今年はアクセスが3000切ってるな
カテゴリーとか考えてはみているのだが、整理力もなくめんどくさくなったので止めた。
どうせ、他人には知りたくもない無意味で下らないことだし。
「マリと子犬の物語」や「恋空」あるいは「ジャンプ」や「追っかけ」も「オタク」同様悪だと言っても、それらを嗜好する者共にはうけいれられるものではないが。
これらはもうすでに死語となってしまった、「カウチポテト族」の延長線上のものであるが、脳みその中で噛み砕いて味わうというものでものでもなく、制作者がその求める人達の感じ方を読み取り、その求めたいところに適合できるように制作されたものであるが、元を辿れば、「ハーレクインロマンス」が先達か。
これらはすでに指摘したことであるが、こうしたものが現実理解の一助になればまだしも、現実から目を背け、現実の諸問題の理解や関わりから逃避して耽溺しているなら、そうした嗜好に浸っている人を、「オタク」同様悪だと言って差し支えあるまい。
もちろん、逼迫した状況の一時の娯楽という言い逃れもあろうが、時間・資金が有って耽溺しているのだから、その反論も意味があるとは思えないが。
この、地球環境・福祉・自然や生活の危機管理が悪化しているとされる中で、よくも現実から目を背け、耽でいしていられるものだ。
さて、「マスメディア真理教古館伊知郎大僧正様」が、地球環境のありがたいお話をしてくれるということだが。
「加害者意識を持ちましょう」
ふざけるな!。
過去、人間がどれだけまともな加害者意識を持てたと言うんだい?。
この、「加害者意識・被害者意識」というものは、すでに記述済みで、人間がまともに加害者意識を持ちうることのないことは、すでにおいらにとっては自明のことでしかないが。
そのファイルは、MSXコンピューターと共に廃棄してしまったのは悔やむことだが。
MSXネットのサーバーのバックアップでも残っていれば、取り出せるかもしれないが、いずれにしても人間の理解するところではないので無用の長物。
「マスメディア真理教古館伊知郎大僧正様」の言うことを真に受けながら、加害者ということは口にするとしても、被害者であることだけを選択していればいい。
テレビは見てのとうりで、スポンサーがついていて、そのスポンサーに依存している消費者が視ているわけだから、その双方を「マスメディア真理教古館伊知郎大僧正様」がその双方を不当あるいは悪だとすることは無いのは自明のこと。
やんわり控えましょう如きを言って番組終わり。
どこに加害者の認知を持とうというのか、まあ、「娯楽巨編大作番組」を視てやってくれい。
おいらは以前から記述していることだが、そのここの問題を取り上げて論じたところで、あまり意味はない。
他の不当性を論じることで、自分に関係無いこと、あるいは自らの正当性を確認しようとするにはいいかもしれないが、同じ過ちを繰り返さないことが一番の論点であることになりはしない。
窒素酸化物があって、フロンがあって、今度は二酸化炭素か?。
次は、エタノールかバイオエネルギー、繰り返せることがおめでたいこって。
ではこうした問題を繰り返しする人間が、地球環境の悪化を食い止められるのかよ?。
「いい思うてならやってみてならいいでしょうがの」
だから、こうした問題を繰り返しすることができる人間性っていうものを見いだして考えなければ駄目なんだよ。
といっても、即物的な問題論議・一極集約の解決策にしか飛びつけないってのが人間の本性。
「労力の排除を求めて環境を悪化させ、その解決に労力を求めようというのか?」
と人間に問うたところで、素知らぬふりか、当たり障りの無い返答止まり。
それで、この地球滅亡の危機が回避できるのだから、これまったおめでたいはなし。
続けざまに、馬込さん事件を起こしてくれてありがとう、の話。
「マスメディア真理教」と「マスメディア真理教狂信者」の間では、すでに炭火か灰程度の話題で火の粉を散らしても煙たがられるだけだろうが。
当然ことながら、馬込さん同様、職にも就かず、生活費の工面もままならない者はいくらでもいる。
だからといって、異性を求めることあるいは性的欲求を持たないわけではない。
求められる方としては、結婚生活ばかりか、子育てや親の面倒、終局は自らの老後も見込まなければならず、共に暮らせば生活苦が予測される者など相手にしたくもない。
そうしたことから、こうした者の中には、悪くはストーカー行為や強行に強姦に走り、または見栄えに凝るなどして興味を引いたりするわけだ。
働かずに結婚生活を求めようというのはなんて勝ってな、と言うのは勝手のいいことだが。
実際、必ず生活ができるほどの収入を得る労働技能を誰もが備えているとは言えない。
となると、生活を営んでいる異性を求めようというのは、働けない者が求めるのは虫のいい話だが、そうでもしなければ生きていけない。
当然、仕事ができないということは、日常生活をするにも少なからず支障を抱えているということだ。
そのために、なんとか異性を求めようという根性。
おいらとて、働き盛りが手取り15万。
前の会社倒産後再就職して、最近まで時給760円、一日12時間近く働いて、やっと15万、今は残業なしでそれくらいあるか。
これで結婚たって、まともに子供を求めて暮らせるというわけにもいくまい。
最近言い寄られてきた綺麗な若いオネーチャンの顔を見るに、どうもそれなりにお金がいりそうで、お付きするには遠慮させてもらっているが
。
たとえば、おいらの会社とて、1/4の男性陣は、準社員以下のパートアルバイトで、正社員はどうかしらないが、とても手取り18万もらっている者などいまい。
それは全国的に見ても、この賃金抑制労働条件で、2割以上の男性労働者は、どんなに頑張ったて、20万には遠く及ばないということだろう。
それで女性陣の男性年収要求が750万てんだから、てんで笑っちゃう。
以前のことがどれだけとりだたされた問題があったかは知るところではないが、多少のふできの者でも社会が受け入れる寛容さは有ったはずである。
それでもごろつきや浮浪者がいたのは事実だろうし。
にしても、ちょっと前まで、まともに職に就かせない人達をつくっていた社会規範を顧みることなく、職につかない者を問題として扱うのは、少し真の抜けたおかしなことだと思うのだが。
でこのことは、「コミュニケーション」という問題でもある。
こうした職に就くとか異性とかの問題は、「コミュニケーション能力」を検討することなく考えるというわけにはいかない。
「コミュニケーション」というと、一方的に好のイメージを持とうというところだが、それは間違った認識でしかない。
「面倒くさい」
その一言に尽きる。
仕事でいえば、糞面白くもない年上を相手して、やり方や質と量を問われ、さらに仕事を増やされたりと、弱り目にたたり目に遭いかねない。
一方、職人的にいえば、人の技術は盗むもの、であり、今の流れ作業であっても、教えられたこと以上に自ら見いだして仕事の量や質の向上をしていかなければならない。
つまりここでの「コミュニケーション」対外的なところからの要求や義務を知ることであり、詮索するということでもあるわけだな。
当然、注意は聞かねばならないし、覚えておかねばならないし、自らを向上させていく。
そうしたことの諸々があって、「コミュニケーション」が成立するわけだが、うだつが上がらなければ「コミュニケーション」もへったくれも無い。
ところが、これが個人的関係性においては、知る・詮索するということは「コミュニケーション」の断絶を意味するわけだ。
ストーカー行為は言うまでもなく、ゴシップ記事を知られているというのは、「マスメディア真理教」の餌食になった方々にはご愁傷様。
おいらがロリちゃんと親しくしていたといっても、彼女らにほとんど尋ねることなどなかった。
ひどいのは、名前すら知らない。
レジの女子高生と話していても同様。
もちろん、相手の向き不向きを感どって、話題を合わすなりはいるが。
つまり、こうした「コミュニケーション能力」のスキルというものが備わっていないから、職にも就けない、異性関係も順序をわきまえてまとまるようにしていくことができないわけだ。
で、極端な例として、アメリカでの韓国人銃乱射事件や馬込さんのようなことになったりするわけだ。
つまり、こうしたことは、事件を起こすまったくの個人の問題だとしても防ぎようがないわけだ。
我々が猿から進化し、文明を築いて、200万年。
そのあいだに「コミュニケーション」を含む知的生物のスキルをどれだけ進化させてきたのか?、という問いだよ。
学業には道徳の時間とか有ったが、そんな「うんこちんちん」程度のことで、今回のような事件が防げるはずもない。
だいたい、衆目の目に異様と写っていて、ならなぜ誰も彼に関わることができなかったのかということだ。
できるはずないじゃないか。
誰も来んかいのような事件を起こすとは思っていないのだから。
つまり、防ぎようの術も持た無いのだから、今回のような事件は繰り返し繰り返し起きているわけで、ならば起きたことを取り立てて騒いだところで、一時の興味本位の話題としての価値しかないではないか。
仕事ができない、
そのことは、多少なりとも支援のできることで、問題を隠蔽できるかもしれない。
だけど「コミュニケーション能力」のスキルが欠落しているということは、時に致命的であったりする。
だから、知的生物とする人間は、社会性動物だとする人間は、「コミュニケーション能力」のスキルが欠落している者を、どうしようというのだ?。
ヘレンケラーという高水準の事例もある。
自閉症という問題も抱えている。
それらは対処の方法も模索され、改善も示されることもある。
だけど、そうしたカテゴリーに入らない「コミュニケーション」能力の欠落者を我々はどのように社会の中にくみこもうというのだ?。
相手のことを考えなければ駄目ですよと、誰が教えとくんだ?。
一方で、会社がおいらを好き勝手に使っているように、「コミュニケーション」を無視した対人関係でいようというのは、日常茶飯事ではないか?。
んじゃ、親会社は下請けと「コミュニケーション」とりましょうよ。
民族・宗教も「コミュニケーション」とりましょうよ。
日本社会にも有りますよね?、ちゃんと「コミュニケーション」とりましょうよ。
それを、突発的なことがおきたから、その結論と結論に結びつけて面白がれることだけを並べて、真剣に考えていますってか?。
人間は「コミュニケーション」を取れる知的生物ではないし、「コミュニケーション」をとることが問題ではない。
人間は、「主導権(選択・進路・歩調)」すなわち愚か者の執着心を持つ生き物であり、この事に執着するということは、他がいるにもかかわらず、他がいないなものとして決めてしまえるということだ。
「チャップリンの殺人協奏曲」ではないが、人間はその生に執着するということは、他との「コミュニケーション」の断絶を繰り返し行使するということだ。
したがって、馬込さんの凶行も、人間としての行為と言えるだろう。
不確かなことをでっち上げようというのは、日常のことであるが。
この馬込さんというのは、ひょっとするとXXY症だったのかもしれないと1人で納得しているのだが。
こうした不可解な事件が起これば、犯人の異常行動から正気というものを疑おうというところだけど。
こういう人をなんとかしろというのはクルクルパー如き無知の者共でしかない。
「マスメディア真理教」は、その1人しかとりあげないところだが、そんな人間はいくらでもいる。
自閉症・ADなんとか・知能薄弱・分裂症・鬱病(自殺の巻き添えとか)・躁病・認知症・アルツハイマー・・・・・。
ところが「マスメディア真理教狂信者」という者は、「マスメディア真理教」の捏造流布しか見て判断しない。
そうした問題行動のある人は、1人を1人で相手できるほどみやすい問題ではない。
二三人でなければ、問題行動のあるときには対処できない。
しかもホームヘルパーは人材不足。
もちろん、上記にかかわる専門家など、はなっから大衆の興味の範囲外で、人材確保もままならないといったところか。
で、 「マスメディア真理教」の流布の範囲だけで、誰かがなんとかしなければいけんだろうが、と「マスメディア真理教狂信者」は無責任に言いたい放題。
さらに問題なのは、そうした事件が起きなければ、その問題があることは分かりはしない。
今回の馬込さんとて、行動がおかしかったと言ったところで、そうした人は全国にいくらでもいる。
そうした人が全部銃を乱射するのかい?。
事件に巻き込まれるということは、たいていの場合周囲の者は何も成す術もなく無力なんだよ。
だから凶行が起きる。
一方の犯人というのは、どこにでもいる人、誰でもしうることなんだよ。
それを、バーチャルリアリティかして、特定できる人と考えようとするから、社会が歪むばかり。
もっとも、誰でもしうるとだれもが思い込めば、それこそ社会が歪むけど。
これは「障害者はクサレ同様離島に島流しにしてしまえ」でも書いたことだけど、だれもが巻き込まれる、あるいは凶行に走りうる可能性を持っているという理解が必要なんだけど。
悪い・不当なことと自分は違うと思いたいし。
「主導権(選択・進路・歩調)」すなわち愚か者の執着心から、未来に対して希望を持ちたいことにより、悪い・不当な事が起こるということは予測にいれないために、そのような人との関わりがなおざりにされてしまうのだ。
したがって、そうした彼らは社会の隅っこにはじかれ、そのことは、健常を謳歌していた者がそのような境遇に塗れるとき、愕然としなければならないということだ。
おいらの親族にも1人いる。
もちろんおいらとて、脳障害に苦しまなければならなかったかもしれない身の上だ。
当然、女性関係や就職(客商売には致命的な化け物顔)にハンディがある。
そういう人を爪弾きにしておいて、事件を起こしたらそいつだけの問題だ。
あーおめでたい。
さて、明日は0:30始業。
この雪でスクーターか自転車・・・。
年の始まりから良い宿命だ。
電車あるかな・・・。
下記は人間を理解する上で見いだした要素であり、理解力・認識力の無意味化を促進させて、事態を悪化させるものである。
「主導権(選択・進路・歩調)」=愚か者の執着心
「つごう(安易・当然・便利・効率)」
「境界」
「被害者意識」
「安全装置(乖離・自我防衛)」
自分は悪くないということは、誰も悪くないという確証である。
人間は、悪い・不当なことと自分は違う、という結論をもって考えようとする。
「正義」とは主体である「悪意」を正当化するためのものである。
「参照事例の増減」には真意はない。
労力の排除を求めて環境を悪化させ、その解決に労力を求めようというのか。
日常的に、「負」のものより「利」あるものを、意識的・無意識的に関わらず選択している我々が、積極的に負、つまり「環境破壊」や「福祉」に積極的に関われるかは大いに疑問であり、その結果として、「環境破壊」は食い止められないのが今日であり、「福祉」に携わる支援が停滞して困難な人生を送らねばならない人が、救われることがないのが今の社会であろう。
誰もが環境問題に取り組んでいて、環境破壊が食い止められるようにしているのであれば、今は環境破壊も無く、未来への危惧もないであろう。
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