昨日スーパーの帰り、ちょっと離れた公園による。
5才前後の男の子と女の子それと4歳くらいの女の子が砂場遊び。
砂をかけ合ったりしている。
お母さんは大変だ。
しばらく見ていたが、時間を気にして帰路に就く。
「もう六時だから帰り」
「バイバイ~」
その途中インラインスケートの4年生くらいの女の子。
もの珍しくて近づいていったら逃げられた。
今日は、小学校低学年の兄妹が犬の散歩をしているのとすれ違った。
おいらは犬に向かってワン!。
妹の方は笑ってた。
ウウやっぱりこのモードは右クリック、アプリケーション側が禁止している。
なんでやねん?。
アグネスの馬鹿野郎!。
とか突然ほざいてもなにがなんだか。
なんでも、児童ポルノの所持罰則を強化しようとか。
って、おいらロリコンっていっても、児童ポルノを求めようって気はさらさらないので、関係無いが。
問題なのは、そうした要求を持つ人が、多くそして強い要求を持っていることだ。
この事は、「主導権(選択・進路・歩調)」すなわち愚か者の執着心が問題であるということだが、単に子供が犯罪に巻き込まれているから、その保護や安全を求めたいということでは、まったくもって役に立たないことでしかない。
こうした社会悪とされて、罰則の強化が図られるものは、表面的には見えなくなるとしても、陰に隠れアンダーグラウンドで欲望が肥大し、富を得ることに短絡に結びつかせて、より一層犯罪の凶悪化に向かわせてしまうのが世情というもの。
犯罪を起こす人、すなわちその人間性の資質とか性格とかが問題であるのだが、我々はもの珍しさを満たす情報を詮索するとしても、その防止にはとんと見向きもせずに正義を振り回したい役立たずでしかない。
おいら独り良がりの屁理屈として、この「主導権(選択・進路・歩調)」すなわち愚か者の執着心ということから考えてみれば、こうしたことは、犯罪を起こすことに限られた一個人の問題ではなく、知的生物としての進化を成すことのできない人間という種の問題であるのだが、我々人間という種は「悪い・不当なことと自分は違う」という結論をもって考えようとするのが常となってしまい、このことは認識や理解を廃棄してしまったということであって、このことによって、一般の人と犯罪者には差して隔たりはないということは、一般の人には考えの及ばないことか。
以前記述した覚えがあるが、この犯罪を犯す人とて、通例男女共学で、同級生の女の子と共に学校生活をしていたはずだ。
その時は、対等というか、思いどうりにならない相手であるし、親の言うことも聞かず逆らうことも常であることは知っていたはずだ。
ところが大きくなって、そうした記憶や理解を参照することなく、少女なら自分の思いどうりにできる、という思い込みに支配されて、その行動に及ぶわけだ。
いや、誰しも、人の思いどうりにされたくないという胸の内があるのだが、その欲求から少女を求めようというときは、胸の内をかいま見ようともせず、それでいて自分を分かってくれないと事に及んだあとほざくわけだ。
さて、だがしかし、このような心性はこの人独自の特有のことか?。
我々の胸の内には、このような無理解さは人間という種全般が持ち合わせているものとして、誰しもが持ち合わせているのではないのか?。
その突出した代表者が独裁者だ。
さて、このような独裁者の心情として、「理想」というものを抜きにしては考えることはできまい。
政治思想?、民衆の理想?、イデオロギー?。
ポルポト・ヒットラー・(歴史や人命に疎い)旧ソ連・プーチン大統領・北朝鮮・・・
我々は、自分の(心の内とか考えとか)の外のことを知ることができる。
一方でその理解というのは、その知った物事をそのまま理解するということはない。
今まで生きてきた知識や環境その他諸々のことを参照しながら、その情報を取捨選択・変質させて、求めたい方向に理解しようとしているのだ。
だから、独裁者には諸外国とか民衆ということは、情報として入ってきても理解できない。
それと同じように、犯罪者という者も、少女という情報が入ってきているのだが、その情報を理解することができない。
つまり、罰則をいかに強化しても、その人間が持つ欲求「主導権(選択・進路・歩調)」すなわち愚か者の執着心というものを払拭することはできない。
「独裁」とい「選択」が外的圧力によって、個人が屈することが無いように、「少女」という「選択」が外的圧力によって、個人が屈することは無い。
こんなことは、一般のひとには受け入れ堅い考え方であろうが、こうしたことは一般社会でも広く見られることだ。
幼児の手のつけられない癇癪から、会社役員や公務員官僚の横暴、老人の偏屈まで、「選択」に対する執着、あるいは「選択できない・挫かれる・取り上げられる」ことに対する怒り。
そうしたことは常に目にしているのだが、「悪い・不当な事とは違う」のだから、尋常ならざることとする仕切りによって、犯罪者の所業は理解が成されることはない。
さらに悪いことに、罰則を強化するというのが必ずしも常識的ではない。
罰則は、罰金か?。
そんなことでは、犯罪は減らない。
こういう犯罪者は、再犯するというのが一般論のはずだ。
ならば、刑務所に入れろと言うところだが。
その刑務所が過密状態で、しかも他の犯罪の罰則も強化され、さらに時代の要請から、新たな刑法も施行されているから、さらに囚人収用の要請は高まっているところではないのか?。
んでもって、この個人主義独り善がりの耽溺がはびこる社会にあっては、矯正や社会復帰には社会は無関心であるのだし。
一つには、多様性が知的生物としての人間のメリットであり、そのことは、少女嗜好が文化として認知されていると同時に経済活動の一部を支えている事実がある。
この事が、少女への性的欲求の相互関係を成しているところであるが、少女を実際に性的対象として行動を起こすことは犯罪であるとしても、そういう文化がどこまで犯罪に結びつくことかという線引きができないことは自明のことだ。
当然、幼児ポルノを求めるということは、犯罪を犯したことの結果として幼児ポルノがあるのだから、その「客」がいなくなれば、犯罪も減るだろうということであろうが。
しかし、上述のとうり、その「主導権(選択・進路・歩調)」すなわち愚か者の執着心は強固であり、まして文化をなすまでの「客」がいる以上、これを取り締まるのは現実的ではないのが事実だ。
哀しいかな、これは、我々人間という種が、知的生物としての進化をしてきていないことによるため、いやむしろ知的生物として退化が進行しているため、よりいっそうの「主導権(選択・進路・歩調)」すなわち愚か者の執着心に傾倒して、求めることへ耽溺することを求めていくであろう。
この辺のことは、自作小説の「焦土に漂いて」で、ルナの能力
、あるいは人の認識に介入・介在するシステムと端末の「BSC」で物語りを現実の仮想として考えてるとこどだが。
例えば、常時頭の中を監視されているというのはどうかな?。
例えば、その監視によって違法なことを考えていたら、修正をくわえられてしまうというのはどうかな?。
そいう世界の中で生きていかなければならない世界を描いているところだが、犯罪者の恣意的な心を識別するためには、全人間の心の内を監視していかなければ識別できない。
そうなれば犯罪も無くせることできるだろう。
そういう世の中を、我々一般の者は望むというのかな?。
犯罪者は特定の人ではない。
一般の人間の中に一般の人としているわけだ。
それが犯罪者となったから大騒ぎってか?。
さ~て、専門家とてここまで考えてるとは思えないが>アグネス教授(だったけ?)
犯罪者は、周囲のことに考えが及ばない。
正義(実際には抽象論、荒唐無稽であるのに、確ありきと思い込むのは好きではないが)を求める人には、犯罪者は理解したくない。
理解がないということでは、犯罪者も正義を求める人も同種の者共であろうが。
さらに、犯罪にならなくても、不穏な恣意者ってな社会に満ち溢れているほど大多数なんだよ。
その極小の問題にだけ目を向けてなんとかしましょうたって、他に沢山問題が有りすぎて、何も問題が解決しないってのが今の世の中であり、その上に新たな問題が噴出していく人間社会なんだ。
我こそは正義、役に立たないが頑張れ!。
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