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宇宙人は地球には来ない

さて、最後の方に考えたことを最初に持ってくる。
たとえば、月刊誌「ムー」のように、「宇宙人」を「エンターテイメント」としてかたるのも「快」であるが。
これは、今もって「宇宙人」が地球に来ていないことによって「快」として語ることができるというもの。
これが、実際に「宇宙人」が来たとなれば、古来日本人が経験した黒船来航を遙かに凌ぐ社会的不安になることは、下述した。
「宇宙人」と我々人間がコミュニケーションをとるとなれば、地球の、まぁ、先進国の問題ではあるとしても、我々人類にとって、我々人類よりも絶対的優位性の者と相対した経験が無いことによって、たいして我々が下等であると認めねばならない立場として「宇宙人」とコミュニケーションをとるということは、現状我々の認知能力では想像を絶することであろう。
当然、現実に「宇宙人」と相対するとなれば、「エンターテイメント」などといった「快」では無く、侮蔑を強いられる「不快」の様相を呈する可能性の方が高いわけだ。
したがって、「宇宙人」を「エンターテイメント」として扱えるのは、「宇宙人」と遭遇するときまでしかできない、ということになる。
しかしながら、下述のとうり「宇宙人」は地球には来ない可能性の方が高い。
そのため「宇宙人」は永遠に「エンターテイメント」ととして扱うことができる。
それも人間が滅びるまでの間、という限定はあるのだが。

一方で、それでも「宇宙人」に遭遇するという可能性を持ち続けるわけだが、そのためには「コミュニケーション」について考えておかねばならないということだ。
このためには人間の「コミュニケーション」での問題を総じて抽出・検討・問題解決していかなければならないのだが。
下述のとうり、その問題は深刻である。
一方、月刊誌「ムー」のような「エンターテイメント」ととして「宇宙人」を扱うとしても、「エンターテイメント」つまり「快」を消費者に与えるものとして表現しようというのであれば、人間の「コミュニケーション」の問題、つまり「人間そのものの問題」を全面に、あるいは深刻・真剣に紙面(あるいは時間)を割くのは消費者には「不快」さを味あわせることになるためできない。
したがって、こういう専門誌や放送やインターネット関連、あるいは、宇宙関係の教育機関の広報活動であっても、「宇宙人」と「コミュニケーション」とることの実質的考察ということは成されない。
「宇宙人」ということでは、「専門」ということが意味を成さないことに注意が必要である。
「当然」の前提として、「宇宙人」を考える専門家、つまり「宇宙人」とコミュニケーション」をとる専門家であるとするならば、まず「人間とコミュニケーションがとれる専門家」であれ!。
人間同士で「コミュニケーション」がとれないのに、どうやって。まったく異質の「宇宙人」とコミュニケーションをとる?。
「これから研究します」
と言えども「人間のコミュニケーション」、つまり「人間の問題」と向き合い研究しなければ、「宇宙人に相対する人間」ということが考えられるはずもない。
「宇宙人」を考えるとした場合、人間には自分のこと、つまり最初の一歩から蹴躓いているのが現実で、この「人間は自分の問題から目を逸らす」という現実は未来永劫変わることはない。
そのため、「宇宙人」と「コミュニケーション」をとることは、我々人間には考えることはできない。

ということで、ぐだぐだ愚痴を未整理に書き並べる。
「宇宙からの来訪者」、まぁ平易に「宇宙人」ということだが、これが専門家でもなんか妖怪?、程度の理解しかないので、おいら劣等生高卒ノータリンが思うところを愚痴ってみる。

詳しい話は専門家に訊いとくれ~・・・ということが「宇宙人」ということでは通用しない。
「習ったこと」、とその延長線上なら大学関係者とかが専門性を発揮するというところだが、まったくの荒唐無稽事の「宇宙人」に専門家なんていねぇ!。
だいたい、宇宙人を考える、ということは、一目には相手の姿形を想定するということだが、出会うことがなければそれこそ荒唐無稽夢物語なんか妖怪幽霊魑魅魍魎?。
で良いわけだが、「出会う」となれば、「宇宙人」の性質(心理学?)を考えねばならないが、関係性、つまりコミュニケーションを言うならば、「人間」というものがどういう生き物であるのか?、という理解がなければ、その関係性の問題点を突き合わせることが出来ない。
またく未知のモノを相手にしようというときに、相手のことも分からない上に、自分のことの理解も無い、というのは致命的。

大学関係専門家さん方が、「宇宙人類学」だっけ?、しておられるが、これは眉唾物だとはなっから高を括ってる。
とかく学問という時には、education launderingされて、人間の問題点とか汚いことなど「習うこと」から除外してしまう。
「宇宙人」となれば人間より高度(文化の先進性)のはずだから、その文化の先進性から人間の問題を注意・更正・矯正してくるはずだと想定すべきだが、人間側は自らを他が手本にするべきだとか、自分達の方が優れていて他を支配する立場に立つものだと思いたい、のだから始末が悪い。
そのへんのことは「大学学問」はeducation launderingして教えないのだから、必ず「宇宙人」と「人間」はもめることになる。
「もめない」というのは「宇宙人」不在で勝手の良いことを言っていれば良い。
人間の何が問題か?、を考えてこなかったから地球平和は今もって実現できていないし、今後も地球平和にはならない。
地球平和が無いのに、「宇宙人」と平和的にコミュニケーション、順番が違うだろ!。
そういうところで、自作晦渋小説「焦土に漂いて」では構想しているが、文才の無いところで遅々として進まん。
で、「宇宙人」という前に、この地球の他の生物と折り合いをつけて生きていけないのが「人間」という種だろ?。
折り合いをつけることなく自分達が生きれさえすれば良いことにしてしまっている。
その結果として、他の種を滅ぼし続け、地球環境破壊に歯止めがかからない。
そういう足元の問題に目もくれず、「宇宙人」とコミュニケーション。
まさにeducation laundering万歳!、だね。

残念ながら、宇宙開発の「有人関係」のほとんどは実現しない。
まぁ今世紀中にはね。
火星有人探査・・・福島原発で宇宙服とか宇宙船ではないが、高レベル放射線地区・・・炉心近くに避難居住空間とか設置するとかできるようになれば望みがあるかも知らんが、こういうことこそエライ物理学者さんに訊いとくれ~だな。
物理学のエライセンセイどうでしょうか?、バンアレン帯の外側は、福島メルトダウン原子炉近くのどの辺りの放射線量になるでしょうね?。

さて、「宇宙人」とのコミュニケーションについて愚痴る。
まぁ、しょせん賛同・理解者のいない独り言だが。
にしても、「専門家」か知らんが、エライセンセイが糞の役にも立たんことを言っている。
しょせん「宇宙人の来訪」なんて「想定外」なことだからね。
おいらとか素人もエライセンセイも分からないことを言っているに変わらない。
変わらないところでおいら劣等生高卒ノータリンがなぜ言えるか?、UFOから啓示を受けた、とかは真っ赤な嘘だが、人間外とみなされた化物顔から、人外のことを考えられるといったところか。
いや、「人間が想定できない」ことを「想定」できるからだな。
ただ、想定できることが人外なことだから、人間にとっては「想定外」の参照したくないことだが、「想定外」の宇宙人に「想定内」で考えるというのもエライセンセイの専門家がノータリン丸出しといったところ。
「宇宙人」が来ると想定する、では、どういう存在が来るか?、とはノータリンでもエライセンセイでも戯言五十歩百歩だが。
「具体的想定」ができないことには話ならない。
つまり「具体的な想定」を提示できていないエライセンセイの専門家でも話になっていないわけだ。
だから、まず多少なりとも例示になることを考えなければ話にならない。

「宇宙人が来訪すること」、逆に考えれば、我々人間が(最低限の条件として)スーパーアースに行く、ということだ。
ただ、考えるまでもなく我々人類は現状数光年を越える術は無い、上に当面実現させる技術的展望も無い。
が、「技術」だけでは宇宙の距離を越えていけないことを、なぜ宇宙開発のエライセンセイは事実として示さない?。
もっとも、我々の宇宙、しかもバンアレン帯の中に限っての滞在期間は最長1年とかで、それ以上の滞在は生命の危機を覚悟しなければならない、というのが現状でもある。
さらには火星に行こうものなら、想定される期間によってさらなる無重力と放射線の健康被害を覚悟しなければならない。
そこで問題なのは、バンアレン帯が有害な放射線から地球は守られているとか聞いているのだが、ではバンアレン帯の内と外ではどれだけの放射線量の違いがあるとかは聞いていない。
つーか示されていないのはどーいうことだ?。
おいらが怠けているからか?。
無重力は、一様とは言わないまでも、まぁそのように考えればよいわけで、放射線は場所によって放射線レベル、だけでなく、放射線の種類も違うことは宇宙の情報として提示されているのだが、最近「バンアレン帯の中のシート」は放射線が高い部位か有る」とか言われ出して、多少とも具体的になりだしてはいるが。

あとから挿入ごとだが、た天体に向かう宇宙船にとって、「シート」が問題とは書いてあるが、太陽活動でバンアレン帯の形状が変わるほどの放射線(?)が飛んできていることと、バンアレン帯の外と内側にあるISSでの被爆量、さらには粒子(つまり放射線)の種類の差異とか、考慮すべきことは多々有ることを専門家はどのように素人に説明してくれるのやら・・・

そうした時に、人間は「無重力」に対応することと、「放射線」に対応することが求められているわけだが、「無重力」については、今後も当面医学的な情報収集を続けていくという段階。
ちなみに、「回転遠心力による人工重力宇宙機」というのは、「運動エネルギー」ということで、おいらは懐疑的。
ココログの方でも愚痴っているし、極短い動画でフェイスブックの方でも愚痴っている。
「回転遠心力による人工重力宇宙機」については、エライセンセイが物理法則とか数学公式とかで明示できるはずだが。
「放射線」は、「放射線遮蔽技術」ということで、なにがしかのブレイクスルーが有るかもしれないが、これはおいらも思いつきは持っていることで(人工バンアレン帯発生装置とか)、ひょっとすると放射線は気にしないで良い技術ができるかもしれない。
「放射線遮蔽」ということで考えていたのだけれども、これはブレイクスルーが期待できることで棚上げにしておいて、問題は「無重力」と「系外太陽系往復技術」ということになる。
「無重力」は「想定」するには情報不足・・・つーかまだ人間の英知では理解するには至ってないと言うのが現状であろう。
そうすると、「系外太陽系往復技術」を考えることが、我々が他の星系に行くことを考えるのに具体性があるということになる。
一方で、地球と他惑星の往復技術ということは、ブレイクスルーということだけではあてにはできない。

「系外太陽系往復技術」は具体的・・・なのかどうか知らんが、そこに人間が「宇宙に永住」というとナンセンスなことを考えなければならないのだが。
エビデンスとして「宇宙に3世代以上生活できる」ことが必須だとおいらは考えている。
今「宇宙での生命維持技術」は、バンアレン帯内側にチャレンジ中で、とても3世代以上生活できるエビデンスがとれるように目指してしているものとは言えないが。
3世代というと、一世代30年・・・とはいかない。
いや、その解析ですら数年以上いることだし、人数的にも数千人とかではデーターとしてまるで桁が足るまい。
数万人数十万人規模の3世代・・・150年以上はゆうにかかるはず。
この時点では、「無重力」の適応についての知見を得る、ということになろう。
それを今度はバンアレン帯の外で150年以上。
この時には、補給を受けつつ太陽系内の資源を活用して、といった援助を受けつつ、「母星からの距離をとってなお人類の生存を確保する」ということになる。
この時点では3世代以上かける必然性は無いかもしれないが、太陽エネルギー以外を元にしたエネルギーによる生命維持ということが、「無重力」の適応のところでどこまでエビデンスがとれているかによるだろう。
当然、太陽エネルギーの得られない遠方での世代交代のエビデンスのある宇宙船というものができていなければ意味は無いだろうし。
さらにバルジとかからの強力な宇宙線を太陽風によって遮蔽しているとかいう太陽系の外で150年以上・・・。
つまり、無補給での宇宙生活のエビデンスをとる。
完全なリサイクル宇宙船?。
今の人間社会を思えば、想像を絶する技術革新(と人間性進化)が無ければできそうにないが・・。
つーか、地球で今すぐに緊急にしろよ!、でないと地球が滅びるぞ!!。
と言ったとこころだが。
なぜ3世代以上かというと、現状の宇宙での人間への肉体的影響は短期間で明確な所見が得られるが、さらには世代を越えた遺伝子レベルでの所見が必要であり、遺伝子の変移、つまり劣化とか異常が無い、あるいは予防できるというエビデンスが採れなければ、系外太陽系往復中に深刻な健康被害に苛まれたり宇宙船乗組員が死滅してしまったりしかねないのだから、太陽系外での3世代以上の健康調査のエビデンスが採れていなければ、倫理的に深刻な問題を孕むことになる。

そうしている間にも、今度は技術的に系外無人探査宇宙船は創られることにはなるだろうが、この場合、造って直ぐに探査、と言う分けにはいくまい。
実稼働状況のエビデンス、となれば、太陽系近縁で実験ということで、太陽系外を周回させることを数十年とかせねば、機能し続けることが出来るものかどうか確認がとれない。
その上で、いくつかの太陽系に向けて系外無人探査船を数機送り出すことになろうが、これとて片道数百年とか。
しかも、行って見る価値のある「スーパーアース」を探し当てねば価値が無い
のだから、行って見る価値のある「スーパーアース」を探し当てるのに何年かかるか?。
系外惑星として最近距離で1光年、10光年以内に太陽系は数個、20光年なら?、初期知的生物探査であるとしても、そうとうの半径光年を想定しなければならないはず。
まぁ、永住と宇宙航行のそれぞれの技術開発を重なり合わさせることはできるだろうけれども、それでも人間が宇宙にほぼ永住していられる期間を想定しなければ、系外有人宇宙探査は想定できないことで、500年以内に系外有人宇宙探査が実現できるというのは荒唐無稽な戯れ言だと、おいら劣等生高卒ノータリンは見ている。
「いや、そんなにはかからない」というからには具体的道程を提示できるはずだ。
「宇宙エレベーター」はどうなった?。
障害を提示できない可能論は頓挫するのは自明事。
つまり、我々がまずは最低限でも「スーパーアース」に辿り着けるまでの宇宙開発とその問題点を想定することが、「宇宙からの来訪者」、つまり「宇宙人」を考える具体的な例、ということになる。
まぁ、エライゼンエイはエライセンとしての専門家としてのアタマノスグレタ考えを提示されることであろうが。
ちなみに、「系外太陽系片道技術」は倫理的にどうなのか?。

探し当てても、電波が届くのに最短の太陽系ですら1年、遠ければそれだけ何年もかかる。
もちろん、こうした技術開発は、平行して進められることでもあるが、おいら劣等生高卒ノータりンの頭では、他の知的生物のいる星に人間が行くとしても、700年とかはゆうにかかると踏んでいる。
700年というのは、上記のごとく人間が太陽系の外に永住できるエビデンスからすれば、500年より遙かに短い期間で、系外有人探査が倫理的に認められるようになる、というのには疑問だからだ。
そこに実際に、系外有人探査で知的生物に出会える探査期間を含めると、700年。
1000年かかるとなれば、宇宙開発に幻滅、と言える遠い未来。
と想定すれば・・・、つーかエライセンセイの専門家は具体的に我々地球側の宇宙開発が、ドンダケーな年月をかければ、他の星系の知的生物を探し当てて交流を持てるようになると想定しているのだろうか?。
「宇宙人」が来ることは不確定としても、我々が訪問することを想定して考える方が容易だと思うのだが。
「倫理」と「エビデンス」を提示できない有人宇宙開発は話し合いの場に提示するだけ無駄な遊び事。
この、宇宙開発の専門家のエライセンセイの「我々地球側の宇宙開発が、ドンダケーな年月をかければ、他の星系の知的生物を探し当てて交流を持てるようになると想定する」をおいらが知らないことで、おいらが想定している「700年はかかる」ことを前提として、「宇宙人」が来ることを劣等生高卒ノータリンが考えてみる。

さて、700年かかるとした場合、となれば、「宇宙人」とは700年以上の先行した文明を持っていると考えるのが妥当であろう。
逆に考えれば、我々地球人が、700年前の我々をどのように観察して考えるかだ。
ものの見様によっては、世界情勢の有り様、つまり人間性は700年前と変わっていないとも言えるだろうが・・・。
技術的にも700年先行していると考えるのが妥当だが、となれば、我々人類にとっては、未来に何が実現しているかは、スマホとかすでに実感しているように、まったくの予測のつかない、つまり理解出来ないことだと言いきれる。
ほんの半世紀前には押し入れ収納ケース二つ分のミニコンピューター(NHKによる未来の学校の設定の少年ドラマで当時のミニコンピューター実機を使ってバニーガール装束他様々な衣裳の生徒が検索に使っていた・・・「オンライン」では無かったはず)が切手大の大きさになり、しかもあらゆるサービスが繋がるようになるなど、当時のコンピューター(SF設定的には大型コンピューターの方に傾倒していたはず)からは創造することすら出来なかったはず。
「鉄腕アトム」手塚治虫氏、を参照すれば、人間の脳味噌と同等の処理能力を持つコンピューターが、手の平にのる程度の大きさになると描写されていたが、それは物語の必要性の上で、では科学的根拠で手の平にのる程度の大きさの人間の脳味噌と同等の処理能力を持つコンピューターを想定できるのやら?。
そうした技術的なことを考察するとして、700年後の未来にはどうなっているのやら?。
そういう700年先行した文明をもつ「宇宙人」が来たらどうするのか?。

技術の一方で、文明、いや社会構造の方が関係性には問題がある。
700年先行した文明をもつ「宇宙人」が奴隷制で、地球人を奴隷にするために来訪したってな笑い話にもならん。
まぁ、その可能性は必ずあるし、有った場合には700年先行した技術に対抗するというのは狸が葉っぱで人間の個人特定技術に対抗するようなもん。
我々人間は、技術ということで進化をごまかしているが、お金が進化を促して以降(公共放送の受信料の無駄遣い番組だっけ?)知的生物としての進化をしてきたとは到底言えない、破壊と殺し合い・搾取の現状の地球人知的レベルであることは一目瞭然である。
これは、人間が人間らしいこと、その知的生物としての理解や認識能力の低さに寄るところで「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」による相入れない争いの繰り返しによる。
そうしてこのことは、未来永劫人間の知的生物としての下劣さであり続ける。
宗教が「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」の執着・固執によって戦争と殺戮を正義正当にしてこれからも続けて行くことは自明。
「経済」も同様で、貧富の差ばかりか、人間の階級を如実に決めつける。
こうしたことは「主導権」の執着・固執でおこるのだが、エライセンセイつまり大学が「主導権」を求め・拡充することを求めて行くところだから、マイケルサンデルペテンペスト(ペテン師・テンペスト)を筆頭(?)に、大学や大学関係者が「主導権」を問題として問うことは無い。

笑い話だ・・・とは言ってられないが、技術が700年先行しているであろう「宇宙人」が「主導権」に執着・固執して来訪するとなれば、「主導権」に執着・固執していなければならない我々人類は、どうやって自らの「主導権」に執着・固執していこうというのだ?。

「主導権」と言えば綺麗事だが、「主導権」の究極は「独裁」であることは誰も言わない。
「独裁」の意味するところの主軸に「主導権」があるのであって、「主導権」に執着・固執するということは、「独裁」に向かおうとする意味合いを必ず包含していると言える。
「独裁」がなぜ悪いか?、ということは「正義」とか勝手の良い意味合い、殺し合いだって「正義」を掲げて行われることで不確かなこととしか言えないが、機能的なところから考えると、「独裁」は社会を破綻させていくことは歴史的に事実であることを言って欲しいものだが。
となれば、地球に来訪してくる「宇宙人」、つまり閉鎖された宇宙船で長期間の長旅をしてくるということは、その社会構造は「主導権」によって成されているとは考えにくいということだ。
宗教・アメリカ式にはカリスマ・性を持つ強いリーダーシップをもってと主張するところだろうが、閉鎖された宇宙船で長期間の長旅を、進歩を否定した古来からの信仰や分配の不公平(経済)や決定的格差を付けて(独裁)、内紛も無く平和に過ごす、というのは現実的だろうか?。
蟻・蜂のように考えもなく分業していればだが、そういうことをして他星系へ行ける技術を創造しているとは考えにくいし。
とすれば、700年先行した文明を持つ「宇宙人」が、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執した知的生物として下劣といえる人間に、友好的にコンタクトを取ってくるとは考えにくい。
他のところで「主導権については愚痴る予定であるが、「主導権」その究極は「独裁」であるが、「独裁」は「他がいないものとする」ことは見てのとうりのことで、このことから「主導権」も「他がいないことにする」意味合いを持つ。
が、「コミュニケーション」とは「他がいることにする」ことによって成立する。
そのことからも、人間が「主導権」に執着・固執するということは、700年先行した文明をもつ「宇宙人」とコミュニケーションをとる、ということを難しくさせるであろう。

知的生物として700年我々より進化しているであろう「宇宙人」からすれば、その人間の知的生物としての下劣さに矯正を求めて進化を促したいとか強制された場合、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執することを放棄できるのか?。
単純なことだが、700年前の我々は、科学的な理解も劣り、倫理観も開けていなかったことで、社会の歪みを抱えていたことは概観できる。
としても、その当時のその社会の規範を成している人が、その依って立つ規範を否定され、違った制度を突然あてがわれたならどうするのか?。
混乱と拒絶は、現代の宗教に身を置く者・経済に執着する者とて同様のことになるはずだ。
「我々は現状これが一番良い」と「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執していたいのだから、「宗教」の者はその「宗教」に執着・固執し続け、「経済」の者は「経済」に執着・固執し続けていくはずだ。

我々人間だけの間、つまり人間同士では、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執することは同族の馴染みであるが、そのことは、戦争や殺戮、搾取や格差など深刻な問題が噴出していても問わずにあるいは無視できることとしていたいが、700年文明が先行しているであろう「宇宙人」に同様うにしようというのは現実的か?。
といって、その人間同士での同族の馴染みの「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執することを700年先行した文明をもつ「宇宙人」にすることに、人間は躊躇があるのか?、というと、我々人間は普段どうりのことをしてしまうものなので、問題になるとしても理解を及ぼせようとはしない。

さて、我々人間とて高度な技術開発をしてきていることで、物事に接するには、予測と観測、その結果として、直接関わる・関わらず観測、とか方法を検討するものである。
となれば、700年技術が先行しているであろう「宇宙人」は、上述の人間性を観測した上で、直接関わることを選択してくれるだろうか?。
「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執するときに、意見の一致を見れば一致団結とかだが、反意なれば拒絶・殺し合い。
そういうもっとも下劣な知的生物である人間に、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が好き好んで関係性を求めてくるとは考えにくい。
いずれにしても、まずは人間が現状の知的生物として下劣な関係性に目を向け、戦争や殺戮や格差といった様々な問題を解決することが700年先行した文明をもつ「宇宙人」と関係を持つ方向に歩みだす一歩であるとおいらは考えるのだが。
同族がいがみ合っているのに、まったくの異質な種と関係を持って平和的に相対せるはずもない。

しかし人間は、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執し続けることによって戦争や殺戮や格差といった様々な問題を解決することができないことにより、700年先行した文明をもつ「宇宙人」は接触を拒絶するであろう。
ツイッタータイムラインにSF文学とかだだ流ししているが、「宇宙人」なんて人間コピー程度の設定しかなかろうからなぁ・・・。

「主導権」については以前から愚痴っているけれども、「宇宙人類学」とか大学関係はやっぱり「主導権」に執着していたいはずだ。
だけど「宇宙人」は「主導権」でないとおいら劣等生高卒ノータリンは考える。
「主導権」、つーかこの究極は「独裁」で、これが成立しない理由は書きかけで投げているが、まずもって人間は神では無いことで必ず「想定外」が有るし、特定の「主導権」を掌握する者だけが全体を動かすとしても得て不得手があることで「想定外」への対処が左右される。
欧米か!、なら「強いリーダーシップをもって」というところだが、一方で、日本民族船頭多くして船山へ登る、ということにもなる。
だが、「主導権は他はいないことにする」のだから、数十年とか数百年を超えてとかかかる宇宙の閉塞空間で時を止まらせて(冷凍睡眠?)いるのならまだしも、様々なアクシデントが想定できるのだから、その「主導権」を持つ者の判断のみだけで対処できる事態しか起こりえない、というのは福島原発10mオーバー津波事故程度のこと。
「主導権」はある程度の想定内のことに有効であって、「未知」が大きいと機能しなくなる・・・開戦時の想定が敗戦が濃厚になると「想定外」に慌てることが顕著になるとか。
たいがいの独裁が国家の没落に向かうとか。
現状の物理法則で実現できる星系間宇宙旅行は余りにも「未知」が大きい。

で、大学が「主導権を求め拡充するためにいく」ところなので、「主導権」の理解をしていないように思うのだが?。
「自分が主導権を持ちたい」というのは凡人事。
「自分が主導権を持てば(もっていさいすれば)良くなる(悪化させない)」・・・この人間の確信はなんやねん?。
で、「主導権」は個のものだということを誰も理解していない。
中国とかだって上は「主導権」を振りかざすが下々は利権。
その「主導権」に一応従っているふりをしなければ、自らの「主導権」が皆無になるから、とりあえず自分が譲れる範囲で「主導権」に従っているだけ。
そのことは、「主導権」に従っているときには大概の者は言わずもがなで個としての「主導権」を頑なに持っているわけだが、それが上になると、従っていたときの個としての頑なに「主導権」を持つことを忘れて、上に立つ者は個の者共の集団は「主導権」に従うものだとしたいわけだ。
これで支配者はたいがいすっ転げる。
徳川商人台頭300年とか。
「主導権」の賛美は困難に立ち向かって克服するだが、これは上手くいかなかったことは言わないことが大人の約束事(それか鬱憤ばらし程度の責任追求)。
一番の問題は、上手くいかなくなったとき。
これは内紛分裂。
ということで、ユーローとかははなっから鼻で笑ってる。
中国は利権の数だけ国がある。
アメリカは地方方々制度が違う。
ロシアは只今没落奈落落ちていく最中?。
となれば、星系間を数十年以上かけて来るであろう宇宙人が、「主導権」に執着・固執する知的生物とは考えにくい。

だがしかし、「宇宙人」が地球で人間がしているような「主導権」に執着・固執する存在であるとすれば、「主導権」を求め拡充しようとする大学や大学関係者が「宇宙人」とコミュニケーションをとる、というのは意志疎通する上で問題になるのではないのか?。
つまり、お互いが「主導権」に執着・固執するということは、お互いに「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」と言い合うことだ。
そうしたことが700年の文明差が有ってなお意志疎通ができるとは考えにくいと思うのだが?。

これが、700年先行している文明をもつ「宇宙人」であることによって、「だから人間に接触しない」、と判断をすれば問題は無いが、逆に人間が他星系に行くとなれば、「主導権」の執着・固執が問題になる。
自作晦渋小説「焦土に漂いて」で設定していることだが、文明を持たなければ奴隷・狩り・ペット・牧畜・駆除は地球でしているごと。
エコノミックアニマル日本は喉元過ぎれば熱さ忘れずだが、今は中国人が世界で鼻つまみ者とか。
これは「自分が自分のところでしていることを他国でする」つまり「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執することで、足を踏み入れた地で軋轢を造っている。
これは人間、というより生物が須らく持つ性質で、自分を存在させる行為そのものなのだが。
当然、「宇宙人」が地球に来て「主導権」に執着・固執されては堪ったものではないが、人間が他星系に行って「主導権」に執着・固執することを排斥されるときの人間がもつ不当感は堪ったものではないだろう。
こうしたことなどなど、人間が人間を理解していない・理解したくないことが、700年先行した文明をもつ「宇宙人」にとっては不快感に成り得るはずだし、この是正・矯正を強制されるなど、人間側が受容できるはずもないし、人間側が今までの経緯から是正・強制を求められても従えるはずもないし、できるわけもない。

ということで、700年先行した文明をもつ「宇宙人」に出会うことの問題の一旦は、「宇宙人」からよりも、人間の問題の方から考えた方が具体的。
ツイッターでおいらの自画撮りの化物顔を掲載したところ、ツイッター過去タイムラインから削除されている。
ツイッターは「見ため問題」は門外漢にすることは確認できたということだ。
まぁ、それが社会の良識というもん。
「不遇」を背負ったら社会から排斥されるというのが条理。
で、そういう「宇宙人」歓迎~・・・来訪してくる「宇宙人」が、スターシア(宇宙戦艦ヤマト)のような容姿端麗に限られている分けなわけなかろうが!。
ワイアール星人(ウルトラセブン)の容姿だったらキモイ!と蔑むのかよ?。
この「見ため問題」、というか「不遇」ということは、人間が知的生物であることに致命的な問題であることをエライセンセイは指摘しないというか考えないというか。
こういうところで、容姿で祭り上げる「宗教」はでたらめ的に知的生物というところからは遠い。
「見ため問題」つーか「不遇」ということは、「主導権」で深刻な問題を持つのだが、大学が「主導権」を求め拡充しようとするところなので、「障害者」とか学問しようとするわりには、「不遇」ということは明後日に向いて理解しようとはしていないようにみえる。
つまりそのことが人間の「宇宙人」理解にも適用できるということだ。
人間は「不遇」ということに理解があるのか?、と言っても理解がないからもめることなので愚問というのは自明だが。
要は「主導権」に執着・固執するということだ。
「不遇」であることは、有ることの行為行動に支障がある、もしくは多くのことに支障がある、ということだが、「健常者」であっても得て不得手がある。
それをとりたてて「不遇」にして忌み嫌う、ことに理解が無い、のが大学問題でそれで障害者理解だとか。
「不遇」であることが人間としての存在に「致命的」であるなら核でも細菌兵器でも化学兵器でも使ってみ~んな「不遇」にしてしまえ!。
では話ににならんが、「不遇」であることが問題なのは、「不遇」であることを問題にする個人・あるいは社会であって、その人が背負った機能の問題が「不遇」であるということでは必ずしもない。
おいら化物顔であってもロリちゃんには好かれるし、今も若いネーチャンが話し相手になってくれる。
その「不遇」ということが槍玉にあげられるのは、槍玉に上げようとする個人が、自分がその場・関係性での発言権や状況コントロールしたい、つまり「主導権」に執着・固執しているときに顕在化する。
一方、社会では「不遇」が社会機能を損なうとして排斥要求するわけだ。
社会機能というのは「主導権」とは関わりが無いようだが、「不遇」なことで「滞る」「邪魔される」「混乱する」ことは「主導権」を破壊されることになる。
程度が深刻な精神障害者を側にしてなど、大概の健常者は拒絶したいところ。
なにを程度が深刻なことだとするのは定かではないが。
そういう人間の有り様を愚痴ったところで、700年先行した文明をもつ「宇宙人」ということに視点を戻す。
すでに他で愚痴っていることだが。
火星人と言えばタコだとか。
いや、異形ということではない。
「古いタイプ」ということだ。
地球ならオウムガイやシーラカンス、目の敵のゴキブリとか。
地球史とか理解があればだが、種というものはその星で年月を経るのは難しい。
絶えず絶滅に瀕しているということができる。
したがってオウムガイやシーラカンスやゴキブリなどといった年月を経た種は、つまり幾度となく絶滅の危機を乗り越えた種には畏敬の念を持って接するべきだ。
だけども人間は「あいつらは下等だ」。
じゃぁ人間より新しい種は?、「新参者」。
いずれにしても、見下す対称にしか見ないと言うのが人間というもの。

ということで700年先行した文明をもつ「宇宙人」。
来訪する700年先行した文明をもつ「宇宙人」は古き種なのか?、それとも「新参者」か?。
いずれにしても、人間はなにかにつけて相手を「不遇」の意味付けをしたいものだということだ。
その場での「主導権」を持つということは、人間にとっては至上命題。
あるいは属する社会を(とりあえず)良しとしているなら社会に属する者として、「宇宙人」がその社会機能を損なうなら「排斥」。
「高度な宇宙人」ということがコミュニケーションの評価基準にはならない、と言ういことを人間は理解していない。
人間が「主導権」に執着・固執しようとすることで、「不遇」のレッテル貼りをする関係性、ということを700年先行した文明をもつ「宇宙人」は明確に観察できるはず。
つまり、人間同士、あるいは人間の社会が知的生物として「不遇」のレッテル貼りから脱却していないことは、「宇宙人」は「不遇」のレッテル貼りを嫌って地球には来訪しないということだ。
ということで、ツイッターはツイッター内での社会機能を損なうことになるからおいらの化物顔は「排斥」。
ということで、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が今の人間の社会機能としての「不遇」の改善を求めてくるとすれば、人間は社会機能を守ろうとして「宇宙人」を「排斥」、そんな構図になるであろう。
この「不遇」に対して、「自分の方が上」「自分の方が優れている」という勝手根拠とかを「主導権」の理由にしてしまうのが人間がもっとも下劣な知的生物足る所以。
宗教・人種・イデオロギー・会社の地位・地域社会・不遇見なし・個人の対人関係・・・・。
その勝手根拠によって「主導権」ならまだしも「決定権(決めつけ)」が有ると思い込みたいのが、あるいは「主導権」に執着・固執することで、諍いから戦争まで人間の愚行が尽きることはない。
「自分の方が上」「自分の方が優れている」とすることで「自分のしたいことができる」ことで「自分の望んだ結果になる」と思い込んでいたいのが人間というところだが。
「主導権」の究極である「独裁」は見てのとうり社会は破綻しているように、「主導権」に執着しても「自分の望んだ結果になる」分けではない。
「自分の方が上」「自分の方が優れている」とすることで「自分のしたいことができる」ことで「自分の望んだ結果になる」ことになるのかならないのか?。
といったところで、3人寄れば文殊の知恵といきたいが「主導権」に執着・固執する「自分の方が上」「自分の方が優れている」としていたい烏合の衆といったところで、自らは鶴の一声になりたいと争い合うのが下劣な知的生物の人間。
しかも、否定的な意見というときには、「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」としてしまう。
こうした思考アルゴリズムの人間が、700年先行した文明をもつ「宇宙人」と友好的な関係をすることができるのか?。
それ以前に、人間同士で平和を実現できるのか?。
それはつまり、系外旅行宇宙船の航海の間、問題を治めて安全に配慮した社会状態を維持し続けることができるのか?。
当然のことだが、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執があることで、700年先行した文明をもつ「宇宙人」に対しても「自分の方が上」「自分の方が優れている」とすることで「自分のしたいことができる」ことで「自分の望んだ結果になる」と執着・固執するのが人間というもの。
さらには否定的な意見というときには、「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」・・・いや、「主導権」があると思いたいがための「自分の方が上」「自分の方が優れている」とすることが否定されることは、すなわち「主導権」を否定され、あるいは「自分の方が上」「自分の方が優れている」と思っていたいことを失効・失墜させられるものとして拒絶する。
ということは、人間同士日常茶飯事なのは誰しものこと。
その人間同士の関係性を、700年先行た文明をもつ「宇宙人」にも人間はせざる終えないというのが、人間はもっとも下劣な知的生物である所以であるところ。
そうしたことは、700年先行した文明をもつ「宇宙人」にとっては簡単に見て取れるし、その理解から関係性を持てば難渋することを理解するのは容易なことなので、したがって、「宇宙人」がこの地球に来訪することはありえないと断言できる。
「大学」つーか「宇宙人類学」でも「主導権」という旧態以前。
作り話の賛美が柱なのか?、現実社会の軋轢を参照せずに宇宙社会が実現するはずもない。

700年先行した文明をもつ「宇宙人」が来訪してきたとして、一番の問題点は「言語」ということになるのは、誰しも普通に考えることなのだが。
「言語」が違う、ということで、「コミュニケーション」がとれないとは、まぁ普通事。
問題なのは、我々人間がそれぞれの国語でないと話せない・・・これは、国よって、あるいは個人が他国語を話していることで、さして問題は無い。
当然のことだが、700年先行した文明を持つ「宇宙人」の方が、人間と「コミュニケーション」をとる意思があるのなら、なんらかの対応をするというもの。
定かではないが、漫才コンビのパックンマックンのアメリカ人の方が、アメリカからの飛行機に乗っている間に日本語を覚えたとか。
我々が電波を使う、すなわち宇宙に対して、言語・文化・行為がだだ漏れなので、700年先行した文明をもつ「宇宙人」は人間の言語や思考の仕方を取得するというのは片手間なことであるはず。

問題なのは、我々人間が「コミュニケーション」を取ることに適した種ではないということだ。
「コミュニケーション」と言ったときに、我々人間は「情報を得る」、ということを主眼としているが、では「宇宙人が地球に情報を送った」「人間が宇宙人に情報を送った」ことになれば、「コミュニケーション」は成立したことになるのか?。
我々人間は人間同士であれば、現状あらゆる「情報」を得ることができる。
ならば、その「情報」を得・与えたことで「コミュニケーション」が成立していることにすれば良い。
ところが、事態はそう簡潔なことではない。
だが、一般論としては、「情報」が「コミュニケーション」に必須とし、「だけれども」「コミュニケーション」が成立しないことに深刻に悩みながら、その解決策も見出せないまま、深刻な問題はうやむやにして関係性を続けるか破綻させて、関係性を無視あるいは諍うことを選択してしまう。
これは別なところで愚痴垂れるが、「コミュニケーション」ということには、我々人間は「解」を持ち合わせていないというのが現実だ。
なぜなら、上述したように、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執し続けているからだ・・・「主導権」の究極は「独裁」であり「独裁は他がいないことにする」もので「主導権」も少なからず「他がいないことにする」意味を持つのだから。
そうしたことから、「情報」、すなわち「言語」が使用されていたとしても、その人間の個人間での「言語」によって伝えられる「情報」は対外的なところからの人間ー心(?)への流入であり、そのことで流入してきた「情報」を今まで得てきた「情報」と参照し、生来と経験則で「情報」を取捨選択・意味付けしたこが「人間の得た情報」となり、これはさらに「主導権」に執着・固執することで、「情報」は個人や集団の意味(理解するところ)に変えられてしまうことで、外の「情報」がそのままの「意味」になるわけではなく、「人間の情報処理」の過程を経たものが「現実の情報」であり、その「現実の情報」に従って判断・行動していることを自らの存在理由・自らの正当性として「主導権」の執着・固執する、つまり解釈は違うことになり、そのことで「コミュニケーション」は成立しない。
そもそも我々人間が旧来での「情報」を得るということは、位置情報とその位置情報に観察、つまり危険察知とか欲求を満たすこと、あるいは生に準ずる「情報」の取捨選択、などが主で。
現代では、生には関係の無いエンターテイメントやグルメといった、生から逸脱した「付加価値情報」が「コミュニケーション」とされている。
「情報」というものは、求める意義・意味があるところでの「情報」である。
このことは、人間の目下の状況によって選択や理解が異なるということになる。
「水」は砂漠地帯での意味と、熱帯雨林での意味は当然違う。
「空気」の「宇宙」での意味と、地球の地上での意味は当然違う。
その上で、我々人間はその個人の目下の状況でのその個人の意味理解が最優先で、他の意味は二の次にするというのが日常のこと。
このため、国家・イデオロギー・民族・宗教・地域集団・個人なだなどが違えば、そこで扱われる「情報」も違うし、その同じ「情報」であっても意味が違うことになる。
ただ、「情報」は対外的なところからの人間ー心(?)への流入であり、そのことで流入してきた「情報」を今まで得てきた情報と参照し、生来と経験則で「情報」を取捨選択・意味付けしたこが「人間の得た情報」ということになるのだから、このことで「情報」は万人に共通の意味がある分けではなく、個々の人間あるいは限られた集団の経験則に従った理解、つまり意味を持つことになる。
こうした「人間の情報処理」の過程を経ることで、個人あるいは集団にとっては、外の「情報」がそのままの「意味」になるわけではなく、「人間の情報処理」の過程を経たものが「現実の情報」であり、その「現実の情報」に従って判断・行動していることを自らの存在理由・自らの正当性、つまり「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執するとしているわけだ。
そのことで、「コミュニケーション」という時には、「情報理解」つまりその「意味」が食い違に対しては、「現実」を理解していないと相手を軽視することになり、それぞれ相互の人間が「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執する関係性になる。
ならば、その「コミュニケーション」を、人間は「宇宙人」にするのか?。
逆に「宇宙人」が人間にそのように「コミュニケーション」をとってきたなら、人間はどうするのか?。

さ~て核戦争しようぜ!。
となれば、「宇宙人」からは卑下されることになるのだろうが。
ここで問題なのは、「文明の発達に相応の技術を持つ」ということ。
おいらとしては、地球を何千回滅ぼせる「核兵器」を持つより、地球を一発で滅ぼせるモノが一発有ればそれで事足りると思うのだが。
そんなもん、もっとも「核兵器」ともども、もっとも下劣な知的生物であるところの人間という種が持つべきモノではないだろう。
だから「文明の発達に相応の技術を持つ」という考え方が必要だが、「核兵器」は人間の文明レベルには相応しくないもの。
そのことは、700年先行している文明をもつ「宇宙人」の技術を、人間が取得するべきではない、ということである。
人間にしてみれば、とにかく先進的技術を取得して、「主導権」に執着・固執したいというのが、「宇宙人」と「コミュニケーション」をとりたい欲求ということになるのであろうが。
たとえば、現状我々人間が宇宙に対して欲求することは、「宇宙航行技術」であるが。
ところが、人間が地球でしていることに目を移せば、上述したように「宇宙人」が「宇宙航行技術」を供与してくるとは思えないのだが。
エコノミックアニマル日本、中国人の海外評価、宗教と経済の対立・・・ただし、経済の不平等性ということもあるので両成敗、あらゆることでの搾取行為、汚し&破壊・破滅。
地球で人間がしている行為によって問題を頻出させているところで、人間が「宇宙航行技術」を取得したならば、人間は地球でしていることと同様のことを宇宙のあちこちでしてしまうのは自明。

そのような「軋轢」になることを、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が供与を認めるとは到底思えない。
「管理」とか「責任」とか人間は無責任に法螺を吹くとしても、地球が軋轢で満ち満ちていることは、700年先行した文明をもつ「宇宙人」には一目瞭然なこと。

一時「小惑星採掘フィーバー」で金持ち連中、つまりもっとも「主導権」に執着・固執したい者共が沸いた時期もあったが、「宇宙」の現実理解もないことで早急に沈静かして見る影も無い、といったところ。
「小惑星商業採掘」の具体案を検討してきたおいらとしては、「無重力で砕石・鉱石を容器に入れる」困難さを理解していたことで、宇宙の専門家のエライセンセイとかが浮き足立って「小惑星採掘」に沸いているのは冷笑って傍観していたが。
こうした宇宙開発を専門とするエライセンセイとかが、その専門性から口を挟まなかったことが不思議と言うか、「主導権」に執着・固執する金持ち連中つまり資金援助者に苦言を呈しなくて当然というか。
現状スペースデブリ・・・有人火星探査では衝突オブジェクトを別称で呼称していたが・・・小惑星採掘というよりも、小惑星にかかわる行為、もちろん小惑星採掘、採掘した鉱石・砕石の運搬のそのそれぞれの過程でのオブジェクトの飛散についてまったく言われていないのは、現状のスペースデブリ問題からすれば、「宇宙開発」のエライセンセイが苦言を挟まなかったのには首を傾げずに入られないが。
「遠い」ことが「問題にならない」ということにはならないのが「宇宙(で起きる現象)」であることは、「宇宙開発」を専門とするエライセンセイはよくよく理解されておられるはずだが。
あるいは、人間が小惑星になんらかの行為をしたことで、地球衝突という事態になったならどうなのか?。
これは「距離」であると同時に、遠い未来の可能性とかいった「時間」の問題でもある。
地上では、放射性廃棄物の長期保存に対しての管理責任が問題であるが、小惑星採掘によって、軌道が変わり(質量の変動によっても軌道は代わるはずだが、「宇宙開発の専門のエライセンセイはどのように御考えか?)遙か未来に地球に衝突したとして、誰が責任を持つのか?。
「遠い」ことで問題にならないハレー彗星地球衝突騒動とか。
ハレー彗星軌道よりも遙かに近傍での小惑星採掘が、地球や宇宙開発にはまったく問題にならないというのは、福島原発10mオーバー津波想定外事。
もうすでに当然のことだが、小惑星地球衝突を想定して監視態勢強化というところで、小惑星採掘は分離か別次元で考えようというところが、「主導権」に執着・固執する人間らしいところと言えるだろうが。
現状問題解決が困難であっても、将来的には解決可能だとか。
デメリットよりも、今手に入る利益を優先させるべきだとかは、今まで人間が地球でしてきた思考ルーチンであって、問題の深刻化は目を覆うばかりの無視するべきことで、小惑星地球衝突滅亡で良いじゃん。
小惑星採掘で問題が起きたとして、その問題が解決困難になってしまったから、700年先行した文明をもつ「宇宙人」に解決お願いしま~す・・・破廉恥と言うか厚顔無恥と言うか。

もっとも、現状宇宙開発は、今もって探査の段階であり、今世紀中に探査(知見を得る)から脱却して、実用的な開発段階に移行できるかはかなり見通しは暗い、と言うのが現実であろう。
現状、バンアレン帯の内側での1年近い滞在期間というのが現実で、今からバンアレン帯の外に挑戦していこうというところだが、生命体への被爆量と無重力、バンアレン帯の外へ有人宇宙船を飛ばすコストなどなどの問題が大きく、バンアレン帯の外にでて得られる利益というものが不透明この上ない。
せいぜい、月からどれだけの有用な希少な資源が得られるか?、といったところ。
だが、この「宇宙利用」は「宇宙人」からみたとき、何の問題にはならないのか?。
上述したように、人間は「主導権」に執着・固執していることで、今人間が地球でしていることを、そのまま宇宙の各所でしていきたい、ということは自明。
「ルール作り」をしたとしても、「ルール(情報)」は対外的なところからの人間ー心(?)への流入であり、そのことで流入してきた「情報」を今まで得てきた「情報」と参照し、生来と経験則で「情報」を取捨選択・意味付けしたこが「人間の得た情報」となり、これはさらに「主導権」に執着・固執することで、「ルール」は個人や集団の意味(理解するところ)に変えられてしまう。
現在アマゾンの伐採が問題、海洋資源の乱獲・埋め立て、鉱山の陥没・残土の環境破壊、ヒートアイランド現象などなど、人間が地球で生きることでの深刻な問題が頻出しているが、こうしたことを人間が宇宙各所に赴いてしようというのは、700年先行している文明をもつ「宇宙人」には到底容認できまい。
一方で、ならば「宇宙利用規則」ということが「宇宙人」には策定されていることで、この遵守を人間に求めてきたしても、人間個人あるいは人間集団にとっては、「ルール(情報)」は対外的なところからの人間ー心(?)への流入であり、そのことで流入してきた「情報」を今まで得てきた「情報」と参照し、生来と経験則で「情報」を取捨選択・意味付けしたこが「人間の得た情報」となり、これはさらに「主導権」に執着・固執することで、「ルール」は個人や集団の意味(理解するところ)に変えられてしまうことで、外の「情報」がそのままの「意味」になるわけではなく、「人間の情報処理」の過程を経たものが「現実の情報」であり、その「現実の情報」に従って判断・行動していることを自らの存在理由・自らの正当性として無視をしていくことになる。
「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執によって、「宇宙利用」は人間の判断でなければならないし、人間の判断にできないことが「宇宙人」との軋轢になることになるのは容易に予測できる。
したがって、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が人間に「宇宙利用」を認めることが、「人間が利用する地球環境」を参照すれば、「宇宙」にはデメリットになることは自明のため、人間に「宇宙利用」を認めることは無いと断言できる。
もちろん、人間側はいかなる理由があろうとも、そこで得られる利益・富に渇望して、宇宙各所に行くことに執着・固執するであろうが。
利益・富を求めようとするところの「主導権」に執着・固執する現状、月利用計画は進行中であるが、さりとて、実現できる技術があるかといえば、いまだ開発中で、しかも、月まで技術を持っていけるかさえ見通しは定かでない。
火星にいたっては、当面見通しが立たないというのが現実。
人間が、惑星間を越える技術を持つにはいまだ至ってないこと、さらには系外惑星に到達するには、まだ700年は必要なことから、その上人間が「地球環境」を破壊し行くことで、人間が宇宙へ旅立つための技術開発に当てられる期間(時間)はどんどん削られていく。
ならば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」にすれば、人間が系外惑星航行技術を確立することを憂慮するよりも、地球環境破壊から人間が滅ぶのを待てば、「宇宙」で人間が問題を起こすことを憂慮する事態は起きないのだから、700年先行した文明をもつ「宇宙人」は地球を来訪するよりも、人間に接触を求めることなく傍観しているのが御利口さんというもの。

700年先行している文明をもつ「宇宙人」の技術で問題なのは、「自分の方が上」「自分の方が優れている」としていたい烏合の衆の一般人間の方でも有るが。
一般人、その大概の個人は「自分の方が上」「自分の方が優れている」としていたいところだが、酸・アルカリ洗剤の混合は中学義務教育レベルであるのに混合して自らを危害の目にあわせたり、日常使っている携帯・スマホなどはすでに理解の及ぶことではない。
すでに我々の日常は、身近な技術といえども我々の理解を越えている。
すでに日常に溢れている技術によって、誤った理解や使われ方をすることで、我々の日常が常に危険に曝されている。
これは悪意によってばかりではなく、酸・アルカリ洗剤の混合のように(アルカリ洗剤と塩素を混合して常用していたバカが実際にいた)誤った理解や、短絡な目的思考によって、事態を悪化・危害を招いてしまうこともあるということだ。
我々が、日常触れる技術であっても、正しい理解を参照して、技術を正しく使うことができていないというのが現実で。
さらに、700年先行している文明をもつ「宇宙人」の技術を取得して使うということは、我々にとって恩恵ばかりに目を向けていられることなのか?。
危険ドラッグなど、技術が悪用されている代表例だが、もともとは通常得られる科学技術を一部の人間が利用しているに過ぎない。
一部の人間ということで、700年先行している文明を取得することでの問題は問わない、とするならば、危険ドラッグの社会的悪影響も問わなければ良いではないか。
そうした人間側の問題点は現在そして未来進行形なのは自明なのだから、700年先行している文明を持つ「宇宙人」が、その技術を人間に供与してくれるとはとうてい考えられないところだが、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執し続けたい人間としては、700年先行している技術があれば、人間はより「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執することができるとしてなんとか取得したいと欲望するもの。
これは、現在の国家、イデオロギー(今は過去の遺物?)、民族、宗教・経済、企業、集団、個人の対立から、そのそれぞれの対立の打破に求めたいし、「宇宙人」と肩を並べたい(僻み・猜疑心・妬み・欲求を満たせる)として、必ず人間は取得を欲求せずにはいられない。
となれば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が来訪してきたとしても、700年先行している技術を取得することができない人間が不満から軋轢をもつことは自明なことだが。
いかんせん、700年先行している文明をもつ「宇宙人」には、人間は手も足も出ないのは自明。
だけど人間は、「自分の方が上」「自分の方が優れている」としたい。
このような関係性を前提にされて、700年先行している文明をもつ「宇宙人」が好んで人間と「コミュニケーション」をもとうとするのであろうか?。

現在地球の人間同士の間では、宗教vs経済が深刻な対立問題になっているが、これはそれこそ「情報」は対外的なところからの人間ー心(?)への流入であり、そのことで流入してきた「情報」を今まで得てきた「情報」と参照し、生来と経験則で「情報」を取捨選択・意味付けしたこが「人間の得た情報」となり、これはさらに「主導権」に執着・固執することで、「情報」は個人や集団の意味(理解するところ)に変えられてしまうことで、外の「情報」がそのままの「意味」になるわけではなく、「人間の情報処理」の過程を経たものが「現実の情報」であり、その「現実の情報」に従って判断・行動していることを自らの存在理由・自らの正当性として、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執によって激化している。
個人的には、宗教が人造の神を祭り上げ、自然の摂理の理解に乏しいことで宗教は支持できないが。
一方で、おいら自身経済の恩恵に溺れていながらも、経済の一方的な搾取には辟易していることで、経済ということには不信の目を向けている。
双方に対して支持できないというのがこちらの態度であるが。
さて、今は宗教の方が余りにも摂理を無視拒絶していることが否定的に思わずにはいられない。
摂理とは多様性ということだ。
一律・一様は自然ではない(「人工」)、自然でないことに神の御考えといものは無い。
そうして、宗教の立場にすれば、宗教は不変を誇示・固執する立場であるが、残念ながら宗教はその時々の社会情勢に左右されてきているのだが、宗教は歴史だと言いつつも、変化変遷の歴史を言わない卑怯者である。
現在でも、自爆テロというのは、ステルスミサイルのごとく、人の目から逃れて目的の場所を破壊しようというもの。
出自は違うかもしれないが、目的に対して方法論は似たり寄ったり。
そうして、こうした戦闘活動をするためには、資金が必要であり、その資金を得るために経済活動をしている。
それで、宗教を信仰しつつ対経済にジハード(のような思想)をしているとか。
宗教、その信仰によって、経済を否定するというのなら、経済によって得られる兵器によらずとも、信仰の力のみで戦って見せろよ!、と言いたいが、そこは宗教が変化・変遷していることは問わず、勝手の良い言い換えで自己満足というのが宗教というもの。
だがしかし、経済活動をしていることで、そこでの宗教上の変化は確実にあるこことで信仰をしている人のその変化・変遷は擦り込まれているわけだから、このまま宗教が戦争をし続けていくのも、より経済へ向けての変化・変遷が浸透していくのかもしれない。
これは人間同士の対立だが、個々で問題なのは、嫌っていたとしても、相手が強者であるならば、その強者の強み習うことになるし、自分達とは違うことを習う、すなわち変化・変遷するということは、今までの自分とは違った考え方になっていくということだ。
日本の明治維新は可愛いものだが。
その点、700年文明が先行している「宇宙人」が、我々人間からみて嫌う相手だった場合、しかも、現実の宗教VS経済のように、戦争関係になった場合、その嫌うことで「宇宙人」の強い所を習わず、人間の「アイデンティテイ」にのみ執着して戦うというのは現実なことなのか?。
我々日本帝国軍は、自らの「文化」に執着しようとして敗戦した。
だが、すでに欧米の文明を導入していたのに、そこは問わないというのも滑稽な話だが。
いずれにしても、700年文明が先行している「宇宙人」に関わることは、相応の「強いこと」を我々人間は学ばなければならない必要性に迫られる。
そうして、いつのまにか、人間の「アイデンティティ」は変化・変遷しているということになる。
だが、はたしてその変化・変遷していくことが、我々に恩恵をもたらしてくれるのか?。
こうしたことは、「文明の交流」ということで、我々人間はすでに繰り返しおこなってきたことなのだが、ある時点の我々自身は、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」とさも確たる不変なモノが有るように固執・執着する。
人が近くにいることによって、互いの見聞きすることで交流することになり、その「強いこと」は自らのもの、つまり学ばなければ、「弱い」ままになる。
したがって、「強いこと」を学ぶというのは人間にとっては習性として必須であり、宗教はその「経済の強いこと」を学んで、つまり「宗教を変化・変遷」させて、経済と戦うために武器を購入し参加者に経済の恩恵を供与しているのだが、宗教関係者はその変化・変遷は言わない。

「強いこと」を学ぶというのは人間にとっては習性として必須であるのだが、その「強いこと」を持つ者と多く交流を持つ方が、より「強いこと」を学べる機会に恵まれる可能性があるわけだから、そのことは、それだけ我々は変化・変遷していると言えるのだが。
となれば、それだけの多様な変化・変遷した個人・集団が様々にいることになるのだが、ある時点の我々自身は、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」とさも確たる不変なモノが有るように固執・執着する。

さて、「強いこと」ということでは忘れてはならないことがる。
人間がこの地球上でしていることは、そのそれぞれの人間にとっては「正当」なこと、自らの「規則」なり「モラル」とか「倫理」とか掲げてしていることだが、そこにどのような意味が実際にあるかなど、人間は身勝手の良い理解しかしていないことが問題なのだが。
我々人間は、宗教・マイケルサンデルテペテンペスト(ペテン師・テンペスト)正義は、「人間がそこ(この地)にいる」ことを当然の前提として物事の理解をしているのだが、このことが人間が地球に問題を頻出させている全ての元凶というもの。
我々人間は、この地球上にただ一瞬の間存在させてもらっているだけだ。
このことは、絶えず「種」は」この地球上から消滅する可能性をもって生きているということである。
一方で、我々人間は人間も含む他への関わりはどうしているのか?。
侵略・略奪・殺戮・抑圧・搾取・・・様々な否定的な行為をしていることを、なぜ全面にして考えないのか?。
相手が弱いとなれば、一部原住民は守ると大義を掲げるとしても、宗教にしても経済にしても、その「主導権」に執着・固執するところで「弱い者」の永年の営みを破壊していく。
あるいは「護る」と掲げるとしても、動物はより狭い範囲に押し込められ、元々の種の営みを削られ破壊されていく。
これは、「生命活動は、境界を引く、境界を踏み越えるもの」といこうとによるのだが。
「保護区」によって「護る」というのは、その地域の環境が不変でないことによって護るということには必ずしもならない。
このため、「種」は絶えず周辺地域に拡散侵入していくことを試みる。
その「生の営為」を否定してしまうのが「保護区」であり人間が「種」の幽閉を試みようとしている。
だが、地域環境は変化していくことが自然環境であることによって、その地域の自然環境の変化についていけない種は絶滅することになる。
そのような理由があることから、人間の定めるところの「保護区」というものを「種の棺」とおいらは呼んでいる。
この絶滅を逃れるためにも、新天地を求めて「生命活動は、境界を引く、境界を踏み越える」。
これが、人間自身に降り掛かった場合どうであろうか?。
700年先行した文明をもつ「宇宙人」が「この地球は人間の保護区」であるとして、人間をこの地球に幽閉してしまうとか。
二酸化炭素による地球温暖化はおいらは否定的だが、スーパーフレアが観測から必ず起こることが分かったとしても、「人間の保護区として人間は地球に幽閉されたままいる」・・・「自然保護区の中だけで動物が護られていれば良い」ならば、「人間は地球の中だけで護られていれば良い」ではないか。

あるいは、人間が身勝手に必要性や付加価値によって、いくらでもその種を捕り尽くそうとか。
これは、人間側でも問題にしているが、その問題の深刻さの受け止めようということは、「種」が滅ぶという深刻さの程度とは甚だ掛け離れているとしか言いようがない。
問題は、人間がこの地球上でしていることを、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が同じように地球あるいは人間にしてきたときには、「それは人間程度の理解をもって700年先行した文明をもつ「宇宙人」がしてきても良い」のか?。
人間がこの地球上でしていることは正当・不問だが、同じことを700年先行した文明をもつ「宇宙人」がしてきたら、不当だ!・悪だ!、と身勝手丸出し。
森林伐採・造成・開墾・河川治水・民家&都市化・埋め立て・・・・等々、これらは人間が人間にとっての必要性からしているということであって、地球環境から見れば人間からの一方的地球環境破壊でしかない。
ここでは、「人間が人間にとっての必要性」ということであるが、これを700年先行した文明をもつ「宇宙人」が同じように地球あるいは人間にすれば、人間はどのように考えるのか?。
当然、人間は森林伐採・造成・開墾・河川治水・民家&都市化・埋め立て・・・・等々を、地球に対して耳を傾けようとはしない、ましてそこに棲む生き物の言い分など聞く耳を持たない。
それと同じように、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が人間や地球環境に対してすれば良いではないか。
「当然」、700年先行した文明をもつ「宇宙人」の知恵や技術には、人間の知恵や技術では対抗できない。
もちろん、「困難」であるとしても、人間は知恵や技術で「困難」に打ち勝ち排除してきたように、700年先行した文明をもつ「宇宙人」も「困難」には知恵や技術で「困難」に打ち勝ち排除していくだろう。
「当然」、人間が地球環境やそこに棲む生き物の言い分に耳を傾けてこなかったのに、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が人間に耳を傾けないことに人間が怒っても聞く耳も無い。
こうしたことからも、700年先行した文明をもつ「宇宙人」に出会うと考える以前に、我々人間は自らの悪行を認知して正す作業が必要であるが、人間「主導権」に執着・固執していたいところから、自らを「正義正当」に意味付けるのみにして、否定的なことは過小・矮小・無視していようとすることで、上述したように、700年先行した文明をもつ「宇宙人」から「倫理・モラル・規則・・などなど」700年先行した文明に値する叡智を人間に授けて従わせるとしても、もっとも下劣な知的生物である人間は、人間が今までどうりにしてきた、侵略・略奪・殺戮・抑圧・搾取・・・様々な否定的な行為や、森林伐採・造成・開墾・河川治水・民家&都市化・埋め立て・・・・等々を、地球に対して耳を傾けようとはしない、ましてそこに棲む生き物の言い分など聞く耳を持たない、ことを続けて行くことに執着・固執し続ける。
したがって、そうした人間の性質は観測・・・リモトーセンシング等で情報は簡単に採取・解析できることで、700年先行した文明をもつ「宇宙人」は人間と直接に接触を持とうとは考えにくい。

「調査」・・・「科学的調査」でなくても、我々人間はとかく「土足で」あちこち踏み入るものだが。
「国」にすれば、軍事施設に部外者に立ち入られたくない・・・一方で、他国の軍には侵入したくて堪らないところだが。
この「土足で踏み入ることに我々人間は理解が無い・・・したくない」ということは「人間は、自分の評価と他への評価を一致させることのできないもっとも下劣な知的生物である」ことを如実に物語っているが。
ならば、このような人間種の素行というものを、700年先行した文明をもつ「宇宙人」がしてきたならば、人間はどのように対応するのか?。
「人間は、自分の評価と他への評価を一致させることのできないもっとも下劣な知的生物である」
人間がする時には、地球地域・原住民・敗戦国といったときには傍若無人身勝手に「土足で踏入る」のだが。
それと同じように、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が傍若無人身勝手に「土足で踏入る」のならば、どのように対処するのか?。
繰り返し事になるが、700年先行した文明をもつ「宇宙人」には我々人間には対処の方法は無いはずである。
「人間は、自分の評価と他への評価を一致させることのできないもっとも下劣な知的生物である」
同様に、「700年先行した文明をもつ「宇宙人」は、自分の評価と他への評価を一致させることのできないもっとも下劣な知的生物である」・・・笑い話にもならん。
いや、700年先行した文明をもつ「宇宙人」であるならば、自身の保身も含めて直接の関係がデメリットが有ると理解でき、さらには物欲・・・得たいものはもち得る高度な技術で何とかできるはずだし・・・も低く、リモートセンシングも高度な技術を持っていることで、これだけ多くの問題を抱える人間に直接に接触を試みようとは考えないはずである。
さらに人間の問題を列挙していくが。

我々人間は、宗教・マイケルサンデルペテンペスト(ペテン師・テンペスト)正義は、「人間がそこ(この地)にいる」ことを当然の前提として物事の理解をしようというところだが、この前提がそもそも間違いであることが問えないのが人間の問題であるのだが。
この地球上では、他に「この地が自分のもの」と主張する「種」がいなかったことで、「人間がいい気になって言っている」だけのこと。
これは、人間が今までに地球が死滅状態になったっことを経験していないことによる。
人間はその地に足を踏み入れることで、「この地が自分のもの」と思い込んでしまうわけだが、ならば700年先行した文明をもつ「宇宙人」も、地球に来てそう思い込めば良いではないか。
この地は人間のものではない。
つまり、地球は人間のものではないし、地球が人間のものではないことによって、地球の一部地域が有る特定の者の(宗教や富裕者や国家)のものではない。
「この地が自分のもの」というのは、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執の基底を成すことから、その所有に執着・固執しなければならないのが人間であるが。
残念ながら、地球が繰り返し死滅環境を呈してきたことで、次の地球が死滅環境を呈するまでの間だけの借りの人間の所有期間でしかないというのが現実であるが。
宗教からは無視されることだが、その短い間だけの間に地球の所有に執着・固執しようという人間というものを、オウムガイやシーラカンスやゴキブリといった古い「種」は冷ややかに見ているのではないのかな?。
宗教上の教えでは、地球が死滅環境を呈したときに、神のお導きでのり越えたとかにしているが、福島原発・・・でなく日本の大津波を参照すれば、地球史として繰り返し起きていたことが地層に如実に刻まれている。
したがって、宗教上の教えが事実であるならば、なんらかの証拠が地球史の事実として刻まれているはずだ。
さらには、地球が死滅状態を呈しても神のお導きによって乗り越えたとなれば、地球全体のことなのだから、地球の旧き全宗教において、その歴史的時期の一致を見なければならない。
「箱船」の事実関係で言えば、積み込んだ動物しか地球上に存在し得ないとか、地球が水没しながらもなぜに「種」の多様性が見られるのか?。
今直ぐに事実を目の当たりにするならば、動物園の飼育餌が箱船航海期間でどのくらい必要かを見積もるのも良いだろう。
そうしたことなどから推測すれば、人間が地球が死滅環境を呈していた時期を乗り越えたとは考えにくい。
700年先行し文明をもつ「宇宙人」が、その母星の繰り返し死滅環境を呈した期間を乗り越えてきたかは不明であるとしても、人間より「種」の営みが遙かに長いものであるなら、それだけで畏敬の念を持って接するべきものであるはずなのだが。
我々は、他の「種」・・・オウムガイ・シーラカンス・その他諸々よりも「新参者」である。
そのことは、次の地球が死滅状態を呈したときに乗り越えられるのか?、というと、かなり否定的であるのは科学者とかのエライセンセイとか指摘しているところだが。
いずれにしても、我々「人間種」は、足を踏み入れた地を「この地が自分のもの」と思い込みたいもの。
このことで、地球環境は人間により蹂躙され、これから宇宙開発で人間が宇宙に旅立つことになれば、月は人間が足を踏み入れたから「この地が自分のもの」と思い込み、火星に足を踏み入れたから「この地が自分のもの」と思い込み、その延長線上で「スパーアース」に足を踏み入れたから「この地が自分のもの」と人間が思い込むのは自明。
そうして、地球でしてきたことと同じように「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」に執着・固執することで、その地を蹂躙していくことになる。
こうしたことを、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が容認・賛同・支援してくれることなのか?。
我々日本人は、太平洋戦争当時「この地が自分のもの」と思い込むために「進出」していったが、一方で、度重なる自然災害の脅威・猛威によって、必ずしも「この地が自分のもの」と執着できないことを思い知らされているが、他国・宗教ではそのような頻度が少ないためか、「この地が自分のもの」に執着・固執できなければならない、として戦争し合っているが。
いずれにしても、地球にとっては人間の「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執は関係も無ければ無視するべきことなので、次の地球が死滅状態を呈するときには人間は一掃されてしまうのは自明。
たかだか、地球の一部地域の自然災害でも人間は「この地が自分のもの」ということを一掃されてしまう。
「この地が自分のもの」ということに根拠が無いことを人間は理解するべきだが、「この地が自分のもの」ということに「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執していくことで、地球環境・他の種・隣人に軋轢を肥大させていくのみ。
このことで、宇宙開発によっても、出向いたその地を「この地が自分のもの」とすることで軋轢を肥大させることになるのは自明なことで、このようなことから人間に関われば軋轢になることが解っていることで、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が地球に来訪することは無い。

こうしたことなどなどは、「宇宙人」に出会うことを考える人あるいはエライセンセイからすれば、「KYだ」と嫌われ無視されるところだろうが。
この「KY」だというのが、的を射たことなのか?、というと、必ずしもそうでないことが大学とか心理学とかのエライセンセイが言われていないことが問題なのだが。
おいら劣等生高卒ノータリンが、その理解の無さからトンチンカンなことを言うというのも有るが、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執から「KYだ」と揶揄する側の方が、トンチンカンな考え方をしていることが有る。

つい最近のツイッタータイムラインで、「小型衛星がより簡便に軌道にあげられる」というところに、「宇宙エレベーター建設~」とおいらが突っ込んだら、「今、小型衛星のことを言っているのに、あなたは空気読んでいますか?」、と不快感を言ってこられたが。
これは、「小型衛星」に限っては、という話。
もちろん。
当然、「宇宙エレベーター」という時には、「宇宙エレベーター」に限っての話だが。
けれども、「宇宙開発」という時には、「その限られたこと」であっても、「宇宙開発全般」のことを参照して考慮しつつ考えなければ、実現性は見えてこない。
ロケットを打ち上げるにしても、現実にはその国際機関に届け出て、技術的・関係各国・スケジュール等々の調整をしなければならない。
当然、スペースデブリや衛星同士の衝突、衛星落下など、場合によっては深刻な問題になる場合も有る。
宇宙開発の専門家のエライセンセイ方が、宇宙エレベーター建設での衛星軌道オブジェクトの論説も無いのが、おいら劣等生高卒ノータリンには不思議でならないのだが。
というところで、「小型衛星の簡便な打ち上げ」に「宇宙エレベーター建設~」と突っ込んだ分けだ。
このことは、我々人間は「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執から、困難さや否定的なことを参照したくない、つまり「想定外」にしてしまう。
「主導権」、その究極である「独裁」にすれば、「KY」だとしてしまいたいことはとことん排斥していくことを切望せずにはいられず、こうした理由によって困難さや否定的なことを参照しないことが多数・肥大化することで、独裁社会が破綻・崩壊していくことになるのだが。
宗教が自身の信じる神のみを認め、他の信じるところを否定しようというのに、「天皇陛下万歳!」を経験してきた日の丸民族が無理解なのは首を捻るところだが、喉元過ぎれば熱さ忘れる、というか、「人間は、悪い不当なことと自分は違う、という結論を持って考えようとする」・・・いかに「主導権」に執着・固執し、失わないようにするかの一つの方法論であるが。
「KYだ」と言う時には、そこにある「支配的空気」が間違っているのではないか?、という考察も必要ではないのか?。
おいらの劣等生高卒ノータリンの否定的な言いがかりは、一般社会では「KYだ」としてブロックされているというところだが、人間は神では無いのだから、その「支配的空気」のみの考え方が唯一正しいとうことにはならないはず。
ところが、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執から、そこでの「支配的空気」というものが確固にあり、その「空気」を乱さないことが調和的あるいは正しい考え方であり、その「空気」を乱すことが間違った考えあるいは「KY」ということにされてしまう。
ハイルヒットラー!・天皇陛下万歳!、はすでに経験済みで、そうしたことの継続からイスラム国のように、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執によって、他との軋轢を深刻化させていく。
だいたい、「神の御考え」ということならば、「殺したら殺しかえす」という「空気を読む」ことはできそうなことだが、その「KY」なところから「神の御考え」ということが読み取れない。
もちろん経済圏の反撃も同様の意味合いなのだから、「殺されたから殺しかえす」という「空気を読む」ことも経済圏には無い。
これは、離れた世界の出来事ではない、おいらは最初には太陽光発電への転換に着目していたが、様々な情報を参照してみると、これは地球環境には良くないぞ、ということが見えてきたが、こうしたことを太陽光発電の信奉者に向けると「KYだ」とか間違った考えだとかにされてしまう。
以前にオウム真理教とか世間を騒がせたが、その集団に入れば、その集団の「空気」を読み乱さないということに自ずと呪縛されてしまう。
3才児の癇癪と言ってしまえば大の大人から怒られそうだが、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執に囚われる人は身の回りにいくらでもいるというもの。
太陽光発電ばかりか、なにがしかの集団の方向性では、否応なく「空気」に準じなければならないということが人間の社会性というところだが。
では700年先行した文明をもつ「宇宙人」に、地球で人間がしていることの「空気を読め」ということは意味があるのか?。
人間が地球でしていることの「空気」を読めない700年先行した文明を持つ「宇宙人」は「KY」だと人間は揶揄するのか?。

「KY」というところで、ふと思い出した、というより参照すべきことを思い出した。
まあ、人間というもっとも下劣な知的生物は「悪い・不当なこと、と自分は違う、という結論を持って考えようとする」だから参照できなくて当然のことだろうが。
「空気を読む」ことが価値があるとするならば、その長けていた「風見鳥総理大臣(中曽根康弘)」の揶揄・悪評はどうなんだよ?。
「空気を読む」ことで、その時々の立場を確保して総理大臣まで上り詰めた。
もっとも、「KY」だというときには、そこの「空気」を好し良しとして自分の「嗜好」に準じていることが条件ではあるのだろうが。
太陽発電&原発推進のそのそれぞれの内の「空気」に準じていかなければならないとした場合、そのそれぞれの反対の立場からすれば、そこにある「空気」は嫌悪の対象でしかなかろうが。
すでに「空気」については結論があるところだが、「嗜好」によって、その場の「空気」の是非は内外から決めつけられるていることで、状況により内部の「空気」が暴走・破壊的になっても外からの「空気」は入れられず、一方回りの「空気」によってより良き「空気」も否定されてしまう。

こうしたことで、「KY」というか、「なんとか運動」ということが無力で参加者のマスターベーション嗜好の繰り返しということに、エライセンセイというかeducation launderingが加担しているのはなんとかならないのだろうか?。
と言ってもなんともならんというのが「もっとも下劣な知的生物である人間」の結論だが。
代表的な例では「精神障害者に理解を」とか社会的な運動をするというもの。
こうしことは、はなっから否定的な姿勢というのはその姿勢をとる人の人格そのものを否定しかねない。
まぁ、「KY」だ、ということにされてしまうわけだから。
それよりも、その社会的「空気」である「精神障害者に理解を」に理解を示す姿勢をとることの方が、自分を肯定的・社会的認知にプラスとなることで、「運動」としては参加者も得られたりするわけだが。
その個人つまり「自分」が直接に関わるとなれば、否定的見解が噴出するのが常。
つまり「空気」と「個人」は(時により・種別により)まったくの別物というわけだ。
このことで、「社会的に価値のある運動」があるとしても、個人の立場では認識・行動が反社会的であることによって、「社会運動による理解」は「社会運動理解の無い参加」をすることになる。
「不遇」については上述した。
しかし、「社会的に価値のある運動」は教育で取り上げるとしても、「不遇」の明白な問題の問い詰めや理解・個人の地球環境破壊・社会環境破壊については、大学学問や社会に出てもeducation launderingされて問われることなく、ふつふつと「不遇」の排斥・地球環境破壊・社会環境破壊などなどは肥大化させていく。

「自然保護」「省エネルギー」に「参加」しているけれども、ただ「空気」に浸っているだけで、認識・行動は運動の趣旨に反していることで、地球環境は疲弊し、社会環境は悪化し続けているわけだが、おいらはそこに「異をとなえ続けている」としても「KY」だとして相手にされない。
まったく「KY」様々である。
イスラム国の空気、そうして、イスラム国の中で経済社会に反抗することを止めよと言えば「KY」にされる、良いじゃぁーあ~りませんか!。

「KY」ということでは、地球環境を疲弊させ社会環境を悪化させていくのはすでに見て取れることだが。
700年先行した文明をもつ「宇宙人」が人間の「空気を読む」ことを見て混乱するであろうことが他にも有る。
「たまごっち」ブームはどこへいった?。
この「情報」に翻弄される、場合によってサリンを撒くとかオイルショックとか。
「情報」を必要とするのが人間であるが、「情報」によって「自分の判断・自分らしさ、を失う」のも人間であることの理解が無いというところで、人間は「自分の判断・自分らしさを失う」ことをしているのも嘆かわしいが。
企業的には「購買力」の拡大のために、「自分の判断・自分らしさ、を失う」ことをさせるために消費者心理を操りたいところだが。
これは、その他求心力を求める集団は総じてそうしたものだが。
何かを身に付けて、何かの集団に属していれば「自分らしさ」がある、と言うのも滑稽なっことだ。
これは、上述の「社会的に価値のある運動」で愚痴垂れたとうり。
何かを身に付けて、何かの集団に属していれば「自分らしさ」がある、としても、時により状況によりそうしたものを全て投げ出さなければならなくなることはある。
「身に付けていた情報」を全て投げ出したときに、「自分らしさ」も投げ出してしまったことになるのか?。
「自分らしさ」というものは、本来は何も身に付けず、何の集団にも属していないところで考えるべきことだが、人間は「情報」を求めねばならないことによって、「情報」・・・何かを身に付けて、何かの集団に属すのも「情報」を得ること・・・を基準・尺度・条件などなどにして「自分らしさ」を求めることにしてしまった。
「神」としても、その直接の存在ではなく、「人伝えの情報」であることで、基準・尺度・条件などなどが確たるものではなく、その時々での「情報の意味」は移ろいゆくものだが、「神」ということが不変であるとする前提によって、「神」の「人伝えの情報」が移ろうことが理解できないのは、イスラム国等・・・日本では太平洋戦争当時の宗教盛衰が参照できるが・・・宗教の嘆かわしい事実関係だが。
これは宗教に限らず、「経済」も同じことだが。
「格差社会」が指摘されていながら、それでも「経済」は格差社会を是正できると、「宗教」のごとく信奉されている。
経済のよるところの金の流れが集約的であることで、一極集中と言わないまでも、多数者よりも少数者がより金を多くせしめる社会構造であることが自明なことで、格差社会はより格段に格差を隔たらせる。
少数者の言い分は。「平等の機会がある」と言う糞理屈だが、いかに多数者をはじいて、少数者に絞り込もうとしようと努力していることは言わない。
現実問題として、先進国では経済に対しての低賃金で、購買が成り立たなくなったことによって海外に活路を見いだそうとしている。
その活路も必ずしも上手くいくわけではなく(後進国も少数者と多数者の格差社会に向かうことによって)、そのうち先進国が共倒れになるのも見て取れることだが。
これは、「主導権をもちさえすれば」という大学学問的発想からだろうが、地域に降りる資金は(経済の仕組みで)決まったものになるのだから、低賃金が他数者であるなら、そこでの金の動きも「経済の仕組み」によるところで、経済の枠組みが少数者の求める資金を下回れば、「主導権をもてない少数者」は爪弾きにならざるおえないことで、「主導権をもちさえすれば」というのも怪しいことは理解できるはずだが、少数者は「主導権をもちさせすれば」ということにして気付きたくない。
バブル期という「空気」では「主導権をもちさえすれば」というのは意味を成すものであっただろうが、格差社会の「空気」で「主導権を持ちさえすれば」というのは一極集中を加速させて多くが共倒れにむかうことが懸念されるが、経済という「空気」の中では、より少数者に経済を集約させることが「空気を読む」ことで、多数者に富を分かつことは「KY」でしかないだろう。
「主導権をもちさえすれば」ということは、その究極である「独裁」が「他をいないものとする」ということから考えれば、「主導権を持てる」ということは他の競争相手が縮小もしくはいなくなるということだ。
それはつまり、自分が縮小もしくはいなくなる、ということだ。
実際に日本メーカーは縮小・いなくなっていく事態になっている。
このことから、中国流的には「主導権」をもてないことでコピー商品を氾濫させていくが、その事でなおさら「主導権」から遠ざかる(「悪貨は良貨を駆逐する」ことになれば「主導権」をもてるだろうが・・・そういうものを中国人自身が買って万歳していてもらえば良い)。
「主導権」に執着するアメリカ的には、新規事業とルールの改変。
しかし、もともと「主導権」は「他をいないことにする」ことなのだから、「自分もいないことにされてしまった」と自縄自縛に喘いでいるのが見て取れる。
他国から出たルールーは目の上のたんこぶで潰したいところだが、フリーソフトのように世界標準になってしまっては「主導権」に執着・固執しようもない。
公共放送の受信料の無駄遣い番組「電子タグの国際標準化」はどうなったのやら?。
「主導権」に執着するアメリカ的には、 新規事業とルールの改変。
「主導権」に執着する700年文明が先行した「宇宙人」が、新規事業とルールの改変
・・・良いじゃーあ~りませんか!。

議論上は、多数者にいかに富を分かつかにする・・・ということは「社会的に価値のある運動」ごとはすでに愚痴垂れたとうり。
アメリカンドリーム的にはベンチャービジネスで一攫千金というところで、「平等の機会がある」と引用事だが。
それも少数者の選別事、しかもその多くが夢散している事実は言わない。
多数者が経済力が低いことで、多数者の中から起業ということも、賃金、つまり体力不足が起業家ばかりか多数者にも無いことで起業、つまり身近での働く場の確保も容易ではない。
ベンチャービジネスのように、少数者にしかできない専門・頭脳事は起業するとしても少数者のためのものでしかなく、少数者が多数者を選別していくことで、多数者のための労働、つまり賃金確保の不安定さは今後どんどん肥大していくのは自明。
肉体労働・単純労働は、低賃金で一極集中的に集約されることで、特定の地域の経済は潤うとしても、大多数の地域社会では経済の疲弊によって破綻していくばかり。
このことで、格差社会では、労働場と生活の場が離れていることが自明だが、経済を動かす少数者には眼中に無い。
この「経済」という時には、「不遇」つまり「障害者」とかも検討課題だが。
労働場と生活の場が離れていることは、「障害者」によっては甚大な負担を強いているのだが、その他様々な問題があるとしても、障害者数値雇用目標とかを満たしていればそれで良しという少数者の考え優先。
こういうところは大学で問題を検討すべきはずだが、education launderingによって「障害者」の理解は通り一辺倒で経済傾倒。
もっとも、大学運営が経済に左右されるところから、その経済活動の主役である少数者の足を引っ張る分けにもいかない。
一方で、格差社会が大学生の質の低下や生徒確保の難しさ、さらには大学運営費の緊縮と、お先真っ暗状態なのはお笑い事だが。
国際化で世界中のお金持ちや起業を相手にできる「少数者大学」は潤うとしても、国際化のできない日本の多数者大学が目に見えてどんどん淘汰されていくのもお笑い事。
ただ、「経済の公平な分配(?)」・・・ソ連・中国・・・は人間にとっては失敗事、と言う歴史的事実はある。
このようなことから、700年文明が先行した「宇宙人」が、経済によってはるばる宇宙を旅してくるとは考えにくい。
経済、つまり格差があることによって、そこでの社会、宇宙船内が平穏無事でしかも知的水準や労働水準を保ち続ける、と言えるのか?。
翻って我々人間に目を移せば、経済・宗教によって宇宙生活が営み続けられるとは到底考えられない。
しかも、現状「宇宙空間のみで」できる経済活動をする方法ももち得ない。
我々人間は、地球環境が有るおかげにより、宗教にしても格差社会の底辺の人でもまずは生きられる。
ところが、ほぼ完全な死滅環境での宇宙では、「何もしないで生きていよう」というのは非常識でありえてはならないこと。
したがって、知的水準や労働水準の確保は必須であるのだが。
一方で、人間・・・生き物は世代を重ねれば有る水準以下の知的水準のものや労働水準のものがどうしても出てくる・・・はこうした者共と共に社会の中で生きていかねばならない。
自然環境では短命とか速攻生の剥奪だが、人間社会では倫理の問題がある。
このことは、「障害者」というより、総じて「不遇」・・・つまり「評価の格差」はその社会の歪みで有り場合によっては混乱を来たすのは繰り返し経験していること・・・の理解が必要であり、「不遇」にしない社会であることが宇宙船の社会では求められる。
とはいっても、教育者を育てるところの大学の教育というものがeducation launderingで人間の不当さや否定的なこと、まして「不遇」には理解も無いことで向き合おうともしないのだから、「不遇」にしない社会ができないことで宇宙船の長期社会も維持継続は困難なのは明確であろう。
このことはつまり、まずは人間が地球の社会での「不遇」に向き合わねばならないということだが、「情報」は対外的なところからの人間ー心(?)への流入であり、そのことで流入してきた情報を今まで得てきた情報と参照し、生来と経験則で「情報」を取捨選択・意味付けしたこが「人間の得た情報」となり、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、これはさらに「主導権」に執着・固執することで、「情報」は個人や集団の意味(理解するところ)に変えられてしまうことで、外の「情報」がそのままの「意味」になるわけではなく、「人間の情報処理」の過程を経たものが「現実の情報」であり、その「現実の情報」に従って判断・行動していることを自らの存在理由・自らの正当性として「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執する。
そうした理由から、我々人間がその人間性として持ち得る素性から宇宙の距離を越えて系外惑星に辿り着くことは、現状では不可能と言えるだろう。

ふと思い出すに、福祉国家というのはすでにあって実績も有るのだが。
問題は、他の国、民族、宗教、イデオロギーに受け入れられることなのか?。
あと、その福祉国家の代表国スエーデンから漏れてくることを聞くに、どーも「コミュニケーション」ということに齟齬が生じているように思えてならない。
福祉国家であるところの国民であることで国民は(お金を)負担をすることに納得している。
ということで「不遇」が無くせるとは思えない。
日本では、原宿なりネズミランドなりに「不遇」なモノが連日大挙して押し寄せるとかすれば良いではないか?。
「不遇」なことが問題なのではなく、「人間の身勝手な理解(による関係性(無理解・無関心を含む)の行使)」と、「誰でも「不遇」にされる理解」が必要なのだが。
ただ、「誰でも「不遇」にされる」ことでは、「人間は、悲観的未来を想定して生きていくことはできない」ことで、他者の「不遇」と現状「不遇でない自分」の関連付けはできないが。
そのことは、社会的「空気」の「精神障害者に理解を」に理解を示す姿勢をとることの方が、自分を肯定的・社会的認知にプラスとなることで、「運動」としては参加者も得られたりするわけだが、その個人つまり「自分」が直接に関わるとなれば、否定的見解が噴出するのが常なのが人間社会であり、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執から「不遇」の評価を押しつけられて「不遇」なモノとして扱われてしまう。
「空気」と「個人」は(時により・種別により)まったくの別物なことで、「社会的に価値のある運動」があるとしても、個人の立場では認識・行動が反社会的であることによって、「社会運動による理解」は「社会運動理解の無い参加」をすることになる・・・人間は、自分に対する評価と、他に対する評価を一致させることのできないもっとも下劣な知的生物であるところによる。

蛇足だが、知的生物として高度であるならば、認知・認識が正しく正確であるはずなのだから、ならば自他の評価も正しく正確であれば一致していなければならないはずである。
なれば、自他で評価が整合しないというのは、認知・認識が誤りで不正確ということである。

「不遇」のレッテル貼りを、大学が問題と認めた上で理解して改善策を求めることなくeducation launderingし続けるとなれば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」から、「人間は「不遇」な種」だとレッテルを貼られれて爪弾き言いなりにされれば良いではないか。
それでも「人間は、悪い・不当なことと自分は違う、という結論を持って考えようとする」もっとも下劣な知的生物であり続けるだろうが。
劣性を認めてより良きことに修正していけることが「知的生物」足ることのはずだが。
「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」と他を一方的に決めつけ、「主導権」の執着・固執のために「不遇」といった悪しきことを固持して離さないのが人間というもっとも下劣な知的生物としての実情である。

上述は下々の人間性だが、一方支配的立場といことでは、education launderingということで、参照すべき教育の現実がある。
教育、という時には、その正当性なり価値なり意義成りを強調するのが常だが。
不当・下劣さということが限った一部の者に向けてでは揶揄されるとしても、人間全体がその人間自身の不当・下劣さということに理解を向けて是正をしないというのは、700年先行した文明をもつ「宇宙人」とコミュニケーションをとるとした場合には大いに問題になるはずであるが。
教育、という時には、その教育ということを必要とする組織、国・民族・宗教・会社・地域社会や私的集まり・・・等々の集団で教える物事の骨子・細目を定めていくということになるであろうが。
非難を向けるのなら、独裁国家の国民忠誠教育ということだろう。
「独裁」とすれば、組織、国・民族・宗教・会社・地域社会や私的集まり・・・等々の集団も同様のことだが、地球・社会が多様性であることで、「独裁」、つまり「主導権」に執着・固執することは、その「主導権」に執着・固執する者の一様性を求めることで、より「想定外」を多くして問題への柔軟な対応力や問題解決能力の低下を招くことで、「独裁」は瓦解に向かうのが摂理。
「独裁」つまり「主導権」に執着・固執することは、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断からだが、これは、「他がいないことにする」ことにしてしまって、「自分が思うことで、自分が思うようにしさいすれば、自分が思ったように結果になる」というこ確信を持ってしまう。
だが、「他がいる」あるいは人間以外の要因があることで「想定外」が常にあり、そのことで「自分が思ったような結果にならない」ことは繰り返し経験していることなのに、人間は「主導権」に執着・固執したいばかりで「主導権」に執着・固執することの誤りを学習したり是正・修正することができないまま、必至こいて「自分が思うことで、自分が思うようにしさいすれば、自分が思ったように結果になる」と思いたい。
とすれば、700年先行した文明を持つ「宇宙人」が、「自分が思うことで、自分が思うようにしさいすれば、自分が思ったように結果になる」にしようと「主導権」に執着・固執する人間に、是正・修正を求めて学習させようとしても、人間には友好的に有効な学習になるとは思わないだろうし、むしろ人間は「主導権」に執着・固執することを是正・修正を求めて学習させられることは拒否・拒絶したいのは明確であろう。
700年先行した文明をもつ「宇宙人」に対してね。

別な例では「反日教育」。
これも、歪んだ理解や誤った認識を植えつけることで、問題への柔軟な対応力や問題解決能力の低下を招くことになる。
だいたい、「下に見る」ことを教える、というのは、「下に見られる」ということが「コミュニケーション」の不成立なのだから、物事の交渉が必要である国際関係の現状で、「コミュニケーション」に支障を来たす先入観を植えつけるのはデメリットだろうが!。
しかも、認識・理解の整合性や正確さが「教育」によって歪んだものにされていれば、その教育を受けた個人自身の認識や理解の整合性や正確さも歪んだものにされていることで、その教育を受けた個人自身の立場の理解や認識が国際社会の理解や認識とのズレや確執となって、国際社会での立ち回りに不利益になるはずだ。
北朝鮮やイスラム国(や中国)の外国認識・・・ウ~ン・・・。
正にeducation laundering様様だね。
そこには、その自身が身を置く集団が他よりも秀でて「主導権」や「決定権」を持つことに執着・固執したいからだが。
それは、各々の組織、、国・民族・宗教・会社・地域社会や私的集まり・・・等々の集団がそれぞれに「自分が思うことで、自分が思うようにしさいすれば、自分が思ったように結果になる」つまり「主導権」に執着・固執したい、ということで、つまり人間ならばたいがい「主導権」に執着・固執していることで、ならば人間がお互いがお互いに「主導権」に執着・固執していることで「お互いが他がいない」ことにしようとしている理解はできるはずなのだが、人間は、自分に対する評価と、他に対する評価を一致させることのできないもっとも下劣な知的生物であることによって、人間がお互いがお互いに「他がいる」ことにはできない。

では我々人間は、700年先行した文明をもつ「宇宙人」に対しては、どのようにeducation launderingするのであろう?。
もちろん、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、我々人間にどのように関わるかによるのだが。
しっかし、700年先行した文明をもつ「宇宙人」は「不遇」です、とeducation launderingするというのは笑い話にもならん。
当然のことだが、「(反日教育・・・から)反700年先行した文明をもつ「宇宙人」教育」というのもお笑い事。
我々は「強いこと」を学ばなければならないことは愚痴った。
まぁ、宗教は「真理」から「反700年先行した文明をもつ「宇宙人」教育」を必ずしなければならない立場だろうが。
現状人間は教育を必要とし、教育が価値有るもの、あるいは人間としての向上や問題解決に役立つものとする前提がなされているが、一方で愚行の醸成や問題の深刻化を差せていることも意識しておくべきことではないのか?。
「反日教育」どんどんやりましょうよ。
「反700年先行した文明をもつ「宇宙人」教育」をどんどんやりましょうよ。
閑話休題・・・チャンネル捻ったら、世界侵略ロサンゼルス決戦・・・くっだらね~。

一方で、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、上述したように、人間のeducation launderingの除外を人間に求めて、「700年先行した文明をもつ「宇宙人」が制定している宇宙利用法」の尊守をeducationするとした場合、それが上述のごとく、人間が好き勝手にすることを抑制・規制・自粛させるものであれば、人間側が人間にこの尊守を教育をするとした場合、education launderingを抜きにしてeducationすることを良しとできるのか?。
「密猟」は個人ごとだが、「経済」は「密猟の正当化」のごとく。
「日本は鯨の密猟の正当化」・・・ウ~ン・・・。
大規模なシェールオイル採掘、先進国が勝手の良い基準・枠組みでの後進国の資源搾取。
こうした人間のやりくちが、「700年先行した文明をもつ「宇宙人」が制定している宇宙利用法」の尊守をeducationする、ということに整合性を持てるのか?。
「先進国」が「経済」を動かしていることで、現状の先進国が勝手の良い基準・枠組みは正当だと「先進国」は「主導権」に執着・固執するところだが。
当然、700年先行した文明をもつ「宇宙人」も、700年先行した文明をもつ「宇宙人」の勝手の良い基準・枠組みは正当だとして「主導権」に執着・固執するのが良いではないか?。
つまり、現状の人間の「経済」教育も、相当にeducation launderingされているということだ。
国家がその運営のために資金を必要としていることで「経済」は必須であるが、だからといって、先進国が勝手の良い基準・枠組に執着・固執するというのは、「他がいないことにする」ことによって「他がいないことにされた」弊害によって「経済」が揺らいでいる。
この事実は「先進国の勝手の良い基準・枠組みは正当だ」としていたい者には認め難いことであるが。
「経済」に対して「主導権」に執着・固執することでの弊害によって「経済」が揺らいでいる事実からすれば、「宇宙船」では「経済」によって船内社会を維持できないという証左のはずである。
ならば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が社会を成すことを「経済」によっているとは考えにくい。
しかし人間は、「自分が思うことで、自分が思うようにしさいすれば、自分が思ったように結果になる」と思いたいことで、今後も「経済」に対して「主導権」の執着・固執を続けて行く。
なれば、「宇宙船」というか、スーパーアースに人類が辿り着くには、人間の社会性(「不遇」で愚痴った理由によって)との維持というハードルが非常に高いということになろう。
さらには、宇宙技術というものが、より高度になれば高度になるだけ資金が指数関数的(?)に跳ね上がることになる(これは「宇宙開発予算」を参照できる)。
単純に予算を計上していたのでは、自ずと調達できる資金に限界がある。
「経済」によらない「宇宙開発」を創出していかなければ、人類のできる「宇宙開発」はいずれ限界になる。
日の丸有人宇宙船の実現性・・・すでにアメリカが計上した予算を参照すれば、自ずと「日の丸有人宇宙開発」の限界は見えてくるというもの。
これは他国、アメリカ・ロシア・インド。中国・ユーロでも各々で計上できる予算は限られるのは似たり寄ったり。
なれば、「経済」によらない「宇宙開発」を創出すること、つまり、「脱経済」を模索しなければ、人類が宇宙で暮らせるようになることは無いと断言できる。
だが残念ながら、「宇宙開発」をしている者が人間であることで、「自分が思うことで、自分が思うようにしさいすれば、自分が思ったように結果になる」と「主導権」に執着・固執して「経済」からの脱却も無いまま停滞して当面ブレイクスルーがなにがしかできるまでもがき続けることになる。

その上に「情報」では「言葉」の問題がある。
「宗教」では日常茶飯事、「空気」でというか「不遇」の社会運動や言葉狩りというか。
「人間は、違う言葉(単語・用語・文)を同じ意味で使い、または同じ言葉(単語・用語・文)を違う意味で使う」という困った言語様式を使い回すもっとも下劣な知的生物であるが。
「コミュニケーション」という時には同じ言葉(単語・用語・文)が同じ意味で使われなければ「コミュニケーション」として成立しない・・・はずである。
「人殺し」が「正義」だ!。
「婦人」に噛み付いているエライセンセイは「貴様」と呼んであげよう。
とかく人間は、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執から、その時々で言葉(単語・用語・文)と「意味」の関係性がちぐはぐで整合性が無い。
あるのは、いかに「主導権」に執着・固執していられるか、だ。
「平和」も「愛」もその時々で「意味」は違うし、「空気」ともなれば、それこそ「空気」の如くそもそも内実など無い。
その人間の、その時々の言葉(単語・用語・文)と「意味」の関係性がちぐはぐで整合性が無い「コミュニケーション」の方法で、700年先行した文明をもつ「宇宙人」とコミュニケーション」をとる、というか、「コミュニケーションがとれる」と考える人間もオメデタイと劣等生高卒ノータリンは考えるのだが。
一方で、それこそ700年先行した文明をもつ「宇宙人」がその時々の言葉(単語・用語・文)と「意味」の関係性がちぐはぐで整合性が無い「コミュニケーション」の方法で、人間と「コミュニケーション」をとろうというのは、悪く言えば口車に乗せられるのは人間側は歓迎することなのか?。
当然のことだが、その時々の言葉(単語・用語・文)と「意味」の関係性がちぐはぐで整合性が無い、悪く言えば口車で「宇宙船での社会」を運営していくことは、その閉塞空間に長期滞在していることに支障にはならないのか?。
こうしたことは、我々人間が「自分達より優れている」者に接してきていないことが致命的に問題だ。
宗教は「神」ということだが、しょせん自然の摂理(地球は人間のものではない)を参照することができない「人造の神」で有ることで「人間=神」程度のことで、優れて教えを乞うものではない。
そうしたときに、「大学」という「自らが優れた考えをもっている」とい立場のエライセンセイが、700年先行した文明をもつ「宇宙人」とどのように「コミュニケーション」をとるのか?。
これは、大国とて同じ考え方であるところだが、系外惑星を来訪できる国家規模(?)を考えれば、地球の大国規模の比では無いことは容易に考えられるところだが、それでも人間は「自らは他のものより優れている」と思いたい。
だいたい、大学というものが「コミュニケーション」ということを苦手としているのは、大学生がその大学生活で深刻な心理学的病理に苛まれていることを参照すれば自明というもの。
宗教(対立)は言わずもがな。
明確に言えることは、人間は「コミュニケーション能力」が低く、その「コミュニケーション能力」の低さから、知的生物としての水準が低い、ということだ。
したがって、「宇宙人」と「コミュニケーション」をとる以前に、我々が地球上のあらゆることに「コミュニケーション」をとれるようにすることが優先課題である。
その地球での「コミュニケーション」がとれないのに、まったく異質の「宇宙人」と「コミュニケーション」が取れるはずもない。
一方で、「コミュニケーション能力」が下劣な状態のままで「宇宙人」が来訪してきたらどうするか?。
それはエライセンセイが、「人間の方が優れている」としてお頑張りになるのだろう。
「コミュニケーション能力」が優れていないままに。

上述しているように、日本語を数時間で覚えたという人がいるのだから、700年文明が先行している「宇宙人」にとって、地球で使われている言語を理解することは片手間なことでしかないはず。
したがって、「言語の違い」が問題なるとは考えにくい。
ならば、我々人間は、700年先行した文明をもつ「宇宙人」と、エンターテイメントのように安易に交流できるというもの。
だが、現実がエンターテイメント同様なのか?、エライセンセイ。

「宇宙船社会」では「不遇」ということが問題になることは上述した。
そこには、「不遇」ということでは「言葉狩り」が参照できるように「言葉」が確固足る意味を成す場合もある。
同じ言葉(単語・用語・文)が同じ意味で必ずしも使われないのが人間だが、「呪縛」の意味では改変・撥ね除けることのできない確固足る意味を持って使われている。
まぁ、「婦人」に噛み付いているエライセンセイは「貴様」と呼んで差し上げよう。
この確固たる意味で「言葉」が使われることは、格差社会の格差を規定してしまうことになるのだから、「不遇」そしてこの事にまつわる「言葉」つまり「呪縛」があることは、「宇宙船社会」では不適切なことだとおいら劣等生高卒ノータリンは考えるのだが。
ところが、エライセンセイというか、「主導権」に執着・固執する者はそうは思わない「言葉」というものが有る。
「階級」・・・「軍」というか、「会社」の地位というか、「宗教」の階層というか。
なにがしかの集団を成して集団を構成していくためには、役割・立場・責任などなどの明確化のために、「階級」を考え定めることを人間は考えるわけだ。
このようなことが、700年先行した文明をもつ「宇宙人」に理解・・・いやしているものだと考えられることなのか?。
それはつまり、われわれ人間の「宇宙船社会」でも定められているべきことなのか?。
「宇宙船社会」つまり「集団」であることばかりに着目すれば、役割・立場・責任などなどの明確化のために、「階級」を考え定めることを必須としたいところだが。
このためには、「既知」に対処していくということが必須事項のはずである。
しかし、「宇宙船社会」というものが「既知」であるよりも「未知が大きい」ことが問題になる。
公共放送の受信料の無駄遣い番組「クローズアップ現代」によれば、「いかに「従業員(正規・非正規雇用者双方)」から「アイデア」を捻出してもらうか?」などと下らん番組をやっていたが。
現状、会社経営も「既知」に準じて経営をしていくものである一方、先行きが常に「未知」になってしまっていることで、運営の改善・新規仕事の創出に迫られているのだが。
こうしたことは、過去LSIの生産で「社員」からの提案制度の実績もあることだが。
だが現在の実情は過去と違って、「非正規雇用」が真っ盛りである。
「非正規雇用」とは、「会社の都合でいつでも辞めてくれぃ」ということである。
現状の「会社」では、そうした「労働者」が大勢を占めているということである。
「会社側」の言い分としては、「会社」の「存続」のためには「従業員」からのアイデアを必要としています、といったところだが。
その実、「経営者側と正規雇用者の存続」のためには「アイデア」を必要としていますが、「非正規雇用者は会社の都合でいつでも辞めてくれぃ」という会社側の御都合主義。。
現状の職場の改善策や新規事業の必要性から「アイデア」は必要であるけれども、辞めた後のことなど知ったことではないというのが「低賃金」の者としての考え方。
「会社の都合でいつでも辞めてくれぃ」ということで辞めさせられたなら、次の職場を探さなければならないし、ましてその「会社」が倒産したとしても、「会社の都合でいつでも辞めてくれぃ」そのものだから次の職場を探す。
「非正規雇用労働者」に対しての賃金の支払いが少ないところで、契約以外の労働をする筋合いは無い。
「会社」の「存続」が必要であるならば、「会社の存続を求める者」がアイデアを捻出していくべきもの。
このことには「会社側」からは反論が有るところだが、「アイデア」は「人」が捻出していくもの。
「非正規雇用」とは借り物の労働者ということだ。
つまり、「会社の人間ではない」ということだ。
名目上「会社従業員」とはしていても、「借り物」すなわち「仮」のことでしかない。
「仮」ということは、「存続」が意味を成さないということだ。
そういうところで、「存続」のために「アイデア」を「仮の従業員」に求める、というのは整合性の無い虫が良すぎるというもの。
「アイデア」は「人」そのものであり、「会社」が「人」を「借り物」としている現状であれば、その「人が出すアイデア」も借りてくれば良いではないか?。
でなければ、「会社存続を求める者」が必至こいてアイデアを捻出して「会社」を存続させていけば良い。
「借り物」に「存続を頼る」というのは道理も筋道も立たないことだから、「仮の従業員である非正規雇用者」からアイデアが出てこなくて当然である。
と、愚痴垂れても、「会社」側からは「KYだ」と捨て置かれごとだが、「人」が「借り物」である「会社」は「労働力」の体力が無いことで、淘汰の憂き目に合う。
そこを上述の「少数者」は上手に選別して、「(アイデアも含む・・・吸収合併とか特許訴訟とか)借り物」でも上手に社会の資金を搾取をし続けて行くことはできるだろうが。
淘汰とも合わせてこのことでより格差社会の格差が拡大していくはずだから、「会社」はどんどん「借り物」を確保していけば良い。
ということからすれば、上述のように、「強いこと」を学習して将と立ち止まった「宗教」では、「アイデア」というかその時のその他の考えは認めないということから「存続」ということは意味も無く、その時の「強いこと」を学習したことが一様に人に記憶に固定されていれば良いというだけだが。

これが軍隊ならば、その時々の階級の上下関係での下の階級の考えは無視されるものだから、「アイデア」も意味を成さないはずだが。
これを「宇宙船社会」で考えた場合には難題になる。
繰り返しになるが、人間が「神」でないことによって「未知」は必ずある。
「宇宙船社会」では、今もって「未知」が多いばかりか、距離とかかる時間から「未知」は多くあると共に甚大に深刻である。
そのことから、「会社」ではないが、「未知」の理解や対応に「宇宙船乗組員」総掛かりでなければならない。
緊急の事態に、上の考えを仰ぐ・・・日本民族流?。
そんなんで「宇宙船」が死滅環境を呈してしまったら笑い話で済まそうぜ!。
現状のISSにおいては、世界中から選りすぐった人材の、さらにその中から選りすぐった精鋭で、しかも専門の教育と厳しい訓練をパスしたそれこそ神様のような人達が「未知」と戦っている。
そうしたことで、ISSは完成してからこれまでに運営が頓挫しなかったと言えるだろう。
それはつまり、それぞれに宇宙のスペシャリストということで、「未知」がより少なく、さらには「未知」への対処方に「アイデア(というよりも対処能力か)」を発揮させることができるということだろう。
では、「宇宙船社会」という時に、役割・立場・責任などなどの明確化のために、「階級」を考え定めることを必須とすることが、その「宇宙船社会」で「階級」が機能して「未知」を克服し続けると共に、「スーパーアース」に辿り着ける期間の間「社会性」が破綻することなく「宇宙船社会」が機能し続けることができるのか?。
先例のISSであれば、「階級」・・・「軍」にしろ「会社」にしろ、上の者にとって下の者意見が必ずしも重要ではないこと・・・といことはコマンダーということがあるにしても、訓練期間において「他がいる」という訓練が組み込まれているという。
さらにはそのISS統括部から管理されていることで、また国の代表として、「他がいる」ことにしなければならないことで、「他がいる」ことが乗組員にとって意識されるべきことになっているとのことが。
ISSはこうした事情から「他がいる」ことが常識であるとしても、「軍」「会社」の「階級」で「宇宙船社会」を造るとした場合、「他がいる」ことにできるのか?。
「会社」、と言えば、上述のごとく「選別」しなければ「会社経営」はできないし、「借り物」だからレイオフどこかへ行けい!、が「宇宙船社会」ではできない。
さらには上述した「不遇」な者は現状でも疾病、鬱病、能力不足から、「階級」から「選別」していかなければならない人は出てくる。
「不遇」な人は「宇宙船」から首切りしようよう。
というよりも「軍」の「階級」嗜好でいきたい論者からすれば、命令に従えさいすれば上手くいくのに従わないから駄目なんだ、という論だが。
自作晦渋小説「焦土に漂いて」のBSC(BMI(思考制御)+ネットワーク接続+マインドコントローラー)を構想している者からすれば、そうしたことができるとしても、「主導権」その究極の「独裁」の上述から参照すれば、独裁の立場の人だけでは多様な「未知」に柔軟にに対応できる分けでもなく、多様な考え・能力を持つ人もいないことで、「軍階級」の命令定められた系統に従うだけでは多様な「未知」に対応できないのは自明。
当然、「不遇」は粛清しなければならないであろうし。
「宗教」にいたっては、多様な「未知」という考え方すらできないであろうし、「宇宙船」は総じて「人工」であり、管理・運営にわたって「既知」であるとともに「生命管理」ということに義務と全責任を負う、というのも「神」の考えに反することで相入れないであろうし、何よりも「地球自然環境」つまり生の保証が無いことで、自らの生命の全責任を負うと共に「不遇」の全管理と責任を負わなければならないとすれば、生活の中で信仰に明け暮れるなどと悠長なことは言っていられなくなるであろう。
これは「軍」でも「会社」でも同様のことだが、辞めた後の生活の保証、あるいは地球環境によって命を繋ぎ止めることができる、つまり「階級」に縛られていたことから解放されることによって「階級」に従うことを強いられても従っていられるのとと、「能力」が低下して「階級」からふるい落とされても生命を失うことには必ずしもならないことで、「階級」の問題が露呈しない。

だが、そうしたことからすれば、「宇宙船」で我々がスーパーアースに行く、つまり地球に来る「宇宙人」の「宇宙船社会」は、「不遇」な者の粛正をしているか、「階級」以外の方法論で「宇宙船社会」を成しているということになる。

この場合、粛正を当然のものとしているならば、我々人間の倫理観と相入れるものではないというのは自明。
「不遇」の代表者としてフォーキング博士を粛正しましょう。
ということからすれば、上述の「不遇」の意味を参照しても、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が「不遇」の粛正をしているとは想定したくない。
一方で、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、「階級」によらない「宇宙船社会」であるならば、我々人間にとっては理解しずらいカルチャーショックになるのではないのか?。
人間では少数者が「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断と、「主導権」の執着・固執から「階級」の問題は不問にしようとしているが、「階級」の問題は日々昂進していくばかりで、このことで「多数者」がより深刻な問題を顕在化させていく。
ISSでは選別された「宇宙船社会」であることで「不遇」な人間は跳ねられていることで問題にはならないが。
「格差社会」においては、「多数者」つまり格差の低い方の人達の能力低下が問題視されているところだが、「宇宙船社会」で能力低下、つまり「不遇」である者がいることになれば、「宇宙船」の運営には深刻な問題になるであろう。
そうした時に、上述のBSCが利用できればだが、「人間宇宙船社会」が「階級」であるならば、「独裁」の意味合いと「不遇」の両方の問題を呈するのは自明である。
従って、人間は「自分の方が上」「自分の方が優れている」とすることで「自分のしたいことができる」ことで「自分の望んだ結果になる」と思い込んでいたいことから「階級」は必須であり、そのことで「不遇」な者を常に生み出し続けて行くことで、「人間宇宙船社会」は「責任や負担の分配」が地上と同様に適切にできなくなることで困難に直面することになる。
それはつまり、700年先行した文明をもつ「宇宙人」に対しても、「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」「自分の考えとは違うからそれは間違いだ」という人間の思考ルーチンによる判断からの「主導権」の執着・固執しなければならないことによって、700年先行した文明をもつ「宇宙人」は人間と関わりを持たないはずである。

思いだしごとで、まとまりがないが、付記する。
「・・・そうあるべき」「・・・でなければならない」ことでは、おいら化物顔は「健常者キチガイ」に甚だ迷惑を被るのだが。
これは、おいら化物顔だから、ということではない。
社会・対人関係上、人が対する時に、「上下関係」ということを少なからず人間は第一観として持つ。
「あれは自分より下だ」という見下し。
羨望・妬み、おいら化物顔であれば嫌悪や不信感、猜疑心・虚栄心。
「あれとは自分の方が上だ」
こうした人が普通にもつ対人関係上の評価や位置関係(地位)の先入観(これが固定観念にもなる)は普通の社会でもあるし、子供のイジメでも普通にあることで、これが総じてのイジメの深刻化を招いているが、大学ではeducation launderingされて、実社会や子供のイジメ理解には「現実に有る事実」が理解されず考察にも反映されない。
おいら化物顔に対する「健常者キチガイ」の見下しの先入観しての固定観念というものは修正のしようも無く、おいら自身甚だ迷惑だが。
おいら化物顔が普通の人間であること、物事によっては秀でていることもあることで、「健常者キチガイ」は事実と固定観念の整合性が無いことに混乱して自滅していなくなるのが常だが。
これは一般社会でも、対人関係は悩みごとで、「自分が思っていたい」ことと周囲の評価の乖離はマツダ暴走車事件とか枚挙に暇がない。
こうした、「自分を思い込む」と「人を思い込む」ということが、人間の認識力・理解力が精緻・不合理なことで、絶えず対人関係で構築される社会は混乱を孕んでいる。
そこには、「自分の方が上」「自分の方が優れている」とすることで「自分のしたいことができる」ことで「自分の望んだ結果にしたい」と「主導権」の執着・固執したいためなのだが。
これは、地上では、このことで対人関係上その元凶の人が牛耳るなり社会が混乱するとしても、社会にしても被害を被る人にしても牛耳ようとする人を爪弾きにするとしても、その社会にいた人々が死滅する事態というのはそうそう起こりえない・・・ポルポト派・旧ソ連・旧イラク・・・とか死滅させてきた現実は事例参照できるが・・・。
ところが、「宇宙船社会」でマツダ暴走車事件とかになれば、甚大な危機ならまだしも「宇宙船」が死滅しかねない事態になりえる。
しかも「逃げ場が無い」という想定をすべきで、「自分を思い込む」と「人を思い込む」ことが、地上のような対人関係上深刻な問題を「宇宙船社会」でも同じように持ち込んでしまうなら、地上の時とは比べ物にならない深刻な「宇宙船社会問題」を抱え込むことになるであろう。
残念ながら、教育を考える、あるいは教育者を育てる大学が、「自分を思い込む」と「人を思い込む」ことを問題だと認識して取り上げているようには思えない。
「自分を思い込む」と「人を思い込む」ことを問題だと認識して取り上げているのであれば、子供のイジメ問題も、おいらが知っている範囲の半世紀の間で理解の進展が成されているはずだ。
「自分を思い込む」と「人を思い込む」ことからすれば、コミュニケーションという時には、その事実関係から「思い込む」ことが違っていれば修正できなければならないはずだが、この「自分を思い込む」と「人を思い込む」ことが修正できないということは、コミュニケーションができていないという証左ということになろう。
そうした時に、700年先行した文明をもつ「宇宙人」も人間のごとく、「自分を思い込む」と「人を思い込む」ことでコミュニケーションをとることなく人間に相対すれば良いではないか?。
当然のことだが、おいら化物顔にしてみれば、「健常者キチガイ」に見下されて「宇宙船社会」の閉塞空間に生涯いなければならなど許し難いことだ。
一方、おいら化物顔に不信や嫌悪を向ける者にすれば、「宇宙船社会」の閉塞空間に同席しなけれならないなど、「健常者キチガイ」によらずとも、ゆずれない人は地上の社会にいることで、「宇宙船社会」にも必ずいるのも自明。
上述のとうり、「不遇な者」という者は、長きな社会では産出されていくのは遺伝的・教育的・社会システム的に避け難いこと。
ならば、「不遇」に相対しての「自分を思い込む(これは「自己の優遇」か)」と「人を思い込む」ことの現状社会の理解と修正がなければ、今後「宇宙船社会」を実現させていくとしても、「宇宙船社会」が深刻な問題を抱え込むことになるのは自明ということになる。

宇宙飛行士になるような天上の人は、「宇宙に出れば人が変わる」と言われるが、ならばプーチンでも北朝鮮でも中国利権でも宇宙へ連れてって人間変えてくれよ!、と言いたいが。
「健常者キチガイ」も含めて、そういう人が人間性が変わるとは到底思えない。
現状少数者が、つまり宇宙開発に関わる人達、あるいは大学関係者や会社さらには社会組織を成している人が、「自分を思い込む(これは「自己の優遇」か)」と「人を思い込む」人達なのだから、「自分を思い込む」と「人を思い込む」に問題意識を持って修正していこうという理解も気運も起こらないことで、つーか、今後宇宙開発の数世紀は、現状の「選びに選び抜かれた人」しか宇宙に行けないことは変わりようがないことで、当面無視できることだろうけれども。

「自分を思い込む」と「人を思い込む」ことの問題は別なところでもある。
「被害者意識」というところで、中国・韓国・日本の第二次世界大戦理解はもめ続けるだろう。
こういうところは、人間の理解力・認識力が進化できていないことによる。
別な例では、阪神淡路大震災での火事の火元。
ハイルヒットラー!に味方をした人は今でも差別されているんだっけ?。
とかく人間は「悪者」にしたい、というか求めたい。
心理学の実験での記載があったはずだが、落ちぶれた街を造ることで周辺の街に住む人の心理が安定するとか。
吐き出し口と言えば失礼だが、江戸時代の士農工商「エタヒニン」。
人間は、上の者と下の者、これはそれぞれに「良し」とする意味合いと「悪しき」とする意味合いのアンビバレントであるが、その双方を意識していられることが精神安定剤になる。
まぁ「健常者キチガイ」というか、「見下す者」を求め、上の者は常に不当だ、という人はいくらでもいるが。
しかし「下に見なされる」「不当にみなされる」、と決めつけられて生涯をすごすというのは誰しも容認できることではない。
一方、中国・韓国・日本の第二次世界大戦理解、阪神淡路大震災での火事の火元、ハイルヒットラー!に味方をした人とか「不当」だと見なさなければならないとなれば、世代を越えて「不当」だと見なし続けるのが人間な分けだが(1000年経っても怨念は消えない事例はある・・豊臣秀吉は日本から出てないつーの)。

「自分を思い込む」と「人を思い込む」・・・エタヒニンということでもないが、このことは「自分はこれができる」「人はこれをしてはならない」とか、「人間は、自分の評価と他への評価を一致させることはできない」という、もっとも下劣な知的生物であることが深刻な問題なのだが。
自分が忌避したいことを「見下す者」がするのは当然だ・・・・ふざけんな!。
自分が「見下す者」が優遇されるのは不当なことだ・・・ありふれたことだろうが!。
こうしたことは、地上ではありふれていても黙認・平然とされている社会であっても。
「宇宙船社会」では、その逃げ場の無い、しかも誰もが「宇宙船」の責任を負わねばならないことから、こうした「自分を思い込む」と「人を思い込む」ことが社会を構成する人々に蔓延すれば、「宇宙船社会」の維持と公平な分配を損ねる、つまり「宇宙船」の維持を困難にしかねない状況になりかねない、ということだ。
しかも、こうした心理は人間らしさそのものであるのだから、これから宇宙開発技術が進歩していくとしても、「宇宙船社会」を我々人間が構成していくというのは非常に困難な状況になるのは間違いない。

「自分を思い込む」と「人を思い込む」ことがさらに深刻な問題なのは、人間には「分配」が「公平」にできなくしてしまうためだ。
「自分の方が上」「自分の方が優れている」、「他人の方が下」「他人の方が劣っている」の理解というのは、「資源を得る」「資源を利用する」時の優先権なりより多く得る当然性の根拠にしてしまうのが人間というものである。
当然、「他人の方が下」「他人の方が劣っている」と「人を思い込む」なら、「資源を得る」「資源を利用する」時の優先権なりより多く得るのは不当なことだと決めつけるわけだ。
一方で「負担」という時には、「自分の方が上」「自分の方が優れている」とすることでより少なく削減させることができると思い、「他人の方が下」「他人の方が劣っている」者がより多く「負担」を負うことが当然なことだと「・・・そうあるべき」「・・・でなければならないと「主導権」の執着・固執するわけだ。
前にいた会社の職場で、こんなチャランポランなことをやっていた「健常者キチガイ」は、つーかその取り巻きの者共雁首揃えて首切りになったけれども。
「宇宙船社会」で首切り・・・宇宙船から放り出すのかい?。
こういう「分配」の不合理な認識を持っていることが合理的だと思い込んでいる輩は、地上社会にはいくらでもいる。
が、大学や大学関係ではeducation launderingされて、「社会学」でも「経済学」でも「心理学」でも認識されていないのだろう。
こと「学問」となると、「現実社会の汚濁」ということはlaunderingされるのが常なのだろう。
ところが、「宇宙船社会」では得られる・利用できる資源は有限であることで、厳密に管理されて分配されなければならないし、「負担」は「宇宙船社会」にいる人が総じて負わなければならない。
が、人間は「資源」を求めることはより多く、「負担」に関わることはより少なくしたい。
が、人間は我欲な生き物であることから、「資源」をより多く求めることに執着、つまり求められず少ないことには不満であり「負担」は好まず他に押し付けたいことから、自分が「負担」させられることや他者が「負担」を負わないことは「不快」になりうるわけだ。
となれば、「資源」も「負担」も公平に分配・負うことができないのは自明なことによって、人間は「宇宙船社会」を造ることはできないということだ。
「宇宙開発」ということでは、「宇宙船社会」ということはeducation launderingされて、現実にある人間・対人関係の問題は不問に付せることにしてしまっているが。
これを、「選考」せずに十把一絡げで数百人を仮想の「宇宙船社会」として閉じ込め実験して、人間・対人関係上の問題点を絞り出す・・・良い(悪い)例が問題噴出学校というところか。
「問題が無い」ことを例示として提示することが適当でないのは、「宇宙船社会」で問題が噴出すれば、「宇宙船は死滅」しかねないということだ。
その上で、地上で人間・対人関係の問題は噴出している。
その、地上で人間・対人関係の問題は噴出している、ことの解決策をまずは地上で見つけなければ、「宇宙船社会」でも問題になるであろうし、「宇宙船社会」で問題が噴出すれば「宇宙船は死滅」しかねないのだから、人間・対人関係の問題は地上で解決策を模索して解決しておかなければならないということだ。

さらには700年先行した文明をもつ「宇宙人」が人間と同じように、「自分を思い込む」と「人を思い込む」のであれば、700年先行、つまり700年遅れている人間は「見下される」対象に見なされる。
そういうのは人間にとっては認め難いことであろうが。
事実なのだから、人間は思い知るべきだ、と言うのは人間誰しも認め難いことであろう。
一方で、人間はこのような事事から、700年先行した文明をもつ「宇宙人」であっても、「自分を思い込む」と「700年先行した文明をもつ「宇宙人」を思い込む」・・・「下に見る」「不当に思う」ことを止めないであろう。
となれば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」にとって、人間とはコミュニケーションをとれない、ということになるのだから、「宇宙人」は地球には来たくないはずである。

思いだしごとで、まとまりがないが、付記その2
過去から現在に至るまで、そうして未来永劫人間の歴史が続く限り、「自分を思い込む」ことから、領土問題・・・「資源を得る」「資源を利用する」時の優先権なりより多く得る当然性の根拠にしてしまうのが人間というものである・・・ことで、そこが自分のものだと人間は思い込みたいわけだが。
これは、人間が採取・・・つーか生物としてそこにいられることが個としての生存・存在・存続させるということで、領土問題・・・これは個人レベルでも子供(ケンカならありふれて場合によってはイジメ)でもいくらでもあることだが。
地球は人間のものではないことによって、人間は「自分を思い込む」ことで、「資源(領土・領域・場)」が自分のものだと主張しあって争うわけだが。
これには三つの問題がある。
一つは領土問題で、これは解決策の無さは史実のとうり。
もう一つは上述したように、宇宙に出てまでも「自分を思い込む」こと。
ならば700年選考した文明をもつ「宇宙人」も、地球が「宇宙人」のものだと「自分を思い込む」のであるのが良いではないか。
上述したことでこのことと付き合わせれば、領土拡大を主張する中国・ロシアが宇宙に出て行くというのは歓迎されまい。

問題は3つ目。
これは、国家では領土問題だが、「個人」でも同様に「自分を思い込む」ということが問題なのだ。
当然、我々人間が他のスーパーアースに行くとなれば、一国で行けるという話にはならないはずだから、地球規模で「宇宙船」を運営しなければならないが。
国家・個人レベルで「自分を思い込む」ことが他との協調性も無く強化されれば、「宇宙船」の中で領土問題同様、あるいは「負担」の分配でもめることになるが、これは個人でも同様のことなのは自明・・・はすでに記述しているか。
このことが深刻な問題なのは上述しているが、さらにもっと深刻な問題がある。
「自分の方が上」「自分の方が優れている」ことを「略奪」で確認したいとか。
あるいはその「略奪」が「快」であるとかゲーム感覚だとかチャレンジ精神だとか、それらは過去から未来永劫していこうというメチャクチャな人間欲求といったことだ。
ゲーム感覚だとかチャレンジ精神だとか、その事での達成感だとか。
「略奪」される、あるいはそのことで犠牲になる、ということは歴史に繰り返し刻み込まれてもいるし、国家とかの集団性によらず、個人が求めるのも日常茶飯事。

閑話休題、年金個人情報125万件流出、サイバーテロで一国の昨日が一時麻痺・・・それ!、「宇宙船社会」で「宇宙船」機能にサイバー攻撃だ!。

こうしたことを「宇宙船社会」に持ち込まないルールということは、一応はルール作りをする、ということはすでにその無意味さは愚痴った。
現状の技術的展望では、地球からスーパーアースに辿り着くには数十年をかなりオーバーすることを想定しなければならない。
となれば、3世代程度かそれ以上の世代交代を想定するが必要があり、数百人規模・・・つーか正規空母・・・よりもさらに増員を必要とするはず。
船の運行必要人員が増えるということは、さらに搭乗人員が増えることになるのは、小型船から正規空母を並べて比較すれば一目瞭然事。
家族つーか街あるいは地方都市か小国そのものの機能を「宇宙船社会」にしてしまわなければならない。
となれば、地上で起きている「略奪」が「快」であるとかゲーム感覚だとかチャレンジ精神だとか、それらは過去から未来永劫していこうというメチャクチャな人間欲求というものも、「宇宙船社会」でおこなわれることになるはずだ。
「主導権の掌握」についても愚痴っていることで、これでは「宇宙船社会」は成立しない。
「略奪」では「分配」を破壊してしまうし「主導権」(当然、「宗教」も「経済」も)では「分配」は「公平」では無いのだから、「資源」が限られ「宇宙船」の責任を全ての搭乗員が負わなければならない「宇宙船社会」では、「資源」「責任」の「分配」の「公平性」を失なわせる行為は、「宇宙船社会」を宇宙(空中)分解させてしまうことになるだろう。
となれば、700年文明が進歩している「宇宙人」の「宇宙船社会」は、「略奪」が「快」であるとかゲーム感覚だとかチャレンジ精神だとか、メチャクチャな「宇宙人欲求」であるとは想定しにくい。
その一方で、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、「略奪」が「快」であるとかゲーム感覚だとかチャレンジ精神だとか、メチャクチャな「宇宙人欲求」をもっているならば、当然、地球に来訪してきた700年先行した文明をもつ「宇宙人」も、「自分の方が上」「自分の方が優れている」として、「快」だとかゲーム感覚だとかチャレンジ精神だとかの対象として地球を「略奪」すれば良いではないか。
まぁ、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が人間に対してするのならそれで良いことだが。

となれば、「宇宙船社会」で「略奪」とかあってはならないとするならば、その延長線上で宇宙全体としても、「略奪」があってはならないという制度も有りうる分けだが。
700年先行した文明をもつ「宇宙人」が制定している「宇宙法」では「略奪」が認められないとするならば、人間の宇宙に出る目的が「略奪・・・これは「そこにいることで自分のものだと思い込む」ことで、すでに上記で愚痴っている)」であることによって、人間は宇宙に出てきてはならない、ということにもなろう。
一方で、人間が「快」だとかゲーム感覚だとかチャレンジ精神だとかの対象として宇宙を「略奪」するのが好ましくないことで、この矯正をもとめてeducationを強制してきたなら人間はどうするのか?。
人間のeducationといものは、常にeducation launderingされるものだとは愚痴ったことだが。
700年先行した文明をもつ「宇宙人」からすれば「宇宙法」のそのままeducationされるべきことで、人間のeducation launderingは監視管理修正を執拗に求めてくることになるであろう・・・それでも人間は守ることはないのはすでに人間の詳らかな事実であることから、そんな無駄な労力を払うより、人間に接触することなく滅ぶのを見守っている方が賢いというもの。

この「快」ということは、人間は求めて病む(止まない)ものだが。
だがしかし、このことが「地球」を病ましていくことは誰も言わない。
これは少数者が利益獲得に利用して、しかも多数者が求めて溺れていることで、問題だという認識が人間総じて無いことによる。
「宇宙船社会」でグルメ・・・これは地球と臍の緒で繋がっていることからの発想で、スーパーアースを求めての「宇宙船社会」ではどうだろう?。
「快」を求めるということは、総じてエネルギー・資源を浪費することだが、このためには、宇宙開発の専門家は消費できる限りのエネルギ・資源ーをスーパーアースに向かう「宇宙船社会」に供給し続けることができます!、と明言できることが必要なはずだが。
現状の宇宙船稼働には、いや宇宙機全般においてエネルギー管理は非常にシビアに運営しているのが現状で、700年後のスーパーアースを求めての「宇宙船社会」に人間が求める「快」を叶えるだけのエネルギーを供給できるかはかなり疑問に思うのだが。
グルメは3Dプチンターで実現しましょう・・・限られた材料のミックスで匂いと味と食感のごまかししたものを舌鼓してればいいじゃん。
これはこれで解決!・・・で良いのか?。

は、ほっといて。
ネズミランドを代表として、その他テーマパークでのエネルギー・資源の浪費がスーパーアースに向けての「宇宙船社会」でもできますよ、と宇宙開発の専門家のエライセンセイに明言してもらいたいものだ。
こうしたことは、エネルギー・資源の浪費だけでなく、その管理やリサイクルにおいても甚大な労力を必要とするはずだが、その事については少数者は触れることなく、宇宙で遊行娯楽施設構想で多数者の興味を惹こうとしているところだが。
残念なことに、宇宙は天高く高額に遠いことで、多数者が気軽に行ける状況になるには、今世紀中の展望は無い。
問題は、大気圏突入時の事故においての安全な脱出・・・はまず無理だが、放射線被爆量を相当量引き下げねば、子供とかそうそう気軽に行くというわけにはいくまい。
現状物理法則からすれば、「厚み」が一番の有効な遮蔽方法で、創作モノのように薄い宇宙服で宇宙に出るというのは荒唐無稽事であろう。
だいたいISSでさえ被爆量に悩まされているというのに、民間施設で子供の安全を確保するだけの放射線の遮蔽能力というのはそれこそ荒唐無稽事だと思うのだが。
まぁ、宇宙開発の専門家のエライセンセイが、子供に夢を与えるために有効な放射線遮蔽方法を考えてくださるだろう。

話は飛んだが、"人間に接触することなく滅ぶのを見守っている方が賢いというもの"ということは、この「娯楽」事からも言えることだ。
この「娯楽」・・・「快」を求めることが、どれだけ「地球」を加害するものか言われていないことが問題なのだ。
バス釣りの環境破壊・・・つーか、「快」することを守るために環境保全活動を破壊するとか、この洪水に脅える中でオフロードバイクで堤防決潰リスク増大とか、地球環境破壊よりもタバコ・酒・芥子等で「快」を得る方が至上命題とか。
テーマパークのエネルギー・資源の浪費を問えば「KY」だろうし。
それこそスマホのエネルギー浪費を問えば「KY」どころか完全無視だろう。
暖房でも、ある温度以下にならないと冬眠できないとかあるとかで、このことでの環境負荷・・・ということも言ってみるだけの蔑ろ。
クーラーに浸って地球環境を考えましょう、というのは糞野郎だが。
これは、室内機と室外機を入れ換えた部屋にいろ!、という話。
そんな気温の上がった部屋にいられるわけねぇ!ということを人間は地球環境に対してしているのだが、そういうところは言わずに原発反対!とか。
こうした人間が求める「快」(さらには「不快」の排除)が、総じてどれだけ地球環境破壊を押し進めているか?、という理解が人間には無い。
これが、個別には「自分の方が上」「自分の方が優れている」という「快」(「不快」の排除)によっては認識しようということはあるけれども、個別、つまりほとんどの多くのことには興味が無いことで、総じてどれだけ地球環境破壊を押し進めているのか?、ということの理解が人間には無いことで、地球環境破壊は進んでいくわけだが。
となれば、そのうち人間によって地球が滅ぶことで人間は滅びるということになるわけだ。
となれば、人間は環境問題に対してeducationしていかなければならないところだが、現実には education launderingしていることで、この半世紀地球環境教育が適切ではないことによって、地球環境の悪化は食い止められていないばかりか、悪化している状況になってしまった。
education laundering的には、水質浄化とか一部の成功例でお茶を濁すところだが、総じてどれだけ地球環境破壊を押し進めているか?という細目を見渡して精確かつ詳しい理解を持っていなければ、地球環境理解にはならない。
これが個別ということで、原発推進・太陽発電推進が、個別それぞれに地球環境を守るという発想になる。
原発の問題はすでに言われているが、太陽発電には太陽発電特有の問題がある。
これは、人間の、つまり人工的なことをすることは、地球環境破壊はそれなりに問題を抱えているということだ。
そうした、総じての人工的なことをすることの細目とその問題からの総じての地球環境破壊の理解が無いことで、地球環境破壊の減速はできないことで地球は将来的に人間によって滅ぼされることになりかねない、ということだ。
とはいえ、人間は「快」(不快の排除)はいかなる惨状があるとも求めて止まないことなので、こうした「快」(「不快」の排除)を「宇宙船社会」でも地球同様にできるようにしなければならない。
つまり「宇宙船社会」で、「快」(不快の排除)を求めたいだけエネルギー・資源を用意しなければならないということだ。
そのために、宇宙開発の専門家のエライセンセイは、人間はいずれスーパーアースに行くと主張されることによって、「快」(不快の排除)をを求めるために求めたいだけエネルギー・資源を用意できることを明言してくださるだろう。
でなければ、「宇宙船社会」が「快」(不快の排除)を求められないのであれば、人間として「宇宙船」での生活は不快なこととして参加を中退・・・旅路の途中でできないし、引き返すこともできない・・・人間が、エネルギー・資源を倹約して、退屈で不快さに何十年も絶えるというのは現実的なことだろうか?。

当然のことだが、スーパーアースに向かう「宇宙船社会」は資源は極めて限られた保有量なものだと想定するべきであろう。
エネルギーは上述のとうり。
当然、外部からの供給が無いことによって、リサイクルは必須であることで、特に厳密な資源管理は必須であることから、リサイクルのできない浪費はもとより、資源の生活以外での不用意な消費ということには寛容であってはならない。
したがって、エネルギー・資源を浪費する「快」(不快の排除)を「宇宙船社会」でするということは、「宇宙船」の運用を破綻させてしまうことになりかねないということだ。
翻ってこの「宇宙船社会」で「快」(不快の排除)が寛容にはできないことからすれば、この地球で「快」(不快の排除)のために、エネルギー・資源を浪費していくことは、同様に「地球」の運用を破綻させてしまうことになるであろう。

ただ、経験的には、江戸時代には、エネルギー・資源の浪費ということがあまりできなかったことによって、軽微に「快」を求めるということはあったのだが。
和算・俳句や川柳や短歌や狂歌・戯画・大道芸・・・現状で、こうしたことが「快」として持続的に「快」なるものとして多数者がもてはやせるかというと、すでに時代の遺物か・・・。
実際、少数者が富の搾取に「快」を利用し、多数者が「快」(不快の排除)を求めることで自然破壊をしているのだが、こうしたことを「宇宙船社会」に一切持ち込まないというeducationが人間にとって現実的なのだろうか?。
もちろん、少数者は富の搾取をしている認識も持ちたくなければ、多数者が自然破壊をしている理解もしたくない。
「人間は、悪い・不当なことと自分は違う、という結論を持って考えようとする」
ことから、「宇宙船社会」での運用理解のためのeducationも馬耳東風が関の山であろう。

では、700年先行した文明を持つ「宇宙人」は、「快」(不快の排除)ということにはどのようにその「宇宙船社会」で運用しているのだろうか?。
700年先行した文明であることからの、700年先行した技術によれば、「快」(不快の排除)のために、潤沢にエネルギー・資源を浪費していると予測できることなのか?。
だがしかし、現状の物理法則からすれば、「未来に光速を越える宇宙船ができる」ということには悲観的であるはずだ。
おいら劣等生高卒ノータリンには理解できるものではないが、アインシュタインの量子論争により、この宇宙が膨張しているとすれば、他の次元に対して我々の次元が静止している状態にあるとは言えないはずで、ならば我々の次元から他の次元に移る(?)ワープ航法という時には運動している次元から飛び出すことで正確な時間が計れないということで座標が精確に得られないはずだ。
このことからすれば、「物理法則としてワープは実現できない」ということになるはずだが、物理学者のエライセンセイはどのようにお考えなのか?。
他にもワープ航法には疑懐の眼差しを向けるべきところはあるが、ともかく我々人間が「スーパーアース」に辿り着くに、は通常空間でできるだけ光速に近づけるべく加速した「宇宙船」を想定して考えるしかない。
とすれば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」といえども、数十年あるいは百年二百年それ以上の時間をかけて来るということと、その「宇宙船」は物理的に有限空間であり、しかも閉ざされたものとして考えるべきだ、ということになる。
となれば、エネルギー・資源はその物理的制約をうけるということになるはずだ。
現状もっとも効率的なエネルギーを得る方法として反物質が実用化していれば、エネルギーは無尽蔵だと言えるかもしれないが(相転移とか?)。
だが一方で、エネルギーの浪費は環境負荷が甚大であるのだが、そこはさらなるエネルギーの浪費で「快」(不快の排除)をしようというのが人間というもの。
その良い見返りがヒートアイランド現象人災竜巻空中遊泳住居倒壊熱帯夜で死者多数とか。
これが、完全な「閉塞宇宙機」である「宇宙船社会」で、完全にエネルギーの浪費からの環境負荷を無くせるのか?。
ならば今直ぐにこの地球でしろよ!、というところから考えると怪しいものだが。
さらには「閉塞宇宙機」であることによって、資源の保有量には制限があると見なせるはずだ。
リサイクル技術が進歩していることは想定できるとしても、「宇宙船」に積載、つまり、「宇宙船社会」が保有できる物質量は有限であるに違いない。
そう考えるならば、「快」(不快の排除)のために、エネルギー・資源を潤沢に浪費していると予測することが妥当なことだとは思えない。
となれば、我々人間がこの地球上で「快」(不快の排除)のために、潤沢にエネルギー・資源を浪費しているのと同じように、700年先行した文明をもつ「宇宙人」がその「宇宙船社会」で「快」(不快の排除)のために、潤沢に資源を浪費するようなことはしていない、と考えるべきだ。

もっとも、現状のこの地球の人間は、上述で指摘したように、「快」(不快の排除)のために、潤沢にエネルギー・資源を浪費していることが地球環境の破壊になっていることを理解したくはないが、では「快」(不快の排除)のために、潤沢にエネルギー・資源を浪費することは、「宇宙船社会」を成す初期段階では可能にできるのだろうか?。
宇宙開発を求める少数者は、「宇宙」での娯楽施設、つまり「快」を真っ先に求め多数者に提供すると提案しているが。
現状の「宇宙」でできることは、補給、つまり地球と臍の緒で繋がれていることによって、辛うじて「宇宙生活を営む」程度のことである。
これが、民間人が行くとなれば、1人70億円いるとか?。
しかも、相応の訓練と教育をして、ということがニュースで伝えられている。
現状ISSとか宇宙ステーションでは、宇宙施設及び宇宙施設に関わる設備の実証と宇宙環境に関わる研究をすることが目的で、とても多数者がそのような場所の仲間入りができる環境ではない。
こうしたことで、「快」はともかく「不快の排除」ということには相応の対価を払って考慮されているといったところだろう。
だがしかし、これが、多数者が「宇宙」で暮らすようになる、となれば、その初期段階では、技術的にも対価としても、求めることのできるエネルギー・資源は制約されることになるはずだから、徹底的省資源・省エネルギー管理が成されなければならないのは自明のはず。
これは、「宇宙」での産業、つまり「経済」が成立して潤沢に経費が得られればだが、「宇宙」でできる「労働」つまり「仕事」が現状ではサービス業しか想定されていない。
宇宙施設建設、つまり建設業、その資源を得る、とは考えられるとしても、その「宇宙施設」に、どのような「(惑星でするよりも有利な)仕事」を創造するのか?。
「仕事」がなければ、多数者が「宇宙」で暮らすようにはなれない。
どころか、その住まう「(極限の環境下に設置されている)宇宙施設」で「快」(不快の排除)のために潤沢にエネルギー・資源を賄える経費は得られない。
したがって、多数者の住まう「宇宙施設」では、「快」(不快の排除)は思うに任せない過酷な環境で暮らさなければならないであろう。
それが、上述のとうりの系外惑星まで航行するとなれば「未知」がことさら大きいことで、いかにエネルギーを潤沢に得ることができるとしても、エネルギー・資源の管理はシビアにして備えなければならないだろうし、なによりも、「快」を求めるということは、「宇宙船」の機能とはまったく別な方法論で、そのことで不可抗力・それこそ「未知」を増大させていくことになるはずだ。

閑話休題、ニュースで、晴天の700kの大凧(霹靂)。

となれば、繰り返し事だが、700年先行した文明を持つ「宇宙人」の「宇宙船社会」が「快」(不快の排除)のために、潤沢にエネルギー・資源を浪費しているとは考えにくい。
この時、二つのことを考えなければならない状況がある。

一つ目には、700年先行した文明を持つ「宇宙人」が、「快」(不快の排除)にエネルギー・資源を潤沢に使うことの自制、つまり「快」(不快の排除)を自制していると考えられる場合。
すでに愚痴垂れたように、「宇宙船社会」つまり「宇宙船」の中で「快」(不快の排除)を求めるというのは、求めたいように求められるとは考えにくい。
それはつまり、この地球上で人間が「快」(不快の排除)を求めたいように求めている現実によって、この地球が相応に地球環境破壊が増進している現実がある。
ならば、700年先行した文明をもつ「宇宙人がその事に気づき、自らを環境破壊を増進させないように進化をとげている、と考えることもできるはず。
となれば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」からすれば、この地球の人間による地球環境破壊を直視するならば、人間にその是正をeducationしてくるとも考えられよう。
ただ、このようなことは人間は受け入れられることではないことで、education launderingということに必ずしてしまう。
いずれにしても、「快」(不快の排除)は人間にとっては生の主張の必須であるのだから、このようなタイプの700年先行した文明をもつ「宇宙人」が地球に来るというのは拒絶したいのは自明。

二つ目には、もともと「快」は求めたいが、その「宇宙船社会」を成さねばならないことによって、無理に「快」を抑制しなければならなかった、という場合。
これが、地球の「快」を見て、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が飛びついてくる、という状況は考えられないだろうか?。
どこまでが真意かしらないが、人間でも、ネズミランドとかで順番待ちをしていると、列に割り込むとか。
人間は、執拗に「快」を求めたいもっとも下劣な知的生物であることはすでに愚痴った。
700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、ネズミランドとかで歓声をあげている・・・知的生物の進化って何なんだよ?。

別な視点で見れば、水木しげるのTV放送大好き「宇宙人」・・・残念ながら検索して見つけることができなかった・・・が来たら、カメラに向かって目玉(?)をいくつも出して「宇宙人」を惑わして追い返す(ここはどうなったか覚えていない)主人公がいなければ、我々人間は700年先行した文明をもつ「宇宙人」に自力で対抗するか、「快」を提供し続けなければならないとしたらどうだろう?。
これも難儀な話だが。
そう考えると、まず我々人間が、この地球上で「快」を求めること、さらには「宇宙」で「快」を求めることには修正が必要であるはずだが。

可能性としては、「快」を外部から求める、つまり通信によって得続けることと、人間側では現在開発中のバーチャル体験技術で「快」を求め続けるという方法は可能ではあろうが。
問題は、人間の「快」要求が多義にわたることと、「そのもの」でなければ不満な場合もあるということ。
さらには、「体」ということからの実体験でなければ「快」として認められない、という場合もあるだろう。
江戸時代あるいは日本古来の遊戯のように、エネルギー・資源の消費が少ない「快」によって「宇宙船社会」が満足することができれば良いのだが。
「体」ということから、実体験に傾倒して、不可抗力が大きく働くような「快」を求めるとなると、検討したように長期「宇宙船社会」はそのことで「未知」を抱え込んでいくことになる。
それは明らかに、危険を冒してまでも、ということで、700年先行した文明をもつ「宇宙人」がしているとは想定できないし、我々人間が「宇宙船社会」を成すとしても認められることではないだろう。。
一つ目の繰り返しになるが、このようなことから考えるならば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、「宇宙船社会」で、あるいは愚痴ったように「快」(不快の排除がエネルギー・資源)の浪費になることで求める生が死滅に向かうことになりかねないことを理解して、「快」を求めることの不合理さを悟り、思考や行為行動を修正しているとも考えられる。
いや、そうでなければ、系外惑星魔で辿り着けるだけの期間の世代を越える「宇宙船社会」を成しているはずがない。

そう考えた場合、我々人間がこの地球上で、あるいは宇宙に出てもなを「快」を求めることに執着するということは、700年先行した文明をもつ「宇宙人」には相入れられないことではないだろうか?。

すでに愚痴ったように、「快」(不快の排除)は環境への負荷が大きい。
その負荷の大きいことを「宇宙船社会」で求めないことにしよう、ということは、人間にとっては負荷(ストレス)が大きいということだが。
だがしかし、エネルギー・資源を潤沢に使うことのできない「宇宙船社会」で、「快」(不快の排除)を求めるのは制約されなければならないとすれば、それはつまり、同様にこの地球でも「快」(不快の排除)が制約されなければならないことになる。
このため、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、人間に対して「快」(不快の排除)の制約を求めるeducationを義務としてくる可能性もある分けだが。
このようなことは人間には受け入れられないことが自明なのだから、700年先行した文明を持つ「宇宙人」が人間に関わりを求めてくるとは想定できない。
何故、700年遅れた文明の聞き分けのないもっとも下劣な知的生物である人間に、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、労力を払って、しかも習熟も叶わないeducationをしなければならないのか?。
しかし、愚痴った用に、「快」(不快の排除)は「宇宙船社会」には相入れられないことによって、我々人間は宇宙での生活をいとなむことが叶うことはない。
しかし、我々人間は、文明の発展とともに「快」(不快の排除)要求を増大させてきた。
そのことで、地球環境への負荷は増大し、地球環境破壊は増進させてきた。
これは、人間が認めるところではないが。
人間が認めないとしてしても、「快」(不快の排除)を求めることで地球環境破壊が大きくなっているのが事実で、このまま文明が発展することによって、「快」(不快の排除)要求をさらに増大させようというのか?。
この「快」(不快の排除要求の増大は、いつまで地球環境を保ち続けることができると人間は考えるのか?。
それとも、人間はこの地球が「快」(不快の排除)要求にいつまでも環境を保ってくれると疑わないのだろうか?。
文明が発展すれば「快」(不快の排除)も増進するものとした場合、ならば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」も、それだけ「快」(不快の排除)要求が増進しているならどうするのか?。
700年先行した文明をもつ地「宇宙人」が地球に来て、テーマパークとか娯楽施設そこかしこに沢山造って、「快」(不快の排除)にエネルギー・資源(エネルギーはともかく(これも使えば問題だが))を地球から彫琢して潤沢に使う、ということは、人間・・・よりも地球環境の保全としてどうなのか?。
それはつまり、現状の地球とそこで「快」(不快の排除)を欲求する人間であってもだが。
いずれにしても、「快」(不快の排除)に執着する700年先行した文明をもつ「宇宙人」、というものは想定したくない。
が、人間の少数者にすれば、経済、つまり多数者からの搾取の方法として、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、この地球で「快」(不快の排除)を欲求しようというのは歓迎されることかもしれないが。
となれば、格差社会、これは弱い少数者もことさら淘汰されることになるのだから、少数者も諸手を挙げてm700年先行した文明をもつ「宇宙人」の「快」(不快の排除)要求を歓迎すれば良いこと。

有人宇宙開発は、技術的・経済的・物理法則的に頓挫するだけでなく、人間が持つ人間性によって頓挫する可能性が高いことで、ならば、「宇宙船社会」を成すことの無い人間と「宇宙規則」に則った関係性を築く、というのも、700年先行した文明をもつ「宇宙人」にとっては無駄な労力というものであろう。

にしても、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、正規空母の人員を遙かに上回る規模で「宇宙社会」を成す「宇宙船」で地球に来るということ、つまり、我々人間が、正規空母の人員を遙かに上回る規模で「宇宙社会」を成す「宇宙船」に乗り込んでいるということは、どのように想定されるべきことなのか?。
比較として正規空母は航空機とその管理の人材が上乗せされていることが適当ではないが、大量の人員が長期に渡って閉塞空間に押し込められているものは他に無いことによってこれしか例示しようがない。
さらには、長期世代を越えるほどの宇宙滞在から、そこで「宇宙船」内で子々孫々「宇宙船社会」を成していくとなれば、その子孫を残すことを担う関係性の者を必要量確保しなければならないだろう。
当然、前に愚痴った「不遇」も考慮してだが。
そのような「宇宙船社会」を、宇宙開発の専門家のエライセンセイはどのように想定されているのだろうか?。
「快」の対極とは言えないが、この「不遇」が「宇宙船社会」では問題であることは愚痴った。
つまり、「主導権」「階級」「経済」ということが、「科学的」見地(?)からの理解では参照されるのがeducation launderingされた大学とかの一般論であるが、「快」と「不遇」が現状のこの地球の一般社会でも問題であるのに認識されないことで、これら日常の問題がそのまま「宇宙縁社会」に持ち込まれて深刻な問題を噴出させていくとになる・・・その前に頓挫することになるであろう。

ならば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」は「主導権」「階級」「経済」の問題を克服しているだけでなく、「快」や「不遇」など「宇宙船社会」を成すことになる問題も克服していると想定しなければならないが、このような「社会」ということは、我々人間には想定外で理解し難いものではないのか?。
むしろ、「宇宙船社会」を成して、系外惑星まで辿り着くのは誰しも不可能なことと想定する方が無難だと考えるのだが。

したがって、そのような様々な理由から、「宇宙人」は地球に来ないはずである。
同時に、人間は「人間宇宙船社会」を成すことができないことによって、スーパーアースには行けない、という結論である。

最初に愚痴ったことであるが、「宇宙人の専門家」について、再度愚痴っておかねばならない。
上述のごとく、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が地球に来たとなれば、愚痴ったように「快」の話ばかりではなく「不快」の話もあるというもの。
ワイドショーとかの方法論だが、世論つまり消費者に「話を聞いてもらう」場合には、耳当たりの良い(政治家とか耳当たりを悪くするのは、消費者に耳当たりを良くする方法論だが)しかも単純短絡で消費者にとっての「想定内」に取捨選択して捩じ曲げ・捏造していかなければならない。
愚痴ったように、現実に「想定」されるべき「宇宙人」とは、我々人間の「想定」の範囲を逸脱していると「想定」されるべきである。
その上で、人間の、つまり自分の愚かさや欠点、さらには知的生物としての水準の低さを認めなければならない。
認めるためには、詳らかに並べて向き合うことをしなければならない。
となれば、「快」(不快の排除)を求めたい消費者に対して、耳当たりの悪い指摘や理解しがたい理屈を並べ立てなければならない。
そういう「不快」なことは、「快」(不快の排除)を求めたいのが人間であるところで、「宇宙人」という語らいからは、単純短絡で消費者にとっての「想定内」に取捨選択して捩じ曲げ・捏造していかなければならない。
そうなれば、「宇宙人」とコミュニケーションをとる、ということの事実関係・現実的考察はされるはずもなく、ただエンターテイメントととして取り扱われるだけで、「宇宙人」の専門家というよりも、「宇宙人」ということでエンターテイメントを提供する専門家ということになろう。
エンターテイメントを提供する専門家であるならば、消費者の欲求を読み取り、その「快」を満たすものを提供することこそが「専門性」ということになろう。
したがって、「宇宙人の専門家」の話を聞いても、我々が「宇宙人」とコミュニケーションを取ることでの参考にはできない、と言い切れる。

我々人間は「情報」ということでは「快」(不快の排除)を最大限に優先させているのが日常である。
そのため、オイルショックとかアメリカラジオ放送で「宇宙人が来た」とか、致命的に「情報」に弱かったりもする。
その上「空気」ということにも「KY」と罵るほどに弱い。
AKB48選挙なんて糞~・・・この「空気」はそれこそ「糞」だな。
ここで色々愚痴垂れたところで、AKB48選挙ほどの衆目は無い。
宇宙に出るたって、その「宇宙船社会」の諸問題や考慮すべき事事も無く、夢物語気分で宇宙生活できるとか。
まして、地球環境なんか「空気」で考えたつもりごと。
「空気」というイメージ戦略万歳!。
「宇宙人」を語らう専門家としては、「宇宙人が来る、という空気」にしなければ人気取り、つまり金儲けはでけんのだから、「オオカミが来るぞー」は「悪い空気」と分かっていても、「宇宙人が来るぞー空気」を世間に満たしたいペテン師共でしかない。

となれば、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、日頃少数者のイメージ戦略等で「空気」つまりマインドコントロールを画策しているように、700年先行した文明をもつ「宇宙人」が、それこそ巧妙に人類を「空気」に取り込ませてマインドコントロールしようとすることも考えられる。
こうしたことは、大学や大学関係者が日頃から、「空気」にとり込むことを画策して、消費者が「空気」に浸ることに馴染んでいることで、「空気」ということには我々人類は致命的に弱い面を持っている。
そうしたことに、「宇宙人」の専門家が頭を回して、人類に対して「宇宙人」とコミュニケーションをとる上での人間の劣性や愚行お並べて注意を呼びかけなければならない。
が、こうしたことは「不快」であることで消費者が耳を傾けないことを承知の「宇宙人の専門家」は、「宇宙人」の素人談義でお茶を濁して金儲け程度のことしかするはずもない。

少数者からすれば「科学的」という提示もある。
が、このことでは人間が「宇宙人」とコミュニケーションをとるということには役立たないということに注意が必要である。
「科学的」ということでは、コミュニケーションにあまり役に立たないのはこの半世紀世間見てのとうりである。
「たとえば」という例示は意味を成さない前提で提示するが、「宇宙人」ということは「想定外」だが、人間が他との関係性をしているというのは事実であり、その事実であるところで「熊」とコミュニケーションをとることを考えてみよう。
「宇宙人」ということでは、その「性質や機能の細目と意味」を求めたいということがあるのだが。
では、「性質や機能の細目と意味」つまり「科学的観察」ができれば、コミュニケーションがとれるかというと、ではすでに人間はやっているんだろ?、って程度のこと。
「熊」とコミュニケーションをとる。
つまり、「熊」の「性質や機能の細目と意味」つまり「科学的観察」ができれば「熊」とコミュニケーションがとれる。
これは出来ていないことは自明だし、これからもまず出来る可能性は無い。
これは、「熊」が人間のコミュニケーション能力に対して相応しいコミュニケーション能力を持ち合わせていないことによる。
では我々人間と700年先行した文明をもつ「宇宙人」がコミュニケーションをとる・・・・問題はここではない。
なぜ「熊」を例示したかというと、「熊の手」つまり密猟と乱獲の対象にされているものだということだ。
「お前は自分の欲求を満たすために殺す」
「人間は、悪い・不当なことと自分は違う、という結論をもって考えようとする」
だが。
ここで問題なのは、人間に劣性があり愚行をすることで他の者を窮地に追いやっているが、その窮地に追いやっている対象とコミュニケーションを求めるのか?。
実際、この双方が実在するわけだが。
問題なのは、「宇宙人」の「性質や機能の細目と意味」つまり「科学的観察」の一方だけということではない。
この700年先行した文明をもつ「宇宙人」の「性質や機能の細目と意味」つまり「科学的観察」と、我々人間の劣性・愚行を含む「性質や機能の細目と意味」つまり「科学的観察」を突き合わせることが、コミュニケーションになる・ならないの問題だということだ。
したがって、「宇宙人」というときにはその「性質や機能の細目と意味」つまり「科学的観察」を言うだけで良いが、、「宇宙人」とコミュニケーションという時には、我々人間の劣性・愚行を含む「性質や機能の細目と意味」つまり「科学的観察」が必要になる。
当然のことだが、700年先行した文明をもつ「宇宙人」と我々人間がコミュニケーションをとるときに人間の劣性や愚行が問題になるのであれば、その修正や矯正が必要であるが、なによりも我々人間の劣性・愚行はどのようなものかを見極める「性質や機能の細目と意味」つまり「科学的観察」を我々が我々自身に対してしておかなければならないということだ。
そのうえで、今後「700年先行した文明をもつ「宇宙人」の来訪を人間が求めるとするならば、さらに劣性や愚行の修正や矯正を「宇宙人」に遭遇するまでにしていなければならないということだ。
だが人間は、すでに愚痴ったように自らの劣性や愚行を修正や矯正することに関心がないばかりか、自らの劣性や愚行に執着していきたい。
当然、自らに修正せねばならない劣性や愚行があるとさえ思いたくない。
しかしながら、愚痴ったように「宇宙人」の専門家は消費者に対して「不快」を提示することは無いことで、「宇宙人」の専門家は名乗るほどには役には立たない。
そうした人間の「性質や機能の細目と意味」つまり「科学的観察」をした700年先行した文明をもつ「宇宙人」からすれば、劣性や愚行を修正や矯正せずに執着しているようなもっとも下劣な知的生物である人間とコミュニケーションをとるために地球にくることは考えない、と考える方が自然である。


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Comments

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Posted by: bike race hack | 2015.08.05 at 03:45 AM

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