる者には警戒しなければならない。

と、抜けた。リアルということは、道徳なり社会規範なり物理法則とこれに伴う肉体の損傷か回避に束縛されていることで、出来ることは制約されている。ということは、本来の自分らしさというか人間らしさに枷をすることになる。
一方、AR・VRはリアルでは抑制されて出来なかった枷を取り払うことになるわけで、そのことによって本来の自分らしさを発揮することが出来ることにもなる。
ということがリアルに持ち込まれると・・・だな。

おいらとしては、「創作」でAR・VRと言っても、もともと「創作」というものがAR・VRじみたもので、「劇中劇(おいらはこれもよー知らんが)」程度のことのようにおもうのだが・・・人称というか視点を違わせているだけだろうに。
ということからすれば、AR・VRによって求めたい自分とか、その与えられた世界で実現したいこととかということには実現できることは限定されていることもあるということだ。
博士を名乗るとしても、その専門性によって何がしか専門的なことをなすわけでもないだろうし、創作のように地球を破壊すると行為にしたとしてもしょせん虚構世界のこと。
つまり、リアルからAR・VRに浸るときに整合性を取れないとか、AR・VRからリアルに枷をされる不協和音とかも想定しておかなければならないことになる。

まだ抜けてる。
創作系で言えば、白昼夢というか、妄想やなりきりとARはどこまで差異になるだろうか?。
ドラえもんを出してもだめだが。
このことは、以前に愚痴っていることだが、「自分がしている」実感がなければならない。
が、リアルではその実感があるかというと、必ずしもそうではないし、ましてARやVRならなおさらであろう。
一番顕著になることは「失敗」である。
これはすでにBMIについて愚痴っているが、人は(人によってはだが・・・一様にとも言えるが・・・)「失敗」してしまったことを自身の行為と認めないということは良くあること。
一方、企業サービス提供からすれば、「失敗」は「不快」であることから、AI・VRでは「失敗」を意識させないような方策に腐心することになるだろう。
が、「失敗」こそリアルを感じるのであり、進歩の原動力でもあったりするわけだ。
そうすると、すでに「簡単・楽しい」ことで企業収益を求めることによって労働力の質が低下することは言っているように、さらなる労働力の質の低下を招きうることにもなりうるわけだ。
リアルでの失敗体験による成長評価なんて専門的なことは知ったこっちゃないが、AR・VRでの失敗による成長評価も必要であろう・・・が、誰が楽しいことを求めようという時に「失敗」を味わうことを甘受しようと言うに。

ふと、昨今の流行に面白動画投稿。
こういうことが、エンターテイメントとしてのAR・VR利用で大儲け利用になるはずだが。
確かに面白さということでは体験してみるのも一興というところなのだが。
で?。
それだけ?。
まぁ消費者側は、それだけを求めていたいということなのだろう。
だけれども、こうしたことに埋没(日常の時間さえもこうしたことに多くの時間を割くとか)していると、リアルで体験すれべき事柄が軽薄になっていくんでない?。
「マスメディア真理教」は「マスメディア真理教単細胞ノータリン狂信者」向けに他人事決め付け論で金儲けだが、「リアル」は決め付けで言えるほど単純でもなければ、短期のこともない。
老人問題等弱者問題はしくしくとした無為に時間を費やしていく上に難渋して解決策の無い疲弊を身につまされなければならない。
現状待機児童なんて、即効性の解決策は現場の子供を相手に働いている人のほうから否定論が出るしまつ。
だけれども、こういう色々な社会問題は、誰もが長い時間と労力を費やさなければ改善していかない。
が、エンターテイメントである。
「簡単」「楽しい」である。
AR・VR・スマホ・テーマパーク・映画館・お洒落な店等々のエンターテイメントの「簡単」「楽しい」を求めて週末祭日は地域社会は弱者老衰ばかりで若い者はいないという社会崩壊、弱者老衰を元気の良い若いもんが関わらない習慣、というのは今の若い者も弱者老衰になれば孤立するだけ。
今のエンターテイメント経済は若い者や国家的あるいはそこに従事して生計を立てている者には必須事だが、結果として地域社会は衰亡していく。
それ!、週末祭日は地域社会は姥捨て山・弱者隔離で元気の良い者は「楽しい」「面白い」求めて出かけようぜ!。
あるいは、地域社会と隔絶して自分の世界に閉篭もろうぜ!。

AR・VR・・・だけでなく以前にどこかで愚痴っているが「情報」とかこれらに関わったことで、「リアル」に関わった・関わっている、と勘違いしているのも恐怖の元だが。
ジェット機のシュミレーションゲームで旅客機乗っ取りか。
もちろん「マスメディア真理教」を信じる「マスメディア真理教単細胞ノータリン狂信者」のSTAP細胞理解とか・・・ひつこい。
今でさえ一般市民が「情報」とリアルとの関わりが乖離・隔絶しているのに、AV・ARが一般化すれば、リアルとの関わりはなおさら乖離・隔絶していくことが拡大していく面があるはずだ。
そうしたことを、AV・ARの専門家は理解して警鐘を鳴らすべきことのはずだが、今のところ、「夢」がたりで問題点など知ったことではないか。
つまり、AR・VRの問題点が理解されないまま研究開発されていくことで、一般化すれば問題が深刻化するということだ。

 していたことに気がついたとはいえ、その行為の意味することなどまるで意識に無く、ローリー主任は話し続けるのに夢中でいる。

我々一般人は、その「意識」するような「行為」があれば、「意識」や「思考」があると思いたい。
が、「自分が必ず意識や思考をして行為をしている」か?、を問われれば、必ずしもそうではないことにきがつくはずのなのだが。
これは以前犯罪関連でどこかで愚痴っているが。
それはさておき。
TLで「犯罪前の犯罪者の取り締まり」を扱った作品を話題にしているが。
おいらの方は、作中最初の方で書いているが、「疾しさ」への介入だが。
これは作中で書いているように、される者にとっては溜まったものではないし、人間らしさから考えても不合理。
が、ウイッキィでみるとこの作品は「予知」からだというが、「予知」というのは「確実」であることが不確実。
「想定したくない」ことが「確実に起こる」というのは人間にとってはストレスフル。
「犯罪」というと、「犯罪」らしい「犯罪」もあるが、今時なら近所で起きた事件は「犯罪者」というよりは普通の人。
つまり一般人は「犯罪」を誤解・無理解していたい。
ということで創作はその流れに準じたことをなぞらえて物語にする。
なれば、「創作」の中での「犯罪」はその物語の中だけの閉じたものでしかない。
一般論に昇華して考えるのが間違い。
だいたい、「犯罪者」が「創作」しているわけではないのだから、「犯罪」とはどんなことかなんて理解とがあるはずも無い。
今時なら、「炎上」で自殺したりすることもあるわけだが、「炎上」させる方は自らの正当性しか考えられず、同時に、自殺との関連性なんて考えない。
で、「犯罪者」には罪を認めろ!、とか。
「犯罪」を起こす者を考えるなら、「コンバット」の最終回を参照してみるとか?。

「・・・そのロボット技術の理解は君達には無理かな?。そうだとしても、”フレンドリー”の努力によって、人間の破壊行為によって滅ぶしか道が残されていなかった種を復興させると共に自然の再生を進められてきたのは周知の事実なのだから、ここで”フレンドリー”からの提言を聞いてもらうことにしよう」

カンケ~ナイごとだが、関係ある。
情報の取捨選択は興味しだい、なのは通常の「情報」でもBMIでも変わらない。
通常の「情報」であれば、送ったことでの授受・弾き(言葉に迷う)は判然とするが、BMIでは授受・弾きはどうやって判然させるのか?。
だいたい、「現実」であれば、興味があれば集中するし、興味が無ければスルーするが、BMI(「マインドコントロールを含んでいる」が、BMIする上での必要な「情報」ということ)であればその脳の働きを無視して送り込む、というのはこれが繰り返されると脳側、つまり人間側がBMI(そのものとその「情報」)を軽んじるようになるのではないのか?。
一応、大学関係で「情報」というものはけんきゅうされているのだろうが。
一方で、その「情報」の使い方、からみての「情報」の理解は疑わしいばかりだ。
イジメについては繰り返し言っているが、必要な「情報」も得なければ、得ないことによって参照されることも無い。
企業、あるいは国、その他権力的に利用される「情報」からすれば、一般人を無視して限られた者だけの利益になるように「情報」を使おうというのも大学関係の諸行というところだろう。
そういう輩がBMIを研究しているのだから、人間理解の欠落したBMIが創られて行くのだろうとおいらは妄想しているところだが。

 言い終えたローリー主任は、フレリアの両肩の左右それぞれに手をのせ、少し前に押す。
 まだまだ言い足りないことが思いの内で溢れているが、それでも研究が組織として運用されている理解があることで、ローリー主任はフレリアに話す時間をゆずらざるおえなかったといったところ。

これはすでに愚痴っているが、視点を変えてみる。
例えば、BMIで制御しているロボットの側に人がいるから「触れる」ということはどうなのか?。
もちろん「モノが触れる」ことであるから、「人が触れる」事とは意味合いが違う、か?。
「どこを触れる」「どのような行為」によって意味合いは違う。
スカートめくり・・・論外だが。
ここらへんは、BMI以前に、対人関係上で問題にならないように意思疎通が出来ていればだが、まず無理ごと。
人が側に来たら作動停止機構、というのも煩わしいばかり。

で~、「脳」と「脳」を繋ぐ、となると、この「まだまだ言い足りないことが思いの内で溢れている」のが大問題。
実際にいた・・・・常識的な人だったが、脳の血管が切れた後、仕事時間にしゃべるわしゃべるわ・・・・。
さらに、考えのまとまらない人だっている。
そういや、ADHDの人がBMIを使う、というのはどういうことだろう?。
「可能性」「夢」「儲け」とか目先のことに眼が眩んでいる状況か。

抜けた。
逆に、こういう人に、喋っていることが伝わらない「脳」と「脳」を繋ぐサービスはどうよ?。
損なサービスアホくさ!、だろうに。
なんでも貫く槍とどんな槍にも貫けない盾、サービスになるろうに。

ツイッターに愚痴ったことから。
BMI 思考制御でロボット操縦なんて大嘘事。
創作的には、思えばそのとうりになる、ということだが。
現実的にはそう簡単なことではない。
創作は人も機械もまるごめで描写してるだけだから。
そこらへんはまた愚痴愚痴愚痴たれるが。
戦闘機の思考制御は別もの・・・行く先はすでに民間機でも自動操縦だし。
ドッグファイトのとこまで行けばだが、まだ当面無理やろ。
ファイヤーホックスはすでに愚痴っているし。
「空間認識支援装置」とかないと実現できん。
まぁ「感覚追従インテリジェント機器選択機能能動装置」・・・ってアヴィヲニクスだっけ?、すでにあることを延長線上にすれば、思考制御ごとだろうが、ほぼ機械(AI?)ごとじゃん。
創作的には、思えばそのとうりになる、ということだが。現実的にはそう簡単なことではない。
「自分が思っている」ことが人間現実的ではないんだ。その現実的でないことを、機械が現実にする、という破綻的なことが理解できんと、BMIは理解でけん。
ということからすれば、「ゴクウ」寺沢武一はBCIの方になるが、これはBCIやBMIの理解にはあんまり参考にならん。
そういえば、現代の名工の定規の人、これをBMIでする(アンドロイドがするでもよいが)というのはどうなんだろ?。
人間は数値の確証の無い鋭い感覚、機械は誤差のある絶対値。さて?。
だから、ここんとこのインターフェイスが確立されてからが、BMI実用化のスタートラインなんだが。
BMIの専門家はどんな風に考えているのやら・・・。

「私も見栄えは不評。でもミリーが戦うことで見せてもらえたように、動きの自由度には素晴らしいものがあります。ローリー主任にフッターの開発に参加する機会を与えてもらえたことに感謝します」
 もちろんと言うべきか、ふだんに無いフレリアの言葉遣いは、ローリー主任の病状に気を使ってのことだろう。 
 そこにフレンドリーからの指示を受けていることで、より固い語り口で代表者として伝えるべきことを来場者に向けて話す。

繰り返し事だが、「企業サービス」ごとなら耳あたりの良いことばかりということになろう。
がオカタイハナシというのは送り手としては受け手に効いてもらう義務があるとして強制でもしたいわけだ。
聞きたかないぜ~。
もちろん、たいがいの個人としても「聞いてもらいたい」んだけど、たいがい聞かれることはない。
「脳」と「脳」を繋ぐとした場合、そのへんの折り合いをどうつけるねん?。

んでもって、動きの自由度、つまり人間側の能力を越えている機械をBMIで繋ぐとか?。
いや、そういうことをしたいわけだよ、素人考えでは。
だけど、明らかに今んところできるものとして考えるのは非現実的。
が、「夢」というか、宣伝効果を狙ってBMI専門化が吹聴していくというのはあろう。
詐欺が~・・・とか。

以下は、自然”破壊”広報活動のオマケ。

「大戦以前にはすでに種の多様性が失われていくことが懸念されていました。そのような状況にあるにもかかわらずの開戦による地球環境そのものの破壊と、さらには戦後の混乱によって自然の種の多様性が致命的なダメージを受けてしまいました。自然界からの人間への恩恵は、戦争以前にあっては種の多様性によってもたらされていましたが、戦後の今はそれを望むのも厳しい状況です。自然環境の再生が進めば、我々は再度自然からの恩恵を享受できることを希望できるのですが、現在地球に残された種が、私達の努力によってどれだけの多様性を取り戻すことができるのか気掛かりです。・・・」 
「・・・模倣ができることは自然からの恩恵の一つです。ただ、恩恵を求めるばかりでなく、大戦を生き延びることができた希少な種が存続できるための地球の再生努力を我々に求められていることを、各自が自覚してもらえることを”フレンドリー”は再度希望します」

 先ほどのローリー主任がしていた行為がお気に召さなくて、マリアは何も言わずに首を左右に振る。
 もっとも、先ほどのローリー主任の説明したように、フッターに求める機能を備わせるに至っていないことで、メデイカルからの指示をマリアは受けていない。
「困ったことに、今少しおしゃべりの時間がもらえそうだな。フッターの整備が思いの外滞っているみたいだ」

お喋りはもう良い!。
とか。
そういや、、ロボット側の損傷を「痛み」で表現している創作けっこうあるが、意味無いじゃん・・・一方、人間が手や足を失っているというリアルはリアルのところの研究で参考にならないのかな?。
一応「治療」ということで注力されていたりするが。
このへんは後でまた愚痴る予定。

別途フッターの愚痴は愚痴たれているが、コミュニケーションとか、未だに「単機能」のロボット発想というのはどうなんだろう?。
携帯電話ロボット・・・ここらへんから・・・「万能」は役立たずだとしても・・・なにがしかいくつかの複合機能ロボットに進歩して言ってもらいたいものだ。
が、ふと思うに、思考制御するとなると、その制御するロボットができることが限られているというのは、状況や対処すべきことによっては、持ちえる機能では用を成さないというのは腹立たしい一方で、人間側がそのそれぞれの機能を使いこなすスキルを持ち合わせていなければならない、というのは考え物だが。
「自動化照会装置」・・・「自動化」というのは脳の適応力的機能(?)の「自動化」で、こういう着眼点をBMIとかを研究している専門化がどの程度傾注して理解しているのやら?。

「おきにめさなくて」というのは、BMIでも「脳」と「脳」を繋ぐ、ことでも、あるいは現実でも遭遇することだが。
おいらの自撮りはツイッターで削除対象だが・・・すでに愚痴っているが・・・とにかく嗜好とか好みとか快不快とか、このへんの人間理解がしっかり研究されないとダメだ~。
どっちにしろいずれにしても、大学とか大学関係の人間理解が当て糞が無い。

 頑なさを解いてくれたなら、周囲の人と諍う心配もいらないはず、とルナは思っては見るのだが。
 周囲からの教示に耳を傾けてくれないことから、彼自身が抱える問題はこれからも繰り返していくに違いない。
 問題は、ミリーが自身が抱える問題と向き合ってくれるにはどうすれば良いのか?。
 そのためには、彼自身が現実と向き合ってくれること。

こちらはマインドコントロールごとだが。
一番の問題は、頑なさ、だけでなく、人間が自身が抱える問題がマインドコントロールすることで問題でなくなるのか?。
別な角度で見れば、時代やその属する社会によって、個人素養が問題になるならないが変わってくる。
なれば、社会に順応するようにマインドコントロール・・・ということがうまくいかないことだとはどこかで愚痴ったが。

で、だ~いたいやねぇ、抱える問題といっても、当人問題意識を持ちたくねーことが問題になるということだが。
人の問題は人間言いたいんだよ。
だけど、人間つーなぁ自分のことを問題有るものだとは言われたくないものだ。

んでもって、自分、あるいは自分の中に有る(?)ものが問題だと認めるってことはどーなんだよ。
すでに愚痴たれているか知らんが、「自分自身」とか「自分らしさ」とはどーいうことなんだよ?。

で、穿った見方をすれば、問題行動ということが、その人の現実との向き合い方の方法論だったり?。
問題を取り除く、問題となることを変更する、ということが(必ずしも・・・か?)問題解決になるとは思えないのだが・・・。

 専門的な自慢話が出来ることがローリー主任には心地良いところだとしても、来場者には面白いことではない。

繰り返し事だが、現状のSNSとかこのギャップがなぜに問題にならない?。
オタク話・・・問題になる時には拒絶事だが。
コミュニケーション、ということが「情報」の共有や移動ではない。
「情報」は商品価値として、利益を求めるために企業が利用していることだが、「個人」と「個人」の間でどれだけの「情報が必要なのか?。
場合によっては、おいらに限ったことではあるが、個人情報やプロフィールさえ無くてもコミュニケーションは取れる。
「情報」ということが企業利益・・・・これは大学利益にも関係していることで、その必要性に疑義をとうことはできないであろうが。

このままで、「脳」と「脳」を繋ぐことに突き進んでいくのか?。

ツイッターで愚痴ったけれども。
BMIがどうのこうのたって、不随意運動とかどうなんよ?。
これが脳の部位で起こりうるとして、BMI・・・より脳波による運動運動系の制御に影響が無い?。
「自動思考」だっけ?、これはBMIで思考したとおりにすればいいじゃん。
フラッシュバックは?。
BMI・・・あんまりにも「脳機能」が参照されてない。
だいたい、「脳機能」の「異常と正常」の定義たって怪しいところだし。

 もちろん、払われるはずの手であることはミリーも自覚しているが、肥大させた情欲と、以前ルナが身を寄せてきた記憶をたどり、さらには彼女自身の意思表示として胸に押し当てているのだから拒否されることは無いはず、と。
 ミリーは自由になった左の掌を離して右手を上げ、ルナの左右の胸の膨らみを、それぞれの両手の掌で覆った。
 間近で聞いているマリアも同じではあるが、ローリー主任がフレリアにした行為の不快さが離れない。
 ところがミリーがそれを上回ることをしているのに、ルナはそれを素知らぬ顔をしていることで、マリアは言葉を失っている。
 しかも、退屈な話しにうんざりしている来場者は、好奇の目をルナの胸に集めさせている。

人間の「マインド」はムズカシイ。
当事者同士、ということも、場合によっては状況は複雑であり、さらに周囲にいる複数の認知にも色々に差異がある。
で、こういう状況で、その場にいる人を画一的にマインドコントロールすることが良策か?。
嗜好・本能・欲求・道徳・正義・擁護・・・創作的には「マインドコントロール」は「ある状況になる」ごとだが、現実にするとなれば、作用・変更させようとする標的は複雑で、心理学的にとか、脳部位とか、脳内物質とか、理解の仕方も違うことで、「マインドコントロール」の方法論も違うはず。
だいたい「整合性」・・・「あいでんてぃてぃ」なるものがちーともりかいできてないが、一方で「自我防衛」ということはどーなんだよ?。
「マインドコントロール」される前と後で「整合性」が無い、ということは、「マインドコントロール」されていることに、疑問・不快感を持つということだ。
が、「自我防衛」で否認(悪いことだと意識しないようにする)するところを、「マインドコントロール」することで意識させるというのは不快になるのではないのか?。
これは、当事者だけの問題であるが。
当事者同士、という時には、「同じ感覚(価値観)」ではおはなしにならない。
「個性」はそれこそ様々で、「同じ」であることが「同じ感覚(価値観)」になりえないことは常々誰しもが思い知らされている。
それを、「マインドコントロール」する時に、「同じ感覚(価値観)」になるように「操作(介入)」するようにするのか?。
当然のことだが、周囲にすれば、記憶にあることで話題や関係性(評価や応対の変更)に関わることもありうる。
そうしたことまで「マインドコントロール」しなければならないとすれば?。
「痴漢」「覗き」「少女写真」・・・まぁ、「本能」というか「嗜癖」というか、女性で言えば・・・と言えば「女性蔑視だ」と言う馬鹿女共を「マインドコントロール」してやりたいが。
あまりにも「マインドコントロール」する対象・・・個々の人の判断にもよるが・・・が多すぎるし、必要性が必須なのか必須でないのか?、その時々によって判断に迷わなければならないのが実情。
ここでは即効ミリーをとっ捕まえて、その手を捻り上げる、と言うのはナンセンスだが、周囲には周知・認知ごとではない。
創作的には、「マインドコントロール」はその人、あるいは集団に「言葉もしくは文脈(映像ということもあるが)」を投げかければそのとうりになる、ということになっているが、現実の人間・社会は不確定かつ不確実なのであって、そういう状況なのに「マインドコントロール」を持ち込むのはそれこそ不確実ごとでしかない。
さらに、「見えない」ことには不安で(政治とか何をしているのか分からないなど)、「見える」ことでも「不安」になる場合もある(扇動されて集団暴徒の様相を見るとかトイレットペーパー騒動とか)。
これは、自分が「マインドコントロール」されていることに不安を持つ場合もあれば、他人が「マインドコントロール」されているのを目の当たりにすることで不安になりうるかもしれないということだ。
「マインドコントロール」は、こういう不確定かつ不確実なことであるのに、人は願望として「マインドコントロール」されたい、あるいは、自分をよりよくするために「マインドコントロール」されたいと願望して、「マインドコントロール」を求め、そのことで創作モノも描かれてきた。
が、「人間の脳機能」「社会」それぞれの複雑さが深刻化というか、理解がなされるようになってきたことで、単純・画一的に「マインドコントロール」を振り回すのは戒めるべきではないのか?。

また抜けた。
すでに作中に書いていることだが、ルナの能力は周知のことで、この場面ではミリーに対して能力を使っていないことが見て取れることが衆目を集めていると言うこと。
で、衆目を向けている側としても、揶揄を入れられる相手ではないという認知があることで見ているだけ。
かかわりたくない能力を周知している、ということでは、鏡の中の魔太郎が来る 藤子不二雄Ⓐ、というのもあるが。
前にも愚痴っているが、「マインドコントロール」・・・その前に、心の内を常に監視されている、ということは人間にとってどのようなことか?。
そうされていることを自覚しなければならない状況はどのようなことか?・・・北朝鮮とか東ドイツ?。
こういうことで、「脳」と「脳」を繋ぐ?。
「心の内を常に監視されていることにより、常にマインドコントロールされるかもしれないことを常にいしきしていなければならない」
「想定外」にして考えないことが、BMIや「脳」と「脳」を繋ぐ、ことを考える上で深刻な問題なんだよ。

以前愚痴っているはずだけど、ツイッターTLでロボットを研究しているエライセンセイが、カップヌードルのタイマーを(メガネ式ウエラブル端末のように・・・これはおいらの理解)視野の隅っこに出れば、ということがあったが。
それはそれで良いのだが・・・良くない事を愚痴る。
すでに愚痴っているはずだが、「分かる」ということ。
「分かる」ことがトリガーとして、視野の隅に表示させるということだけれども、BMIでもそうだが、この「分かる」ということはどのように「脳」の中で処理されているのだ?。
分かりやすいのは、人の顔を見分ける神経細胞(の集まりだっけ?)これはその内センシングできるかもしれない。
が、この見分けたことで、その顔をどのように判断(つまり脳内での処理をする経過や結果)するのかは、まだまだ研究を要することだろう。
職人技・・・おいらのBSCの構想では「自動化照会装置」ということだが、「分かる」ということは、身体の機能的にも「脳」の処理経路的にも多様な分枝があるはずで、これらをBMI(こういう時には「思考制御」と言った方が通りが良いか)に繋ぐと言うのは当面荒唐無稽っぽい。
いや、愚痴ずれだが、「分かる」から、「こういうことになれば良い」ということだが、「分かる」ということは・・・、そうだ思い出した。
「分かる」ということは、あることの「記憶」が保持されていて、その「記憶」を想起させるということだが、だが、日常的にはその「記憶」もいくつも持っているのが人間であり、さらにそのトリガーもいくつもあり、適切に機能することもあれば、不適切に機能(フラッシュバックとか)する場合もあるということだ。
つまり、「思考制御」とかにおいて、「分かる」ということは「記憶」やその「分かる」ことの状況によって、様々な関係性の分枝があることを想定しなければならない、ということだ。
しかも、「分かる」というのは「思考」ではない。
だいたい、「思い出す」ということも、実際のところ「思考」ではない。
たとえばISS船外BMIマニュピレーター作業で機材操作の方法ど忘れしてしまった、という時に(可能性として絶対に無いとは人間言い切れない)、「脳」の「分かる」分枝を操作するのか?、「記憶」のところを詮索するのか?・・・ってよりマニュピレーターがオートでやっちまえよ!。とか。
いや、どうせ人間の方が不確実なんだから、機械(AI)が判断したほうが的確・適切でないんか~い?。
いや、そういうことから考えれば、人間の「分かる」ことを「思考制御」に繋ぐということは、どれだけの現実的な確実性・信頼性や機械制御に対してのコストパホーマンスがあるのか疑問なのだが。

 今は人目は気にしていられない。

マインドコントロール、その「マインド」というのは、かなりな部分「人目」に左右されている。
ただこれも「マインド」の問題で、人目でアイドルナイフ刺しもいるが。
この手の対応ごとは以前愚痴ったが、BSCの設定では「思考を停止させる」だが。
「人目」がある、つまり「人がいる」ことで対応を求める、ことができないんだよ。大概の人間行動(人間の認識)は、繰り返し愚痴っているけれども。
そういうところで、「マインドコントロール」にしてもBMIにしても否定的に思わずにはいられない。

 男性側が上半身の下着には無関心な傾向もあって、女性には必要性がある下着が身に着けられないのは不評この上ない。 

カンケーナイ、けど、女性がブラジャーをしていないという関節表現。

デユークは自慢するように鍛えた筋肉を浮き出たさせ、来場者の前を歩いていく。

カンケーナイ、ことではない。
「意思表示」と「それを見る方」の関係性ということだ。
「自分を誇示したい」のだが、たいがい他人の「誇示」は不評なもの。
おいら化物顔は学童通学路散歩してたら不審者として警察官が職質してきたり。
最悪、「認知の歪」で「羨望」のことを似ても似つかない自分に思い込むとか、「羨望」の相手を全否定するとか。
とかく、人間の「認知」は扱い難しく、マインドコントロール対象事だが、たぶんできないことだろうと予測がつく。
というところがBMIで問題になるだろうと予測されるが。
もしBMIが実用化されて社会に浸透すれば「自分は出来る」・・・面白動画ごとも散見されるはず。
「できない」ということは劣等感。
「羨望」に自分を投影したいもの。
ということで、「羨望」の真似事をして大惨事ということは「想定内」。
「安全装置」は義務付けされるとしても、厭うのが人間と言うもの。
だから、BMIにはマインドコントロールが必須だと愚痴るのだが、BMIの専門家は門外漢ごとにして認知することはないだろうな。

 もちろんミリーには、差し出された物が何であるのか知り得てはいない。

ヒデーのは、我々の現在の周囲の状況がそういうものだということ。
しかも、何であるのか知り得ないモノ、に我々の生活は左右されているわけだ。
AIがどのようなところのどのような機器に内蔵されて、その判断で我々の日常生活が左右されるとか。
それが、BMIが普及するとなると、さらに分けの分からないモノが溢れ、理解できないところで生活を左右されていくことになる。
BMIは安全装置、というよりもAIのような制御が必須となる。
人間の「思考」では判断しきれないこともあるから、補助的なことも添加されているだろう。
それが必ず人間の意図を軌を一にする、とは限らない。
人間の判断によらない制御をしている可能性だってありえる。
現在のところ、GPS内臓で所在地追跡(プライバシーが無い)と言えば分かりやすいか。
描写的には、ミリーは掌で踊らされている、ということだが、そうしたことは、今までに繰り返されてきたことで(購買意欲とか扇動とか)これから現実社会ではさらカラクリを駆使して巧妙に掌で躍らせることが増える未来だと言うことだ。
「マインドコントロール」は不確かでしかないが、前に愚痴ったように、民衆がその下地を持てば、「マインドコントロール」はおのずと火がつく。
機械というか電子機器によって、分からないところで生活を左右される状況でもある一方、その時々の人の嗜好に付け込まれて生活を左右されることも有る。
いずれにしても大衆は、掌で踊らさされる、存在というものだ。

 さらに先ほどの、ミリーを動体計測していたディスプレイの円柱が複雑な形状に変更された上に、重ねて表示していた数値の項目も追加されていた。

さて、これが「BMI」の本題だ。
「思いどうりに機械が動かせる」
これがどういうことか、創作サイドはあまり理解していない。
現状、義手・義足とか、「機械を操作する」ことなく使用できることを目的としていることで、一般論にはなっていないところもある。
戦闘機のドッグファイト・・・はプロフェッショナルの遠隔操作だが、BMIになったとしてもプロフェッショナルがすることで、「機械を操作する」ことが取り立てて問題になることもなかろうが。
後でまた愚痴るけれども、昔の戦闘機とかジェット機は、モンノスゴ~イ沢山ある計器類を頼りに操縦していたとか。
今は、必要最小限どころか可能な限り自動操縦実現に向かわせている。
ロボットで・・・って人が操縦できるロボットっていうのも、ラジコンプロポとかパソコン画面とか、まだ「これでいこう」と言うところまでいってないはず。
本題、といっても、モンノスゴ~ク難儀・難題なはなしなのでボツボツ愚痴る。

今回はここまでだな・・・。
「脳をネットワークに繋ぐ」のは、考えるべきことは物凄く多様事。
おいら劣等生高卒ノータリンが考えることではないが、この35年、必要な設定資料を待ち望んだが手に入れることはできず、自分で考えるしかない。


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